7月4日
数日前、校長室に呼ばれて。何度目でしょうか、校長と話をするのは。「金ちゃんに会いたいな、一緒にテニスしましょうよ。テニス部の顧問と」など、
いろいろな話をしていました。
校長はなんとか、仲の良い人や、信頼できる人が学校にいて金ちゃんが来ることができないか、糸口はないのか、と思っていたのだと思います。
しかし、金ちゃんはどうにも気分が落ち込んだままのようでした。
「やはり学校に来ていなかった生徒が、退学届けを出しました。部活だけ来ていたんですが。信頼できる人がいて、
男とか、女とかではなくて、恋人とかではない、同志みたいな関係だったみたいです。私も、お母さんも泣いてしまって…」
校長が違うアプローチを出しました。
「そうですか。金ちゃんも私の顔色をうかがうっていうんですか。『行かなくていいって言ってるけど、本当は行ったほうがいいんでしょ』
みたいな感じがするんです。『そのうち、学校から何か言ってくるでしょ』とか言って。
先生、どう思われますか。どっちつかずのこの状態が皆さんにも迷惑をかけますし、私が、きつい」
「私としては、もう出来うる限り風呂敷を広げている。学校が、期限を決めたほうがいいなら、お母さん言ってください」
行けるという言葉を信じて出来る限りのことをしてきたのですが、本人が決めることができない状態なのかもしれません。
校長は自分も病み上がりなんですと言っていました。どうやってその病気「自律神経失調症」から抜け出したのか聞きますと、
「ただ、止まらずに歩き続けたら景色が少しずつ変わって来たという感じです」と言っていました。
3年前に、色々なことが重なったことが原因だったようでした。今もまだ辛い時があるようですが。
金ちゃんも時間が解決することもあるのでしょう。
家に帰って金ちゃんに、退学届を出した子がいる話をすると、少し顔を明るくしたので、私はすかざず「やめた方がいいんじゃないかな」
と言うと、金ちゃんはうなずきました。
私は春の時点で、活力をもって違う道を選ぶことも考えていましたが、今となっては未練を残すような辞め方になり、
少し切ない気持ちになりました。
そして今日は、いよいよ退学届を事務室からもらって出すのです。
私の最後の委員会の日になりました。
まぁさんに、「退学届けを出すのだ」と話すと、「はじめは受け取らないんじゃないか、よく保留って一度はするじゃない」と言いました。
そういうものか、と思いました。
その後、担任と会って、職員室の廊下で話をしました。「これが、体育館履きです。一応確認して頂いて。名前があります」
少し疲れたような表情で言って、私の態度を待っているようです。私はその確認と、最後の挨拶をして、事務手続きの話をしました。
「退学届け」の他に「単位修得証明書」が必要でした。文部科学省の「高等学校卒業程度認定試験」
を受ける予定です。
それに合格すると、大学受験をすることが出来ます。そして学校で習得しているものについては、単位修得証明書
を提出すると、
受けなくてもいいのです。
昼休みが短いので、早々に立ち去るつもりでしたが、担任は、事務室に一緒に行って事務の人と素早く手続きをしてくれました。
数日前、金ちゃんがラインで学校を辞めると友達に話していて、その後、友達が3人家に来て、6時間も説得して帰ったのです。
そんな話を担任は知っていて、なかなか話は終わりませんでした。
その後、校長室で面接をしました。その場で退学届けを書くつもりでいたのですが。
「教育委員会の木村さんも、この話を聞いてショックを受けているようでした。もう少し保留にしておいていいですか」
「金ちゃんも、今日退学届けを出すということで、納得していますし。学校を辞めると決めてから、表情も明るくなっています。
他の選択肢が私には考えられません。あの、先生はどうお考えですか」
「卒業してほしい。教育委員会も、後期が始まるまで伸ばしてもいい(授業日数の期限)と言っています。
学校としては、このまま受け取るわけにはいかない、と思っています。何があるかわからない。
何かあったとき戻ってこれる場所があるんだ、ということです。つながっている、切れていないということです」
高校卒業認定試験に、合格するまではどこにも所属していない状況になる、ということを気にしているようでした。
「お母さん、本当にいいんですか」
校長の頭の中には色々なパターンがあって、沈んでいく人も見てきているのではないでしょうか。
私は少し不安がよぎりましたが<ま、ダイジョブでしょ>。
…「なんであんな弱いのか。学校や犬山先生だけに責任があるわけではない」。
私は友人にそのことを正直に言いました。
友人は「そりゃ、そうだろ」と言います。
校長が「話をする相手がいるのか」聞きますので、「ADHGの子とか、起立性なんとか、朝起きれないやつですね、
がよく話を聞いてくれます。同じグループなのかな、と思います。強くなれといっても、なりませんので。
これからは、弱いままでどう生きていくのかが課題です」と言いました。どの子も困難を乗り越えて今はたくましく生きています。
だから私も、楽観的にいられるのだと思いました。
私は今読んでいる本のことを話しました。それは、不思議な話です。金ちゃんの傷というのが、犬山先生がつけたもの、と思いますが、
それだけではなく「もともと金ちゃんの中にあったのだ」ということなのです。それは物心がつく前に、親によってつけられている。
もっというならば、生まれる前からある、というのです。そして、親や、上司、先生といった立場の人が、その傷があることをわからせている。
そのことによって、自分にその傷があることがわかり、どのように、いやして(治して)いくのかがわかるのだと続きます。
さらには、人はその傷をいやす(治す)ために生まれてくるのだ、というのです。
金ちゃんは、犬山先生に不当に扱われている、と思っていますが、犬山先生も金ちゃんに不当に扱われていると思っている。
そして金ちゃんと同じくらい傷ついている。という法則もあるようなのです。
校長は、前回にも話したことを覚えていて、図書室にその本『5つの傷』を入れる手はずをしていました。
私は、もう学校対する不満を表にしないと思っていました。もう、落としどころは過ぎたのです。
「金ちゃんの感じ方に問題がある」、ことに視点を絞っています。しかし、校長は問題を金ちゃんのせいだけにしようとはしませんでした。
「今回のことを無駄にしない。お母さんがはじめに「いじめ防止条例」の話をされました。
もしかしたら、自殺していたかもしれないじゃないですか。お互い、傷をガシガシやっていたとしても、知っていた人間がいたはずなんです。
それに、子供同士じゃないんですから。今回のことは、全て終わったとき、全教員の前で話すつもりでいます。
親子のいい話で終わらせてはいけないんです」
私は、<さすが校長になる人は違うなぁ、しっかりしている>、と思いました。そして、「2年の終わりに『いじめアンケート』に、
犬山先生に精神的に虐待されている、と書いたんです」といった話をひとしきりしました。
そして私はせっかく決心をしてきたのに、その日は、スゴスゴと机の上の退学届を引っ込めて帰ったのでした。
家に帰ると、まぁさんからのラインがありました。金ちゃんを引き留める話だったのですが、
「99%戻る気はない」と金ちゃんが応えました。
そこで、はっきりと終止符が打たれた感じがしました。 そして、そのことを校長に話して一週間ほど過ぎてから、
再び退学届を出すことになったのです。
「やっぱり駄目でしたか、一縷の望みを持っていたんですが」
「校長に退学届を出した子がいることで、気が軽くなったかもしれません」と話をすると「あたしったら、だめね。すみません」と言いました。
そして「さっき、生徒で、大学を受けないで留学すると決めた子が来て」と言いました。
私はなんとなくですが、校長がシナリオを書き、そのように進んでいるようだと感じていました。
金ちゃんが、担任からの電話で話していて「今のやり方は自分に向いている。(在宅で大学受験の勉強することについて)」
と言っていたのを聞いていたのではないか、と思いましたが「積極性」・「起業家」
というキーワードが校長の口から出ました。
そして「マイノリティー、大勢とは違う道を行くわけですけども」と言いました。
そして犬山先生と、副校長と担任が校長室に入ってきました。犬山先生はしおれた、プラムのように見えました。
「管理側から聞いています。学校としても、いろいろできるだけのことをしてきたわけですけども」
と小さくなって言いました。このごに及んでまだ、私、とは言わずに学校とか言っています。私は哀れに思いました。
「こんなことになって、先生にも申し訳ないですけども。金ちゃんが傷ついているのと同じように犬山先生も傷ついている。
であるならば、金ちゃんに頑張れというのであれば、先生にも頑張ってくださいと言うしかない。
先生を尊敬していたかもしれません、先生の中に、理想の先生を期待していたかもしれません。
愛情があるから憎しみがあるのだ、とそのように思っています」
犬山先生は、感受性が鋭いようで、敏感に反応していました。校長が
「大勢の中でのこと、少数派ということです」
と言いました。そして犬山先生は、深々とお辞儀をしました。グレーのスポーツシャツと色の違うショートパンツ、
茶色のサンダルがくすんだ色でしたので、しおれて見えたのだと思いました。あんなに、強い気を放っていたときとは随分違う感じでした。
私は家に帰ると、金ちゃんに校長の口から出たキーワードを伝えました。金ちゃんは、目を輝かせました。
私はその顔を見て、はっとしたのです。「大勢と違う道を選ぶマイノリティー、積極性、起業家」・
「第一志望に入らなければ承知しませんよ」校長が、会ったことのない金ちゃんのポジティブな面を伸ばし、行く先を先導しているのでした。
<私は金ちゃんにこんな輝く表情をさせることがあっただろうか> 私はショックを受けました。
校長の力かそれとも、他に何か不思議な力がはたらいているのでしょうか。