『だから中小企業のアジアビジネスは失敗する』(近藤昇、2013)
日本人が農業から離れてしまっていることは、よく聞きます。
アジアで農業を展開している日本人は、環境に配慮した方法を行っているというのが新鮮でした。
急速な経済発展をしているアジア諸国の人々は、日本を尊敬しつつも二の舞をしたくないと思っています。
そして、農業の大切さを知っていて、安心安全な食を求めています。
戦後の高度成長を果たし、その後低迷を続けるといった経験をした日本人は、それをどう生かせるのでしょうか。
<以下一部抜粋・要約>
第一次産業の重要性を見直す
日本はすでに社会が発展している事は必ずしも良いとは言えない時代になっている。
地球資源、電気の無駄遣い、ストレス社会、清潔すぎて病気になりやすいなどと、発展しすぎてマイナスとなっている面をまず日本が反省しないといけないし、その上でアジアの人々も日本から学びたいと言っていることを理解しないといけない。
私は第一次産業が21世紀において大変有望な産業のひとつと考えている。
これは私もアジアの経営者たちから教えてもらったことだ。
彼らは今の事業は小売、レストラン、建設と様々だが、必ず農業ビジネスはどう考えているかと聞いてくる。
農業ビジネスのことを考えていない人はもぐりではないかというくらい、アジアの経営者は農業のことを口に出す。
対して、農家出身者や、関係者は別として、日本の経営者はこの30年ほとんど農業ビジネスに焦点を当ててこなかった。
アジアの社長たちには経営を始めた時から農業はビジネス構想の真ん中にある。
いつか成功したら農業をしようと言う人はたくさんいるし、日本企業に魅力がなくても私が農家出身だと言ったら途端に真剣に話を始めた経営者もいる。
日本とアジアの国々の、この考え方の違いには驚かされた。
地球観と言えば良いだろうか。
日本は、食料を買えばいいという考えになってしまっている。
アジアはいまだ農業従事者が多く、国家的にも主たる産業だ。
これだけを見てもアジアは日本の40、50年前の世界ともいえる。
このギャップを日本の経営者はわかっていないといけない。
アジアの経営者は食料を自国で賄うことの重要性をわかっている。
東南アジアの人々の考え方が日本に近づく事は無いから、日本人がそれぞれの国に対して貢献できることについて考えるべきである。
だからといって日本の農業技術を教えるという名目で単純労働力だけを頼みにするのは、自国本位すぎるということだ。
実際に私は日本が提供できるものはたくさんあると思っている。
農業にしても、今日本の最先端のトラクターは必要なくて、40年前の日本がそこにあるとしたら20年、30年前の農業のやり方を持っていけばそれで充分なのだ。
日本の果たす役割とは
アジア各国を転々とめぐっていると、現場のさまざまな方から日本と日本人について色々と話を伺う機会が多い。
その話を聞くと、海外、特にアジアに身を置くと、日本と日本人がアジアにどう関わればよいかというテーマを常に考えさせられる。
アジアの人々の多くは、日本という国を尊敬の念を持って接してくれる。
そんなアジアへ対して日本が果たす役割とは何だろうか?
戦後、驚異的な経済復興を遂げた日本だが、その過程で大きな犠牲も払ってきた。公害問題や過度なストレス社会の到来。
そして、バブル期を頂点にして、長期の景気低迷期に突入する。
次は、世界のどの国も足を踏み入れたことのない少子高齢化社会の突入を経験することになる。
悪いことばかりではない。
良い面も数多く存在する。
そのひとつが「匠の技」を大切にするモノづくり文化である。
日本製品が世界に名を知らしめる根底には、古来から続く日本のモノづくりに対するこだわりがある。
こうして考えると、日本がアジアで果たすべき役割が鮮明になってくる。
日本の強みは『やがて訪れる未来における経験』である。
理想の農業をタイの大地で実現する
タイの首都バンコクから車で2時間ほど走ると、国立公園にも指定されているカオヤイ山脈にぶつかる。
この山脈の中腹には見事に区画整理された農地が広がり、数十種類の野菜、果物が栽培されている。
大賀氏(ハーモニーライフ社)が農業を志すきっかけとなったのは1992年にブラジルで開催された「地球環境サミット」にある。
当時12歳だったセヴァン・スズキ氏の伝説のスピーチに感銘を受け、環境保護で自分ができることを模索し始めたのだ。
スタート当初は悪戦苦闘の連続。
何度も挑戦するが、思うような野菜は育たない。
そのため、市場で売ることができない。
タイで農業を始めて5年ほどした時、「これはもうダメかもしれない」と思ったという。
資金も尽きる寸前。
そこで大賀氏が行き着いた答えは「生命力のある元気な野菜を作ること」だった。
農薬を使えば害虫は駆除できる。
しかし、同時に野菜も弱っていく。
弱った野菜に虫がつく。
結局、この悪循環を断ち切るしかないのだ。
そのため、土壌改良からやり直し、新しい野菜作りに没頭した。
それがピンチをチャンスに変えた。
「未経験だったからこんなことができた」と大河氏は言うが、確かに農業経験者ならばここまでのことができたかは首を傾げる。
そして、「自然と人間の調和」を理念に掲げる大賀氏だからこそ、やり遂げることができたのかもしれない。
この国の一次産業をアジアにおける一大産業に
ーー国際農業アントレブレナー
この肩書を聞いてぴんとくる日本人はまだまだ少ないだろう。
この肩書、ジャパンファームプロダクツの代表取締役である阿古哲史氏のもの。
「農業はやり方次第で、無限の可能性が広がっている」と実感できる一方で、「プレイヤーであり農家は疲弊している」というギャップに悩み始める。
少しでも解消するために地域の農産物の直販を開始するなど、色々と試した。
そんな中出会ったのが、中国でイチゴを栽培し、販売展開している農業起業家だった。
アジアマーケットの関心が高まった阿古氏は中国の各都市を渡り歩き、様々なマーケットをつぶさに調査する。
そこで見たものは、安全で安心な農作物を求める消費者の声だった。
しかし、そこには日本の農作物が届いていない。
「ならば、やってやる」と決意した阿古氏は、アジアと日本の農業をつなぐジャパンファームプロダクツを設立した。
あとがき
日本とアジアの往復が頻繁になり始めて、もう10年が経つ。
成田空港、関西国際空港に降り立ち、日本の生活に戻ると常に実感する。
「日本は恵まれた国である」と。
あらゆるものがオートマチック化され、サービスも過剰なまでに行き届いている。生活していれば便利極まりない。
特に、アジア各国での生活を経験すれば、そのことに大きな価値を見いだすことができるようになる。
拠点を置くベトナム・ホーチミン市は急速に発展を遂げているが、まだ電車もない。
バスは時間通りに来ない。
日本ほど衛生的ではない。
飲食店やホテル等でのサービスもまだまだである。
しかし、考えてみてもらいたい。
日本もかつてはそのような国のひとつではなかったか。
インフラもサービスもひとつずつ積み上げてきて、今の日本がある。
昔の日本も衛生的ではなかった。
それは、年配の方の話を聞けばよくわかる。
少し前に『ガラパゴス化』という言葉が流行った。
孤立した環境で最適化を進めていくと、いつしか他の環境との互換性、順応が全くできないものになることを比喩した日本のビジネス用語だ。
しかし、人類の進化に大きな役割を果たす技術革新が生まれるプロセスには『ガラパゴス化』が必要だ。
問題は『ガラパゴス化』により生み出された製品やサービスを、世界の人々に享受できるようにビジネスに転嫁させることができないことだ。
アジアでビジネスを展開しようとする際は、日本人の眼鏡ではなく、各国に併せた眼鏡を用意したい。
私(チキハ)の感想です。
著者はブレインワークスグループの設立者です。
日本とアジアにおいて中小企業総合支援サービスを展開する事業グループです。
日本人がアジア諸国に行った時、何十年も昔の日本に降り立ったように思うというのは、面白いと思いました。
日本の高度成長を作り上げてきた人たちが、アジアにおいてとても尊敬されていると書いてあります。
今の日本人は、アジアを不便で不衛生と思うというのはわかります。
しかし、そんなことをものともしない人たちもいるのです。
インターンをアジアでする学生というのもあって、とても面白いと思いました。