『三光』(中国帰還者連絡会、1984)
私はこの手の本がとても苦手です。できることなら避けて通りたいのです。
敗戦当時日本人が侵略地、中国でしてきたことを一般人は知らされていませんでした。
『三光』が出版されるとたちまちベストセラーとなります(この本の前に『三光』は2度出版されています。どちらもベストセラーです)。
事実を知りたい、向き合おうとする日本人の気持ちに私は打たれました。
偽政者、偽学者に騙された一般市民。
しかし日本人の「特有性」としてあげられているのは、それら戦犯たちが他国のように公職追放されることなく、
政界に帰り咲いていることです。
*は私です。
<以下一部抜粋・要約>
この本は第二次大戦中に中国で行われた日本軍の残虐行為について、当の行為者自身が自らを裁いた希有の記録である。
細菌戦 731部隊の蛮行
田村良雄 防疫診療助手 兵長
<略歴>
1939年5月 元関東軍防疫給水部本部 (731部隊) に入隊
1943年3月 退職
1944年3月 元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月 元関東軍125師団軍医部兵長
1946年9月 東北人民解放軍独立3師衛生部に混入
1952年6月 逮捕さる。河北省永年県において
本籍=千葉県長生郡 出身階級 =雇農 年齢= 34歳
人類であるなら許すことができない細菌戦を任務としていた731部隊は、ことさら秘密の漏洩を恐れておりました。
本部の入り口には『関東軍司令官の許可なきものは何人といえども立ち入りを禁ず』の立て札が立っており、
灰色の3階建ての近くのビルは一見普通のビルと変わりはありませんが、一里四方には深い壕を堀り、高圧電流をめぐらし、常に人の生命を狙う悪魔のうなり声を立てていました。
全世界の人々が人類を病魔から救おうとして血みどろの戦いをしているとき、日本侵略者はこの医学の成果を逆用し、
1939年には、ソ同盟、蒙古人民に対して大々的な細菌戦を推し進め、1940年以来は細菌戦の手段を持って中国人民を消滅しようと企図し、
中国人民の頭上に猛毒細菌をばらまき、死と病苦の中に陥れ、人類歴史上いまだかつてない大犯罪をあえて行いました。
これにもあきたらない日本侵略者は、1942年4月、またもや大々的な細菌戦を画策し、猛毒細菌の製造と研究に血みちをあげてきました。
*このあと生々しい記述が続きます。毒性を確かめるための人体実験、性病実験など。
謀殺 予防注射を口実に毒殺
中島宗一
謀略、これこそ侵略者が他民族を犯し、自己の利益を貪るために用いる常套手段であります。
当時、東北三省に君臨し、精鋭を誇る張学良軍に、わずか一夜にして壊滅的な打撃を与え、満州事変の発端とした事件も関東軍が計った謀略であり、
さらに隠遁中の清国皇帝の末裔を担ぎ出し、皇帝とし、満州国を建国しました。
日本帝国こそが貧困と軍閥の抑圧にあえぐ東北三省のあたかも救世主のごとく装っていたその陰で、
731石井細菌部隊をつくり、反満、反日、匪賊、スパイなどの罪名をつけ、数多くの民衆を捉え、裁判にもかけず生体実験に供し、虐殺を重ねてきたのも関東軍なのです。
昭和31年、中国戦犯としての抑留から起訴猶予となって帰国した私が、当初最も感じることの1つは、星条旗のマークのついた空飛ぶ軍用機、ジープに乗って走りまわっているアメリカ兵を見て、
彼らはいったん有事となったとき、我々日本国民のために、はたして最後の血を流してまで戦ってくれるだろうか、という深い疑念を抱かずにはいられなかったことです。
日米安保条約、米軍の核の傘が我々日本国民にとって、何を意味するか、私は自らの体験を通じ、強く反対せずにはいられません。
私がかつてソ連に抑留中、1ソ連人から耳にした「いかなる国にせよ、他国の軍隊が駐留する限り、平和は絶対に来ない」の言葉は、一生私の耳から消えません。
若い世代の人々よ、支配者の謀略を警戒されんことを!
私(チキハ)の感想です。
この本を読んだ後では、今世界中で起こっていることを考えずにはいられません。
自然界のモノであるとされた武漢ウィルスが人工物である、という事実が表に出てくるようになりました。
人工的に作られた毒性を持つウィルスが、誤って外にもれることは考えにくいと思いました。
救世主(助けを求める人を救う)その人の与えるモノは、本当なのか。
そう見せかけているのではないか。そう考えてしまいます。
日本の本当の支配者とは一体誰なのでしょう。
そんなことを今まで考えたこともありませんでした。
人の心の闇に光を当てた勇気ある告発者のおかげで、私たちは闇を見ることができるようになったと思いました。