ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

悪魔教ってなに

『古代シュメールは日本に封印された』( 太田龍 、1995)

悪魔教って、 皆さんはどんな印象を持ちますか 。

私は実感がわきませんでした。

この本は、 人類最古の正当な文明はツラン文明であると、そこからはじまります。

もう分かんないですよね。

ツラン民族は、日本列島に到着し大和民族を生んだ。

ツラン文明は宇宙の公理に随順する文明であった。

ここです。

宇宙の公理、言葉を変えるなら、秩序とか、法則。

そこから神界が生まれたという仮説です。

しかし、 一系の西洋文明はこの正道を逸脱し邪道に流れた。

ここです。

邪道、宇宙の公理から踏み外したもの、そこから悪魔教が生まれたようです。

 

〈以下一部抜粋・要約〉

 

日本民族は独自の世界史像の枠組と神話の再構築を必要とした

 

安政の開国以来 、日本民族は欧米文明の消化吸収に向かって猛然と突進した。

欧米を消化せよ!

欧米の文物文明を日本の栄養とせよ!

消化吸収できるものはよい。 だが、消化できないものは何としよう?

 

大方の日本人は、 今日までのところ 、本能的に 『聖書』の神話を遠ざけ 、それを食べないようにしている。

 つまり 我々はまだ それを料理する術を見出せないのである。

普通の日本人の目には『 聖書』は とても口に入れることの出来ない恐ろしげなゲテモノとしか映じない。

 

「 エホバが全ての国に向かって怒り、 全ての軍勢に向かって憤り 、彼らをことごとく滅ぼし、 彼らが虐殺されるままにされた。

 彼らの殺されたものは投げやられ、 その死体は異臭を放ち、 山々は、その血によって溶ける」(「 イザヤ書」34-2~3)

 

などとあるのを読むと、こんなものをいったいどうしろというのか! と常識ある日本人なら思わないわけにいかない。

 

人類始原のアジア文明 「天の子の国」に悪魔教は存在しなかった

 

アジア自生の東大国文明とその神話 、宇宙観は、聖書世界とは一見・一読して、完全に異質だとの印象を受けるが、それはなぜであろう。

それは聖書世界には悪魔界が異常に発達していて、『 聖書』とその関連文献、経典に触れ 、そしてそこに踏み込むほど、その感を強くしないわけにはいかないのに反し、 アジア始原文明には 悪魔界はほとんど存在しない 。

その萌芽があったにしても、 少なくともその芽は大きく伸びてはいないからではなかろうか。

 

畜産民の論理が、 砂漠と牧場的生活環境の中で 人間至上主義 ・悪魔崇拝に簒奪していく

 

カナン人→フェニキア人→今日のユダヤ 、と続くこの系統の思想ないし世界観の本質は 、「人間至上主義」ないし「世俗的人間至上主義」である、とマリンズは述べている。

ヒューマニティリアリズムは 任意の他人の苦しみに同情し、 それを軽減してあげたいという気持ちから生まれてくるのに反し、ヒューマニズム (人間至上主義 )は悪魔崇拝及び 古代バビロニアの 小児 殺害宗教儀式から発して、 究極において敵を苦しめることを最終目標とするに至る。

 

『仏典』は人間至上主義の内実を 、「貪瞋痴」の三毒とみた。

 

そしてこの「貪瞋痴」 (どんじんち)を野放図に放置しておくと 、人界は 修羅→畜生→餓鬼→地獄へと限りなく転落し、 ついに第六天の魔王の支配に入る、と警告している。

 瞋は憤怒を意味し、増悪とも表現できる。

貪はむさぼり、痴は嫉妬であり無際限の強欲である。

 

悪魔の本質は、神仏への増悪・反逆・殺意であり、神仏の座の簒奪である

 

日本民族は 『仏典』で地獄というものがあることを承知している 。

念のために註記しておくと 、地獄は天国や極楽の対象物ではない 。

地獄の逆その正反対は 仏界である 。

 

悪魔の本質は 神仏への増悪であり、 神仏への反逆であり 、神仏への殺意であり、 神仏を弑虐して己がその座を占める簒奪の意思である。

 

ユダヤにおいて究極の地点まで完成された悪魔界は 、それゆえ『仏典』の「 十界互具説」(過去現在未来の三世観を含めて、 一念三千 といい、三千世界とも称するが )

にいう世界の枠からはみ出てしまっている 。

つまり、 ある意味では 妙法蓮華経 を含む『仏典』・仏法はユダヤ悪魔教を料理できないのである。

 

では神界はどうか。

 

日本20万の神社によって 悪魔を寄せ付けない神界が張り巡らされた

 

神社ーーー。

もとより、 その数が多ければ良いというものでもではないが、 おそらく江戸時代に、日本全土の神社の数は頂点に達した (20万社)、そして明治以降激減しはじめた。

 

イエスの「再臨」「最後の審判」とは、日本神界の悪魔払いを意味していた!

 

4000年前、メソポタミアの地で 古いアジアの神界は 悪魔界との戦闘に敗れた 。

これをきっかけにアジア神界は勢いづく悪魔界 に、なだれを打って敗退してゆく 。3000年前、アジア神界は日本列島に立てこもる。

 日本列島に、いわば結界が張られたのである。

『新約聖書』にいわれる 「イエスの再臨、そして悪魔を退治する最後の審判」とは 、日本にひそむ神界と 悪魔界の決戦 、そして神界の勝利以外のなにものでもないのである。

 

わたし(チキハ)の感想です。

疑うことを知らない純朴なお人よしのキリスト教徒 、というくだりがあるんですけど。

わたしも そうですね。

特に恐ろし気なものは、見たくなかったし、見ずに済んできたとも言える。

砂漠は苦しみが多かったろうな、と思います。

水はなく、日陰を作るものもなく、非情に太陽は照りつける。生きるにはあまりにも過酷。

それが増悪になったのか、自然を憎んだか。

そんなことを思いました。

日本には、植物や、動物、山の景色がある。

水は豊富にある。有り難いことだなと思いました。