ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

その14 縁起の法則

『すべてを味方  すべてが味方 』小林正観、2011)

 

金ちゃんはこれから友人を つくっていきたいと思っています。 

クイズノック(QuizKnockは、クイズを題材とするWEBメディアである)の編集長、伊沢さんに憧れています。

憧れの人も、鏡の法則でいうと自分をうつす鏡になりますから、

金ちゃんにも、その要素があることになりますよね。

一歩一歩近付けるように頑張って欲しいです。

 

以下一部抜粋要約、(※は私の説明です)。



すべては人の「おかげさま」

 

お釈迦様( ※仏、仏教の開祖) の最初の悟りと言われているものに 「縁りて起こる」すなわち縁起の法則があります。

 

この縁起の法則というのは 、

 

「全ての現象は、

 

無数の原因や条件 が

 

相互に関係しあって 

 

成立しているものであり 、

 

独立して 存在するものではない 。

 

全てのものは この法則に従っている」 

 

というものです。

 

例えばコップ一杯の水があって これを<私>が飲もうとする 。

 

自分の意思で この水を飲もうとしているけれども 、このガラスのコップを作ってくれる人がいなければ 、水をくむことはできません 。

 

両手ですくって運ぼうとすれば 、水はどんどんこぼれていって、 飲むことができません。

 ガラスのコップのおかげで 、どこでも水が飲めるのです 。

そのガラスのコップがあるのも 、珪砂というガラスの原材料を 取ってきてくださった方がいるわけです 。

 

要するに 、どんなことでも 「自分だけでやっている」ことはない。

 コップを作る人 、ガラスを作る人 、材料を取ってくる人…… こういう人たちがいなくては、

このコップの水は存在しないから、 飲むことはできない 、ということになります。

 

 何よりも一番肝心なのは、 水そのものも私たちが 自分で作ったものではないということです。

 雨が空から落ちてきて、 それを飲むことで人は生命を維持することができている。

 

 「私が自分の命を維持している 」と〈私〉がどんなに頑張って主張しても、 この水さえも自分でつくることができない 。

水が上から落ちてきて 初めて、私たちは飲むことができ 、生きていられるのです。

 

 〈私〉の思いとか能力とかが、 この水に関して何か参加していますか ?

そういうことを考えていけば 、「私の人生に 、私はどこにも関わっていない 」と確かに言えると思います 。

そう考えると謙虚にならざるを得ないでしょ う。



あなたにもついている 「六人の守護者」

 

〈私〉たらしめてくださっている存在 

ーー神、仏、守護霊さまーーこの目に見えない三者と、

 〈私〉を取り囲んでいる人間関係

 ーー友人、知人、家族ーー この六者によって〈私〉の人生は成り立っているのです 。

 

 

(※神ーー日本古来のカミは、ひとことで言えば、自然現象を人格化したもの。

『古事記』『日本書紀』に登場するカミや、神社に祀られるカミはむろんのこと、太陽や月や、風や雨や海や、大きな木や岩や、動植物も人間も、並み外れたものはみな、カミである。

江戸時代の国学者・本居宣長(もとおり・のりなが)はこのように、日本のカミを定義する。彼によると、人間に「あはれ」と感動を与えるものはみな、カミなのだ。nippon.com)

 

(※仏 ーーブッダが漢字に音写された「浮屠(ふと)」、「浮図(ふと)」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた。

 

日本では「ほとけ」は、死者またはその霊をも意味する。

ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、日本の中世以降、死者をまつる器として瓫(ほとき)が用いられて、

それが死者を呼ぶようになったという説もある。

 

しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、仏教が伝来した当初は

仏も神の一種と見なされたこと(蕃神 = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、

ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。wikipedia)

 

(※ 守護霊ーー守護霊は、人などを守ろうとする意思を持っている霊的な存在のことで、

スピリチュアリズム、心霊主義、ヨーロッパなどキリスト教圏、あるいは民間信仰でしばしば言及されているものである。

 生まれつき何らかの要因(生まれた時期や季節など)によって所定の霊が付くと考える人や、

先祖など当人に縁のある故人であると考える人、また当人の行いによって良い行い(徳)を積むことで良い霊が集まるという人もある。

いずれにせよ当人が災難にあわないよう守ってくれている、と考えられている。wikipedia)

 

(※友人ーーともだち。)

 

(※知人ーー互いに知っている人。)

 

(※家族ーー同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。)

 

 

そうすると 、〈私〉が自分の人生に参加できるのは その六者に「 私をいつも何とかしてくださって 、ありがとうございます」と、 ただひたすら感謝する……。それしかないでしょう。

 他の存在の 協力がなければ、 何事も成り立っていかないのです。

 

現実問題として、 周囲を取り巻く全てのものに対して 「ありがとう」と言える〈私〉になったら 、

たとえば、営業成績とか 収入とかの三次元的な数字が どんどん上がっていくという事実があるようです 。

 

常に応援してくれている味方に 感謝の言葉を投げかけているのですから 、その方だって 、さらにやる気になって応援してくれます。

 自分一人で頑張っているときとは、全然違うようになります 。

 

〈縁起の法則〉が本当かどうかわからない人にも 、実践すればものすごいプラス効果があるようです 。

私たちが感謝すればするほど 、周りの人たちは盛り立ててくれるので 、実際にとても楽に生きられるようになります。

 これまで以上に、支えてくれることは事実のようです。

 

すべてを味方 すべてが味方 (知的生きかた文庫)

すべてを味方 すべてが味方 (知的生きかた文庫)

  • 作者:小林 正観
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2011/10/21
  • メディア: 文庫