3月22日
その2日後、私は教育委員会に電話をしました。
学校に訴えるより先に教育委員会に電話をすることも考えましたが、学校に話を通してから、という手順をふんだのです。
それはただの告げ口のように思われたくなかったからです。
県教育委員会の代表電話番号
に電話して、学校名と大まかな説明をしました。教室でのことなのか、部活なのかと聞かれました。
「繰り返されている、改善されていない。学校への指導ですね」
と言って、折り返し担当からお電話しますと言いました。待っていると、すぐに電話がありました。担当は保健体育科
の木村さんという人でした。
一通り話をすると、学校の方に問い合わせてから、折り返し連絡をするということでした。
とてもなめらかに、話が進んでいきました。
しかし、電話で質問に答えているとき、言いたかった内容の1つくらいしか話せていないような気持になりました。
しばらく待つと電話が鳴りました。
「学校の方と話をしました。人間ですから。過去は変えられなくても未来は変えられる(犬山先生のことか)。学校としましても、すぐできること、短期的にできること、長期的にできることがあります。
お子さんも、苦しいんだと思います。学校に行かなくていいなんて思う子はいません。ちょうど春休みに入りますのでそこで気持ちを切り替えて」
とても温かそうな人柄だと思いましたが、教師も人間ですから、いたらない部分があることは分かってください。と言っているのでしょう。
『いじめの重大事態』に書いてあることとは、とらえ方が違うなという印象でした。
学校側の対応と同じでした。
私は、教育委員会に報告を終えました。もう力を出し尽くしてへとへとでしたが、ここでまだ出来ることがあると、思いました。
ようやく、教育委員会までタッチできたのです。すげない態度でもありませんでした。金ちゃん以外にも誰にも聞いてもらえずに苦しんでいる子がいるのです。
私は、学校の委員会の「LINE」で回してもらいました。
「犬山先生の事で、情報提供してもいいよ、という方がいたら回してください。教育委員会の保健体育科の木村さんが担当です」
すると、さーさんが「犬山先生にひどい目に合わされたって人がいたから、連絡を取ってみます」と言ってくれました。
何日かして、水球部の坂本さんから、連絡が入りました。
坂本さんは、「どういった内容なのか話が聞きたい」と言いました。
私は、大まかな説明をしました。
そして、「みんなをまとめて、何かをするつもりはないこと、自分が納得のいかないことがあるなら、ご自身で判断して言うこと。
今なら、教育委員会も、学校も聞いてくれること」を伝えました。
私は、自分のやるべきことは、やりきったとその時は思っていたのです。
後は、各々のやりたいようにやって下さいという気持ちでした。
そして、坂本さんに犬山先生にどんな事をされたのか聞きました。
1年生のときのことだったそうです。
ケガをして長期に体育を見学していたのです。そのときの態度が悪いと注意されました。反省をし、授業を見学している間積極的にスコアつけなど、自分の出来ることをしていたようです。
それなのに、いやがらせのようなことを言われ、「何が悪いのか言ってください」と言うと「全部だ」と言って話を終わらせたと言うのです。
その後、持久走は走らないと「点数がつけられない(『単位が取れない』、と子供には同意語に聞こえてもおかしくない)」とかで、走らないなら30枚のレポート提出をするように言われました。テスト2週間前の事です。
それをこなして、提出すると、今度は教科の担任である猪崎先生が「ホチキスで止まっていない。レポートは、ホチキスで止めるのがルールである」として「単位が取れない、上に上がれない」など留年をほのめかしたのです。
そして通知表に1をつけられました。
犬山先生→猪崎先生という流れは、工藤君の件でも聞きました。
注意され、態度を改めても、許してもらえない、挙句の果てに「点数がつかない(単位が取れない)けどいいんだな」と怖がらせて言うことを聞かせるのは同じです。
そんな独裁的な態度で子供が傷つけられては、親が文句を言うのは当然でしょう。
しかし、そのことで、校長、副校長、担任と面接をしたが、相手にされなかったらしいのです。
校長は「態度が悪いと聞いています。教師にまかせています」と途中で席を立ったと言います。
坂本さんは、他にも、ひどい目に合っている人がいるからアクションを起こしたい、と言っていました。
金ちゃんのために行動を起こすならば、私は期待していないこと、を言いました。
なぜなら、そのことが負担になると思ったからです。
ですから、自分で考えてやりたくなったらやればいいし、そうならなければやらなくても、いい、と言いました。
初めて電話で話した坂本さんは、少し勢いをそがれたような、肩透かしを食ったような気がしたと思います。
その様子から、自分の子供の事でもあるが、金ちゃんのために一肌脱ごう、と思って連絡をしてくれたことが分かりました。
金ちゃんは、この話を聞いて表現が明るくなりました。
しかし私が今回考えていたのは、相手のやり方(感情的で一方的、力ずく)ではないやり方で戦うことでした。
お互いが言いたいことを言い合うのでは、副校長が言うように、言った言わないのことで終わってしまう。
隠された真実はそんなことでは表に出てこないように思っていました。
それから、春休みが明けてからも金ちゃんは、学校に行こうとすると、トイレに入って出てこれないのです。
時間は過ぎていきました。4月に入って金ちゃんは2回学校に行きましたが、続けて行くことは出来ませんでした。
私が「行かなくていいんじゃない」と言うと、ぱっと顔を明るくします。その顔を見て、学校を辞めた方がいいのではないかと思い始めました。
始めから、金ちゃんが辞めるのがスマートだと私は思っていました。犬山先生は変わらないと思うし、戦う労力が無駄だと思ったからです。しかし、金ちゃんの気持ちを優先させたいと思ってきました。
しかし金ちゃんは「行ける。もう少し頑張りたい」と言いました。
担任とは、連絡を取り合っていました。
私が委員会があるときには、学校に行っていたので、プリントなどの受け取りも出来ていました(皆に配るプリントを集めてくれていました)。
「今回の校長は変わるときはすぐに変わります。前の校長はあれでしたけど」
と応援してくれています。そのときテニス部の顧問も廊下に出てきました。
そして「聞きました」と言って、私から話を聞こうと立っていました。
1年生のときの担任でもあったこの先生は「港北高校の良心」であると、金ちゃんは言っています。
私はそのことの感謝を伝えました。先生は何も言わずただ聞いていました。この先生も金ちゃんの味方であると思いました。
新しい学年で、教師の異動があり、管理側で話のわかる教頭がいなくなりました。
あの後の学校のスケジュールの中に、「第1回いじめ防止委員会」が組み込まれていたのを見つけました。
素早く行動を起こす仕事の出来る人だと思っていたのです。
委員会の人から聞いた話では、急きょ他の学校の副校長就任が決まったらしいのです。
しかし、その教頭がいなくなり「金ちゃんがそう思うようになった」、と繰り返す副校長が残ったのです。
被害者がそう感じていることこそが、「いじめ」の定義であるのに。
金ちゃんの話がどこまで新着の教頭、校長に引き継がれるのか、期待できないことだと思いました。
そして4/25に新しく着任した校長と面接をすることになりました。
私はどんな話をしたらいいのでしょう。
行ける、行けると言って、つらそうにしている金ちゃんに、なにをしてあげたらいいのでしょう。
坂本さんに、その後どうしたか聞きますと、これから行動を起こすところだと言いました。
そしてもう1人、坂本君の出来事を聞いて、持久走を走らなければ単位がもらえないと恐れ、無理をして持久走を走ったので、腰を痛めて手術をしている佐藤君がいる。
その保護者も行動を起こすところだと言うのです。
ですから名前を出してもいいと言いました。
ちょうどいいタイミングでした。