ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

自由市場主義を超えて

 『ショック-ドクトリン』(ナオミ-クライン、2011)

表紙の内側にこう書いてあります。

 

本書は、アメリカの自由市場主義がどのように世界を支配したか、その神話を暴いている。

ショック-ドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義=大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」のことである。

アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危険につけ込んで、あるいはそれを意識的に招いて、人々がショックと呆然自室から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済改革を強行する……。

ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場至上主義、規制撤廃、民主化を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせる「ショック療法」=アメリカCIAによる拷問手法が重なる。

 

経済とは人々を救済する目的であると聞いたことがあります。

一部のエリートは豊かになりましたが貧しい人はより貧しくなったと聞きます。

その経済学(市場至上主義、規制撤廃、民主化)はIMFや世界銀行などにも浸透しており、世界中でこの改革が行われました。

日本では、派遣労働、金融ビックバン、郵政民営化などです。

*は、私です。

〈以下一部抜粋・要約〉

 

1985年、1万4,000%と言うハイパーインフレに陥り、極めて不安定な状況にあったボリビアで歴史的選挙が行われた。

勝利を確信したバンセル陣営は結果が発表される前に、当時ほとんど無名だった30歳の経済学者ジェフリー・サックスを対インフレ経済計画の策定者に起用する。

 

サックスは、第一次世界大戦後のドイツにおけるハイパーインフレとファシズムの拡大の関係について書かれたケインズの著作に大きな影響を受けていた。

戦後のヴェルサイユ体制によってドイツは深刻な経済危機に陥り、数年後の世界大恐慌がこれに追い打ちをかける。

失業率は30%に上り、国民は国際的陰謀だと疑いたくなるような不況に怒りを募らせた。

こうしてナチズムが根付くのに格好の土壌がつくられていったというのである。

経済学が貧困と戦う力を持つというケインズの考えに同調する一方で、サックスはレーガンのアメリカの申し子でもあった。

1985年当時、アメリカではケインズ的なものに対して、フリードマンの考えに影響を受けた反動の嵐が吹き荒れていた。

自由主義の優位性を主張するシカゴ学派の考え方は、急速にハーバードを始めとするアメリカ北東部の名門大学経済学部において疑問の余地のない正統理論となり、サックスも少なからずその影響下にあった。

彼はフリードマンの「市場への信頼、適切な金融管理の必要性の協調」を賞賛し、それは「発展途上世界でよく耳にする曖昧な構造主義的、あるいは似非ケインズ主義的な議論よりはるかに正確なもの」だとしている。

 

サックスはバンセルに、ボリビアをハイパーインフレ危機から救う方法は突発的なショック療法しかない、と単刀直入に助言した。

政策変更は軍隊の奇襲攻撃のように行われるべきだと言うのは、経済的ショック療法を行う際に繰り返し持ち出される考えだ。

 

物価を引き上げればハイパーインフレを収束するというサックスの予測は正しかった。

2年以内にインフレ率は10%にまで下がると言ういかなる基準からしても目覚ましい結果となった。

だがボリビアの新自由主義改革がもたらした、より広範な結果については、大きく議論が分かれる。

ケインズ主義あるいは開発主義の伝統においては、「政府、雇用主、農業従事者、組合など主要な利害関係者を含む人々による話し合い」を通じていかに支援を行い、負担を分かち合うかが探られる。

「これによって当事者たちは賃金や物価などの所得政策についての合意に至り、同時にそうした安定化措置が実施される」。

だがこれとは際立って対照的に、「正当理論では、すべての社会的コストをショック療法によって貧困層に押し付けようとするのです」。

ボリビアで行われたのはまさにそれだった、とグリーンスパンは私に話した。

かつてフリードマンがチリで約束したように、自由貿易が実現すれば、職を失った人には新たな職が創出されるはずだった。

だが実際にはそうならず、大統領選当時20%だった失業率は、2年後には25から30%に上昇した。

最低賃金は二度と元に戻らず、ショック療法が実施された1985年に845ドルだった一人当たり平均所得は、2年後には789ドルに落ち込んだ。

平均所得は国全体の総所得を人口で割って得られるが、これはボリビアにおけるショック療法が、他のラテンアメリカ諸国と同じ影響を及ぼした事実を覆い隠している。

すなわち、ごく少数のエリート階級がますます裕福になる一方、労働者階級に属していた国民の大部分が経済からつまはじきにされて、無用な存在と化してしまったと言う事実である。

極貧に喘ぐ農民たちが、通常の作物のほぼ10倍の収入になるコカ栽培へと追い込まれていった。

 

ショック療法の実施直後、ボリビア国外ではそうした複雑な影響はほとんど取り沙汰されなかった。

語られるのはハーバードからやってきた若く勇敢な学者が、事実上たった1人の力で「インフレで荒廃したボリビア経済を救った」という、ごく単純な物語だった。

この後彼は危機に陥った経済を立て直す専門家として、アルゼンチン、ペルー、ブラジル、エクアドル、ベネズエラの各国に赴くことになる。

 

80年代半ばには、本格的なハイパーインフレ危機が軍事的戦争に類似した影響を及ぼすことを、数人の経済学者が指摘していた。

80年代には発展途上世界、とりわけラテンアメリカの多くの国々はまさにその頃、ハイパーインフレへと突入しつつあった。

危機を引き起こした主な原因は2つあり、ともにその根源はアメリカ政府の金融政策にあった。

第一は、アメリカ政府がこれらの国に対し、独裁政権家で累積した不当な債務を民主化後もそのまま引き継ぐよう主張したこと。

第二は、米連邦準備制度理事会がフリードマンの影響を受けて金利を急上昇させたため、こうした債務があっという間に膨れ上がってしまったことである。

 

 2004年経済の話をしてくれそうなイラク人が見つからないのは、驚くことではなかった。

何しろイラク侵攻の立案者たちはショック・ドクトリンの確固たる信望者である。

イラクは奪い取れるものが山ほどあった。世界第3位の石油埋蔵量だけではない。

イラクはフリードマンの放任資本主義構想を基本とするグローバル市場化の流れに、最後まで抵抗した地域の一つだった。

ラテンアメリカ、東欧、アジアを征服してきたグローバル市場推進派にとって、アラブ世界は最後の未開拓地だったのである。

 

終章ショックからの覚醒

--民衆の手による復興へ--

2006年11月。アメリカにおけるフリードマンの知的後継者、すなわち事惨便乗型資本主義複合体を立ち上げた新自由主義者たちは、かつて経験したことのないどん底の状態にあった。

2006年の中間選挙で共和党は民主党に敗れ、再び議会の主導権を失ってしまったのだ。

共和党の敗因は、第一に政治腐敗、第二にイラク戦争の不手際、そして第3には上院議員に当選した民主党のジム・ウェブの明確な表現を借りれば、アメリカが「19世紀に姿を消したような階級社会」へと近づいているという国民の認識だった。

この3つの破綻の根底にはいずれも、シカゴ学派経済学の柱をなす基本理念--民主化、規制撤廃、社会支出の縮小--がある。

シカゴ学派のイデオロギーが勝利したところでは、どこもハンデをしたように貧富の格差が拡大した。

世界のほんの一握りの人間が膨大な富を独占するに至るまでのプロセスは、これまで見てきた通り平和的とはほど遠かったが、そればかりでなく法に触れることもしばしばだった。

当時、世界中であらゆる規制の縛りから市場を解放せよと先頭に立って訴えてきた人物の多くが、数々の不祥事や刑事訴訟--古くは南米諸国での初期の実験に端を発するものから、ごく最近のイラクのケースに至るまで--で身動きが取れない状態にあったからだ。

2006年までに、こうした各界の主要人物たちの多くはすでに刑務所に入るが、罪に問われるという状況にあったのだ。

2001年、アルゼンチン国民は国際通貨基金主導の緊縮財政に反対して立ち上がり、わずか3週間のうちに5人の大統領を辞任に追い込んだ。

それ以降、ショック療法の実験が行われてきたチリ、ボリビア、中国、レバノンといった国々でも、ショックから目覚めた市民が次々と立ち上がった。

ヨーロッパでは2005年、フランス、オランダ両国の国民投票で欧州憲の批准が否決されたことで、自由市場主義と市民の自由との対決がいっそう表面化した。

 

シカゴ学派の最初の実験場となった、ラテンアメリカでは、反発がはるかに前向きな形をとった。

20世紀は、あらゆる形の社会主義に対する自由市場主義の「決定的勝利」に終わったと言うブッシュ政権の喧伝にもかかわらず、ラテンアメリカ市民の多くは、東欧やアジアの一部地域で崩壊したのはあくまでも権威主義的共産主義であることを十分に理解している。

単に社会主義政党が選挙によって政権に就くだけでなく、職場や土地所有が民主的に運営されるていると言う意味での民主主義的社会主義は北欧諸国からイタリアのエミリア・ロマーニャ州まで、世界各地に存在する。

 

*民主主義的社会主義とは何ですか?

特徴
1.民主社会主義は、個人の自由な人格の発展を保障する社会の創造を目的とする改革を行う。「『改革』が正しいものかどうかを判断する基準は、諸個人の自由な人格の発展に寄与しているかどうか」である。
2.民主社会主義は、新自由主義に抵抗する。すなわち、市民社会の活力を生かすことが改革の目的であるとする民主社会主義は、ほとんどの行政府の権限を民営化する新自由主義に抵抗し、国家の中における民間の役割を重視する。ただし民間を国家機構の枠内で利用することではないのである。国家が民間企業を用いて政策を実現するのではなく、国家は市民社会を支えるものだとする。
3.民主社会主義は、保守改革とは微妙に異なる。保守改革の場合には少数のエリートによる意思決定に合理性があることを重んじて民主主義的な手法を軽んじる傾向があると批判されてきたが、民主社会主義では、より多くの当事者が参加し、判断の選択肢を幅広く取りそろえることに多くのリソースを注ぎ、議論のプロセスを重視する。つまり、時間はかかるけれども、政策形成が拙速にならないように配慮するのである。ウィキペディア

 

今日、ラテンアメリカでは、かつて暴力的に阻止された社会改革プロジェクトが復活しつつある。

各国の新しい左派陣営は、工業や農業をグローバリゼーションの後遺症から立ち直らせ、再び軌道に乗せることに取り組んでいる。

アルゼンチンでは「企業再生」運動が最も吐出している。これまで倒産した企業およそ200社が元社員らによって再建され、民主的に運営される協同組合組織へと変貌した。

ラテンアメリカで復興作業の音頭をとっているのは被害を被ってきた人々自身である。

そして当然のことながら、こうした自発的な解決への取り組みは、まさにシカゴ学派の運動が世界各地でショックを与えたことで首尾よく抑え込んできた「第3の道」--日常生活における民主主義--そのものに見えてくる。

 

*第3の道とは何ですか

第3の道とは、通常は従来の2つの対立する思想や諸政策に対し、両者の利点を組み合わせた、あるいは対立を止揚した、思想や諸政策である。 ウィキペディア

 

ベネズエラでは、2006年の時点で、同国には約10万の共同組合が結成され、70万人以上が雇用されている。

料金所や高速道路の補修、診療所など、国の基盤設備の運営が地域共同体に任されるケースも少なくない。

そのロジックは政府による民間委託の対極にある。

つまり、国の事業を大企業に切り売りすることで民主的管理が失われるのとは反対に、そのリソースを利用者自身に運営の権限を与えるというもので、少なくとも理論理論上は雇用を創出し、住民のニーズに応える公共サービスが提供できる。



私(チキハ)の感想です。

この本の中で日本の記述はありません。

日本人が無菌状態でいるという表現を見たことがあります。

日本は世界一、他の国にお金を貸している、豊かな国です。私たちには危機意識が薄かったのだろうと思います。

自由市場主義の裏には、利益を得る政府や企業が浮き上がって見えてきます。それらの情報はネットで見ることができます。

「人を操りやすくするために情報を遮断する心理戦」は、今の時代にはもうできません。

私たちは次の時代に急速に進みつつあると思いました。