6月6日
学校の自動販売機でコーヒーを買って、渡り廊下を通ると、若い女の人が私を呼び止めました。金ちゃんの化学の先生でした。
金ちゃんが早退した日、体育館で犬山先生と話した後で、
職員室に担任が居なかったので、化学の先生にそれまでのいきさつと、早退の理由を言って帰って来たのでした。
化学の先生は、今の金ちゃんの気持ちが分かるという事を知らせてくれました。
金ちゃんのことをずっと、気にかけていたのでしょう。私はちゃんと聞こうと思いました。
「金ちゃんは思いやりのある子なんです、相手を特に先生だし、悪く思うことが辛いのではないか、そう思ってしまう自分が許せないのではないか。
悪く思わないようにしよう、でも思ってしまう。
同じところをグルグル回っているように人には見える、私がそうでした」
私は初め、先生が何を言っているのか理解出来ませんでした。
人を悪く思うことで、自分を責めているなんて、思いもしなかったのです。
そんな清い心で金ちゃんがいるなんて、誰も言ってませんでした。
「いやな先生がいて、私の場合は血圧が下がってしまうんです。そして吐き気がするんですね。
いやな奴、と思う気持ちを汚いと思わないでいいんです。その気持ちは誰でも持ってる当たり前の感情なんです
男の子はガラスの心なんです。
女はどこかで、ま、いいかと吹っ切れる。男の子は何かのはずみでふっとまた湧き上がってしまう。
私の弟は、5年かかりました」
私は、先生が勇気を出して自分や、弟のことを話しているのだと思いました。
金ちゃんもやはり、「ひきこもり」になって、長くかかるのでしょうか。
「先生、今は大丈夫なんですか」
「今は、お給料もらっていて、そんなこと言ってらんない」
それとも思春期の、傷つきやすい年ごろ、にあることで通り過ぎることなのでしょうか。
「学校に来れば、どうしても目の隅に姿が入ってしまう、そしてまたいやな感情を思い出してしまう、それが嫌で来れないんじゃ
ないか。
思いやりのある子なんです。
そんな自分が周りに迷惑をかけてしまうのではないかと、自分の事よりも周りの事を思ってしまう。
嫌だと思う感情ががいやで、そのままじゃ嫌なので、ちゃんとしようと思って授業を見学すると挨拶に行ったのに、
まだ時間があるのに『単位が取れなくていいんだな』なんて言われて」
私は化学の先生の話を聞きながら、少しずつ見えなかった金ちゃんの心の動きが、見えてくるようでした。
私は先生に「どうしたらよかったんでしょうか」と聞きました。「例えば学校に電話して、こうなんですって、言っていたらどうだったんでしょうか」。
先生は、
「私は担任していた子でやはり、寸前で引っ張り上げる事ができた子がいるんです」
と言いました。
「私の場合はおかしいなと思った時点で、話を聞くようにしています。悪いこともどんどん言ってと。大人ならこうだと言うことが事がありますが、今分からなくてもいい。
それは数年後に分かる事かもしれません。押し付けることはしません。
ただ話を聞きます。
家に電話をして、直接ではないですが、本人に代わってもらって、ということをします。
金ちゃんの事も気になっていて、『勉強する気がなくなった』と担任と話していたと聞いていますが、それは、おかしいと。
勉強が嫌なら、授業中寝ているはずなのに、寝ていない。成績も下がっていいはずなのに、下がっていない。
休んでいる日を見ていると体育の授業があることも分かっていました。
ですが、担任ではないので、それ以上は出来ない。
学校に来た時に話をしようか、どうしようかと。突然『お前最近どうだっ』て、どうなんだろうって」
私はこの先生が担任だったら金ちゃんは、心を開いて話が出来たのではないかと思いました。
「先生、ありがとうございます。
金ちゃんが学校に来たとき、話しかけてあげて下さい。
驚かないように、今日の話をしてみようと思います」
と私は言いました。
求めていたものは、手を差しのべるような、この心だったのかもしれません。
学校の長い廊下を歩いていると、私は今までとは違う世界にいるような気持ちになりました。
家に帰り、この話を金ちゃんにすると
「あの先生は、落ちこぼれに人気があるんだよ」
と、こともなげに言いました。
私は気恥ずかしいのか、強がっているのかと少し思いました。
それとも、金ちゃんには「そこじゃない」何かがあるのかもしれません。
しかし私は、今まで意識したことのない世界があることに驚かされていました。
また自分が忘れていた純真な気持ち、遠い記憶を思い出していました。
そして、違う角度で、金ちゃんを見ることが出来るようでした。
金ちゃんは、ユーチューブで見つけた、崎山蒼志の「五月雨」を聴いています。
ブログにこう書いている人がいたと教えてくれました。
「思春期特有の自意識過剰と、それを救ってくれる「あなた」のうた。
不安定なさなかに、すべての人の声に悪意を見出してしまう、自意識の過剰さ。
厳しい季節が終わり、僕は次の季節に向け走り出す」。
裸足のまま来てしまったようだ
東から走る魔法の夜
虫のように小さくて
炎のように熱い
素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な夜に
全ての声の針を静かに泪で濡らすように
素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な意味で
美しい声の針を静かに泪で濡らして
意味のない僕らの救えないほどの傷から
泪のあとから 悪いことばで震える
黒くて静かななにげない会話に刺されて今は
痛いよ あなたが針に見えてしまって
冬 雪 ぬれて 溶ける
君と夜と春
走る君の汗が夏へ 急ぎ出す
急ぎ出す
(samidare~五月雨~ 崎山蒼志作詞作曲)