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砂漠の民と森の民、文明の転換期

『資本主義以後の世界』(中谷巌、2012))

西洋文明の基本とされる思想はヤハウェを神とする一神教のユダヤ教からでした。

そしてキリスト教へと移ります。

ユダヤ教は砂漠の民の宗教でした。

過酷な砂漠で生き残るための絶対的な方向を示す神です。

自然を克服できる、神にあらがうような強靭な人間を求めました。

日本人の自然とは征服するものではなく崇め、共存するものでした。

西洋文明の「交換」の思想は、資本主義の基本となっています。

それまで日本にあった「贈与」の精神はなくなっていきました。

しかし東日本大震災で見られたのは、無償で提供する精神が流れていることでした。

資本主義が行き詰まり文明の転換が迫られるなか、贈与の精神が重要なのではないかと作者は語ります。


<以下一部抜粋・要約>

 

日本の抵抗で遅れた世界侵略史のシナリオ

日本を開国させ、植民地化させることができれば、「西洋による非西洋諸国の征服」という世界史のシナリオは完結する。

なぜなら、日本が彼らから見て最も東に位置する国、すなわち「極東」の国だからである。

西洋からすると日本は未開拓の最後の砦であった。

この流れの中で、1853年、ペリーが浦賀に来航した。

幕末から明治維新にかけて西洋列強の強大な軍事力軍事的圧力に驚愕した日本人は「うかうかしていると植民地化される」という危機感を募らせた。

そこで幕末・維新の志士たちは、西洋列強に猛然と抵抗すると同時に、老朽化した幕藩体制を打倒して日本を近代国家としてスタートさせようとしたのである。

新生・日本は日清戦争、日露戦争に相次いで勝利し、世界の五大一等国の一角に位置するまでになった。

結局はその後、日本は日米開戦に引きずり込まれて壊滅するからである。

このような形で世界の近代史を顧みるならば、日本が対米戦争に突入していったのは、日本が軍国主義に走り、国際協調の精神を持たず、中国への侵略など、様々な「間違い」を犯したからという、戦後日本で流布した「自虐史観」が少なからず一方的なものであったことが理解できるのではないだろうか。

本格化する「途上国の逆襲」

注目すべきは、第二次世界大戦が終わった時点で植民地支配の時代が終わったということである。

植民地帝国主義の時代が終わったという点に関して言えば、日本が先の戦争で西洋列強からアジアの国々を解放したという事実が非常に重要だ。

また、世界の覇権国にのし上がったアメリカが基本的に植民地主義的なスタンスを取らなかったという点も重要である。

世界の富の過半を占有していたアメリカ

終戦直後、日本に進駐してきたGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーは当初、かつての軍国主義・日本をいかに弱体化させるかということばかりを考えていた。

それで当初は日本を骨抜きにするための占領政策を行った。

教科書の検閲、言論統制、平和憲法の制定、日本の国威を発揚させるような歴史教育や道徳教育の禁止など、日本人の洗脳に注力した。

日本が世界第二の経済大国に返り咲いた理由

アメリカの市場開放、経済支援、寛大な技術提供のおかげもあって、日本の経済力は飛躍的に強化された。

1945年、敗戦の時点で日本は一面の焼け野原だった。

ところが、敗戦後、わずか23年後の1968年に、日本は資本主義国の中では世界ナンバー2の「経済大国」にのし上がったのである。

一神教は「土地」を離れ「天」を崇める強靭な「人間」を求めた

ヤハウェが登場する前、人間は土地に根ざし、地や水や森林など豊かな自然の恩恵に浴しながら生きていた。

そこで土地の豊穣を祈る人々の思いから「大地母神」が生まれ、ここに「人」「土地」「神」の三位一体の関係が生じる。

いわゆるアニミズムの世界である。

3000年位前までの世界の宗教観は、日本も含め、大略、そうした構造になっていた。

ところが、その頃から、シナイ半島や中東など一部地域で砂漠化が始まり、だんだん森が消えていき、砂漠の民が誕生する。

森の民と異なり、砂漠の民にとって大事な神は「土地」の神ではなく「天」の神である。

というのも砂漠とは、右に行けばオアシスがあるが、左に向かえば熱さの熱砂が待っているといった過酷な世界であり、砂漠の民は常に「右へ行くべきか、左へ向かうべきか」という二者択一を迫られている。

「右に行ったらオアシスがあるから、右へ行きなさい!」と、誤ることなく指図できる神こそが望まれていたのである。

「土地を呪う宗教」が科学精神と個人主義を生んだ

長谷川教授は、「ヤハウェは土地を呪う神である」とも書いている。

砂漠の宗教であり、かつ『旧約聖書』をバイブルとするユダヤ教は「天の神」を崇める一神教であるため、

土地に根を下ろして森や林や湖といった自然と調和しながら暮らしていた人たちの自然観、宗教観とは180度異なる。

砂漠は過酷であり、ユダヤ教は自然を克服すべき“敵”とみなす。

そしてこの“敵”と戦うためには強靭な精神を持った人間でなければならない。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、そのキリスト教がローマ帝国の国教として採用され、西洋世界のバックボーンとなっていく。

したがって、自然を慈しみ、自然と調和的な生活を求める日本人の自然観と自然を征服の対象と見る西洋的な自然観の間に大きな、埋めがたい溝があるのは当然なのである。

「文明の転換」をいかに実践するのか

本書が一貫して主張してきたのは、過剰な「交換」の思想から「贈与」の精神への「文明の転換」こそが現代世界の様々な問題を克服する上での前提条件ではないかということだ。

そして、我田引水に聞こえるかもしれないが、この「交換」から「贈与」への「文明の転換」を主導できる国は日本以外にはないのではないかということである。

なぜなら、日本は明治以来、西洋的思想を取り入れ、急速な近代化を果たしたが、それまでの日本人の生活ぶりはグローバル資本主義を推し進めてきた西洋的思想とは対極にあったからである。

自然は征服の対象ではなく、共存すべき対象であり、社会は庶民が中心に位置し、階級社会的色彩は希薄だった。


私(チキハ)の感想です。

明治以前の日本はとても貧しかったと聞きます。

食べるものもなく、幼い子供が奉公に出たりしました。

第二次大戦前を描いたアニメなどでも日本の貧しさが描かれています。

西洋文明、産業革命、工業化によって大きな恩恵を受けたと思います。

先人たちのがむしゃらな働きのおかげで、物資の豊かな日本に暮らしていると思います。

そしていまは、フードバンクに人が並んでいるのに、食物や衣料が大量に破棄されるようになりました。

ふと足を止めて見ています。

このまま行くの。

森の民、という言葉が心に響きました。

筆者の「日本から」というメッセーが耳にのこります。

砂漠の民でも、砂漠になる前は自然と共に暮らしていたのです。

砂漠の緑化を考える人々もいるのでしょう。

今度は森の民が、砂漠の民に豊かさを与える順番なのかなと思いました。