『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ルドルフ・シュタイナー、訳 高橋巖、1988 )
怪しい感じがしますよね。オカルト(隠されたもの・神秘的現象)って!
この表題が雑誌に掲載されたのは1904年のことです。
「思考と原子と媒介する素材性さえ理解できるようになるなら、人は原子に働きかけ、原子に或る種の変化を与える方法を発見するだろう。
人類がもしもふさわしい道徳的進歩なしに霊的能力を向上させこの自然力の開発に成功したなら恐ろしい結果が生じる。」
霊的能力と聞くと科学的ではない曖昧なものといったイメージを持っていました。
霊が見えちゃう、といったような。
しかしここでいう霊的能力とはそれとは違うようです。
その35年後、1939年原子炉が造られます。そして核兵器も。
シュタイナーが警告していたことはこのことでしょうか。
霊的能力とはどういったものなのでしょう。
この本は一般の人向けに書かれています。
私たちも霊的能力を使えるようになるのでしょうか。
しかしそれは拳銃を手にするようなものと言います。
「神秘学の真理に向かって汝の認識を1歩進めようとするなら、同時に善へ向けて汝の性格を3歩進めなければならない。ーー本書はそのための武器として書かれた。」
*は、わたしです。
〈以下一部抜粋・要約〉
神秘修行者の夢に現れる変化
前章に述べた発展段階に到達した兆候、もしくはやがて到達しようとする兆候は修行者の夢の中に現れてくる。
これまでの混乱した、恣意的な夢が今や規則的なあり方を示し始める。
夢の形象が日常生活の記憶表象と意味深く関連するようになる。
夢の法則、夢の原因と結果が認識できるようになる。
そして夢の内容もまた変化する。
ーー蓮華(*チャクラ)が開花した時はじめて、物質界に属さぬ情報が夢の中に記されるようになる。
次いで進化したエーテル体を通して、霊界に由来するこの記録についての豊かな知識が生じる。
*人間の高次の部分「魂の組織、アストラル体。霊的部分、思考体。霊妙な体、エーテル体」本書より。
アストラル界とは、人間の衝動、感情、欲望、情熱と本質的に同じものがすべて存在している世界であるといえよう。
水晶や植物の中に物質的な色や形だけではなく、霊的な力を見る。
彼にとっては動物や人間の衝動も、その衝動を担う存在の地上的な生活の表現であるにとどまらない。
物質界で机や椅子を見るように、そのような衝動そのものを直接対象として知覚する。
動物や人間の本能、衝動、願望、情熱の全体は、それを担う存在を覆い包むアストラル的な雲となりオーラとなる。
エーテル体とは、見霊者の前に肉体の一種のドッペルゲンガーとして現れるところの霊妙な体のことである。
*ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger )
ドッペルゲンガー現象は、古くから神話・伝説・迷信などで語られ、肉体から霊魂が分離・実体化したものとされた。ウィキペディアより。
それは肉体とアストラル体との中間の段階にある。
見霊能力を持つ人は、意識を完全に保ちながら、自己暗示的に目の前にいる人の肉体を消し去ることができる。
彼が眼前の人間に対してこの態度をとるとき、彼の霊眼に、いわゆるエーテル体が、そしてさらにまたそれよりもはるかにひろい範囲に亘って広がりながら、肉体とエーテル体に浸透しているアストラル体が見えてくる。
エーテル体はほぼ肉体と同じ輪郭と大きさを持ち、ほぼ肉体が占めるのと同じ空間に位置している。
それは極度に繊細で微妙な有機的組織である。
神秘修行における人格の分裂
睡眠中、人間の魂は物質的な感覚器官の側からの伝達を受けない。
通常の外界の知覚内容は魂に流れていかない。
魂は、この観点から言いうと、覚醒時の感覚的知覚と思考とを可能にする身体部分としての肉体の外にある。
睡眠中の魂は、肉体の諸感覚では捉えられぬ霊妙な身体部分(エーテル体とアストラル体)だけと結びついている。
霊的知覚器官を持つことができるなら、睡眠中も周囲の出来事や彼自身の活動を、覚醒時に物質的環境を知覚するのと同じ確かさで観察することができる。
これまでも度々述べてきたように、神秘修行とはこのような霊的感覚器官を形成しようとする努力に他ならない。
魂は霊的意味で見えるようにならぬ限りは、自分より上級の霊的存在たちによって導かれている。
そして、手術で目が見えるようになった人がこれまでのように手を引いてくれる人を必要としなくなるように、神秘修行によって修行者の生活にも変化が生じる。
これまでの彼には高級霊たちが、彼自身には意識されずとも、良き影響与えてきた。
今彼はそのような状況から離れる。
彼を導いてきた高級霊は宇宙の調和と秩序の中に生きている。
今、修行者はこの宇宙調和の外へ出る。
これまで彼のために、彼自身の知らぬところで遂行されてきた事柄を、自ら引き受けねばならない。
この前提の上に立って霊学の書物は高次の世界への参入と結びついた危険について、さまざまに語っている。
時には臆病な心を怖じ気づかせるような仕方で霊的生活を垣間見させている。
けれども、このような危険は必要な注意事項を無視したときにのみ存在する、ということを忘れてはならない。
これに反して、真の神秘道を、必要な注意を顧慮しつつ修行する場合には、どんな大胆極まる空想も及ばぬような、圧倒的な力と偉大さを持った諸体験を通して、霊界参入が果たされる。
修行によって修行者のエーテル体とアストラル体に大きな変化が生じる事は当然である。
この変化は魂の3つの基本的な力、意志、感情、思考の進化の過程と関連している。
正しい教育を受けたことの成果は思考と感情と意志との間の人間性にふさわしい結びつきを生徒が身に付けたとき、はじめて現れる。
私(チキハ)の感想です。
1、物質を超えたところに通じる器官がある、それを開発することができる。
2、夢の中で得た情報・知識を、物質界で利用することができるようになる。
何に使おう。
いや、そのまえに各々の魂のステージによるし、修行が必要だわ。