『ベトナム進出 完全ガイド』(会川精司、2008)
「ベトナムは中国プラスワンとして期待され、中国に代わる重要な生産拠点の国。日本の戦略的パートナー」
と書かれています。
ベトナムは社会主義共和国です。
ベトナム外務省をのぞいてみると「2020年は、近隣諸国がマイナス成長の中、ASEAN内で最も高い成長率を記録した。1992年11月以降経済協力再開。日本はベトナムにとって最大の援助国」
とありました。
<以下一部抜粋・要約>
コラム3
ベトナム人気質について
ベトナム従業員の労働能力・勤労に対する姿勢と性格に関しては司馬遼太郎氏の次の随筆が面白い。
実像と幻影:朝7時ごろに町が明るむようだが、まだ暗い6時ごろにはもう町(サイゴン)はホンダの爆音に包まれる。
司馬氏は1973年4月1日に南ベトナムを訪問しており、その2日前に米国軍はベトナムから総撤退を完了し、これから2年間余りは南北ベトナム人同士の内戦という時代である。
司馬氏の随筆は続く。
農村が前線になってしまっているために2百万人ぐらいが流出している。
つまりは農村の時間をサイゴンに持ち込んでいるのである。
であるのに馬鹿忙しく駆け回っているのは、おそらく収入の面からいえば空走りが多いに違いない。
同時に空走りでも何でもいいからじっとしているのは嫌いだというベトナム人の働き好きからもきている。
このおそろしいほどに機械の修理などに器用で、物事の主題をのみ込む上で利口で、そしてあきれるほどに働き好きのこの民族が、この豊穣な土地の上に近代国家をつくれば東南アジアで抜きん出た国になるにちがいないことは、誰もが考える。
やたらに車で走り回って無用にガソリンを浪費している日本人と同様、南ベトナム人もただ闇くもに走り好きで移動好きなようでもあり、この点でこのアジアの両民族はお互いよほど素頓狂なのではないかと思われたりする。
ベトナム人のバイクの空走りは現代のハノイ市及びホーチミン市でも相変わらず見られる凄まじい光景である。
ベトナムの労務管理に求められるもの
筆者がその事業活動に好感を持ったベトナム人経営者でグエン・ミン・ヴィエト社長の分析もご紹介する。
同氏はハノイ出身で在越日本大使館の応募で東京工業大学に留学し、その後ソフト開発会社で3年ほど修行し、ホーチミンで日本向けアウトソーシングのソフトウェア開発会社を設立し、現在は30名ほどのベトナム人技術者とともに活動している優秀なベトナム人起業家である。
ヴィエト社長が見るベトナム人労働者の特性
ベトナム人労働者の素晴らしい点を紹介しよう。
- ポテンシャルがある
- 頭が良い、勉強好き、新知識に興味を持つ
- 勤勉である
- 手先が器用
- 日本文化と同じところが多い(例えば、現在のベトナムは日本の第二次大戦後と似ている、大乗仏教・儒教文化圏)
- 反日感情なし
一方、ヴィエト社長がベトナム人従業員に指摘する欠点は厳しい。
- 言い訳・気取りが多い、人の意見を聞かない
- 言われることしかやらない
- 批判好きだが、建設的な提案がない
- 質問下手、調査せず何でも質問、質問せずに自分勝手に行動
- 人に教えない(協調性、組織に対する貢献意欲が無い)
- 周りと調整したり、自己管理することが下手
- プロでない(約束を守らない、勉強の目的性が明確でない、品質意識が低い、セキュリティー意識が低い)など
ベトナム人労働者が見る日本人経営者の特性
さて、社長の観察によるベトナム人労働者が見る日本人経営者の特性についても触れてみよう。
なかなかうがっていると思う。
- 決定までの時間がかかり過ぎる
- 細か過ぎる
- 形式重視
- 本社を重視し過ぎる
- 外国語が下手、日本語に頼り過ぎ
- 創造性欠如
そして、日本人を理解するのに10年かかる。
例えば、代表的なものを列挙しよう。
- 義理人情
- 行間を読む
- 信頼社会
- 集団組織意識が高過ぎる(「群れる」、筆者の表現)
日本人、ベトナム人が在ベトナム企業で求められるもの
日本人経営者がベトナム人従業員に求める理想像は以下の通りである。
- 自力で問題を解決し、言い訳をしない
- 上司の要求の行間を読む
- 誠実、責任を持つ
- 周りと協調する
- 信頼出来る
コラム12
回帰の心
本稿の最後に筆者がセミナー講演を終了する前によく紹介させていただく司馬遼太郎氏の「人間の集団について、ベトナムから考える」の最終稿をご紹介して本稿の締めくくりとさせていただく。
実をいうと、セミナー終了時に皆さんの前でこの稿を読むたびにいつも目頭がジーンと熱くなるのである。
回帰の心:サイゴンでベトナム人の社会のすみに座っていると自分の中で錆びついていた心の優しさが、さざ波の立つようにして生き返ってくるのを感じる。
ベトナムの人々が出している微妙な周波数を、やがては感じられるようになるかのごとくである。
ベトナムは懐かしい。
いちどそこに滞在した人は誰でもがいう。
私もこの項を書き終えるにあたって、あふれるような感じで、それを思っている。それはちょうど野末で、自分の知らなかった親戚の家を見つけたような気持ちに似ている。
いつかまた帰れるという、たとえそういうことがないにせよ、その思いを持つだけで気持ちが救われるという、そんなひとびとのいる国である。
私(チキハ)の感想です。
1973年、司馬遼太郎氏は随筆の中で、この器用で、頭の良い人々の上に近代国家が築かれたら、と期待をしています。
今は、2022年です。
私は興味を持ってYouTubeでベトナムを検索してみました。
ところが、私の期待は見事に裏切られて、目につくのは、美人のベトナム人女性(夜の大人)のことだったり、実習生のことだったりしました。
気持ちがふさぐのでおすすめしません。
どういうことなのか。
タイとか、カンボジアで検索してもこうはならない。
私はベトナム語が分からないですが、YouTubeで、ひと針ひと針を愛でるような手縫いや、竹を使って家やイスなどを作り出す動画は、ベトナム人のものだと思う。
手先の器用さと、動きのしなやかさが特徴です。
この本の冒頭に書かれていたように、歴史的に、外国に支配されていた期間が長かった、というのは大きな損失だったと思う。
日本は経済成長と引き換えに優しさが失われた。
ベトナムは優しさを保ち続けているのだろうか。
知らないベトナムに、懐かしさを求めてしまいます。