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ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

インドネシアが選ばれるには理由がある【運転手付きの車にお手伝いさん、それだけではないのだ】

『インドネシアが選ばれるには理由がある』(茂木正朗、2012)

日常的には、ほとんど話題に上らないインドネシアです。

しかし、執筆当時の調査では、世界一の親日国なのです。

<以下一部抜粋・要約>

 

インドネシア人とは

インドネシアは、国民の88%がイスラム教徒で、その数2億人以上という世界最大のイスラム人口を擁しています。

 

なぜインドネシア人は親日的なのか

  • 日本の政府開発援助先はインドネシアが最大。それを毎年継続している
  • インドネシアにとって日本が最大の輸出国。すなわち最大の外貨獲得先である
  • 同じアジアの島国でありながら、国内総生産が世界第二の経済大国として尊敬している
  • 高い技術力で、インドネシアの工業製品をけん引している
  • 第二次大戦後、残留日本兵がインドネシア独立のためにインドネシア人と一緒にオランダ軍と戦ってくれた

 

人に騙され、人に助けられる

私の体験談を1つ、紹介したいと思います。

ベトナムのホーチミン市に蚊取り線香の工場を作ったときの話です。

1995年当時、ベトナムのホーチミン市の活気に一目惚れし、なんとかベトナムで仕事ができないものかと考え当時勤めていた会社に初代ホーチミン駐在を願い出ました。

しかしホーチミン事務所開設は時期早々とのことで、この想いはかなわず、勤めていた会社を辞めて、自力でホーチミンに事務所を開設したのです。

当時ベトナムの外資規制法では、ベトナム国内で生産した製品を100%輸出する場合のみ、一定比率の外資が認められていた程度でした。

でも、信頼できるベトナム人パートナーもいることだし、どうしてもこの事業を進めたいという思いが強く、ベトナム人の名義を借りて内資扱いにして、蚊取り線香会社を登記、設立しました。

製品の生産も順調に始まり、製品のテレビCMも流しました。

 

工場長の謀反

そんな頃のクリスマスでした。日本にいた私に1枚のファクシミリがベトナムから届いたのです。

そこには、「茂木さん今までありがとう。これからは資金繰りも含めて何もかも自力でやっていきますので、もうベトナムに来ていただかなくて結構です」と書かれていました。

すぐにベトナムに飛んだのは言うまでもありません。

すると工場の門が閉まっていて、私は中に入れません。

私の頭は空っぽになりしばらく事態がよく理解できませんでした。

ホーチミン市内の事務所に戻り、事態の調査に当たりました。

まず、事務所のヒュー君に尋ねてみました。

彼は英語が堪能なこともあって、私の片腕として雇っていた青年です。

彼の説明によると、新しく雇ったベトナム人の工場長が謀反を起こしたとの事でした。

この工場乗っ取り事件を警察や裁判所に訴えても、登記上の名義はベトナム側であり、資産も全てベトナム側ということになっているため、相手にしてくれません。

ここで名義借りの怖さを骨の髄まで味わいました。

当時、日本人よりしたたかと言われていた台湾人や韓国人すら同じような目に遭っていました。

私が会った同業者の台湾人は、パスポートをベトナム人に取り上げられ、帰国すらできないと嘆いていました。

ベトナム人との戦いは、まさに蟻地獄とでも形容できるくらい精神的にきついものでした。

ベトナムは、アメリカと戦って唯一負けなかった国です。

トンネルを使ったベトナム軍のジャングル戦で、米兵はことごとく戦意を喪失してしまいました。

最前線に送り込まれた米兵は高校を卒業して間もない、アメリカの地方出身の若者たちが多数を占めていました。

その若い米兵が、竹槍で串刺しになる落とし穴や、熊の足さえもぎ取るほどの罠にかかって目の前で血を流してもがき苦しむ仲間の姿を見たら、戦意を喪失するのも無理はありません。

前方に敵型のゲリラがいると思って突撃すると、米兵にはわからないトンネルに潜って消えてしまいます。

そうすると今度は後ろから襲ってくるのです。

そして米兵たちがパニックになって右往左往しているうちに落とし穴や罠の餌食になって苦痛にもがき苦しむのです。

話がかなり脱線しましたが、このようにしたたかな人が多いと考えられているベトナム人と戦うのが、いかに大変なことかお分かりいただけるかと思います。

私たちの窮状を見て、救いの手を差し伸べてくれる人が実は敵方だったり、「秘密警察に顔が利くので解決してあげますよ」と言うので任せたら、高額なお金だけ取って何の役にも立たなかったり、まさに魑魅魍魎の世界でした。

 

たった2人での戦い

当時の私は精神的にもおかしくなりそうで、ノイローゼ寸前でした。

迷路に迷い込んだ時は飛び降り自殺も真剣に考えました。

それでも、毎朝早くからホーチミンのホテルの屋上で日の出を見ながら瞑想して精神の安定を保ち、粘り強く敵と味方を見きわめながら何とか戦いを続けました。

シュー君は、最後まで私を裏切らずについてきてくれました。

彼は本当に私の味方だったのです。

最終的には、工場の操業停止、生産機械の奪回、製品の保全までこぎつけることができました。

普通、日本人が異国のベトナムで、機械や製品資産をベトナム人から取り戻すことができた前例は無いそうです。

当時の日本人社会では奇跡とさえ言われました。

 

世界一日本が好きなインドネシア

騙すのも人なら、助けてくれたり、救ったりしてくれるのも人。

本当に大切なのは、人と人との縁なのではないでしょうか。

それは海外進出も同じです。

アジア諸国で様々なビジネスの手伝いをしてきた私が、インドネシアを強くお勧めしているのは、インドネシアという国だけでなく、インドネシア人も大変に魅力的だからなのです。

英国BBC放送が「その国に対して肯定的か、否定的な印象を持っているか」という調査を、27カ国を対象に実施しました。

その結果、日本に最も友好的であるという結果になったのがインドネシアだったのです。

この肯定的な回答の割合を私は「親日指数」と名付けました。

 

どんなビジネスも基本は人と人とのつながり

ちなみに、インドネシアでの日本車の普及率は95%。

オートバイに至ってはなんと99%が日本製。

この数字は日本国内より日本製品が普及しており、信頼されていると言うことを表しています。

本当にみんな日本が大好きなのです。

日本人もまた、インドネシア人に好感を抱くケースが多いようです。

ビジネスなどでインドネシアを訪れる多くの日本人がインドネシアのファンになり、リピーターになるのは、この「あなたたち日本人が大好きですよ」というオーラをインドネシアの人々が発しているせいかもしれません。

「インドネシアは、知る人ぞ知る最後の楽園」といわれますが、それはこの国を知れば知るほど理解できるようになります。

日本人とインドネシア人、その相性は他国と比較して一番よいと断言できます。

 

インドネシア駐在員は2度泣く

これは、私たち駐在経験者がよく耳にする言葉です。

1度目に泣くのは、インドネシア駐在を命じられた時です。

その当時は当然、私のインドネシアのイメージも悪く、まさに近代国家から僻地へ赴任されたという印象でした。

当時の平均的な日本人駐在員の生活を記してみましょう。

広い家には住み込みのお手伝いが2人もいて、妻は掃除、洗濯、炊事などの家事から解放されます。

運転手付きの車2台が私専用と妻専用として会社から支給されました。

ここまでくればお分かりのとおり、2度目に泣くのは本社帰国を命じられた時です。

 

インドネシアの基本知識

実はインドネシアは、1万8000以上もの島々からなる世界最大の島国国家なのです。その中心は、首都・ジャカルタがあるジャワ島です。

赤道直下にある島で、日本の本州の6割の面積にも満たない土地に全人口の6割にあたる約1億5000万人が集中しています。

 

インドネシアの通貨ルピア

ベトナム、ミャンマー、韓国など、アジアの通貨は円ーと両替すると後に0が複数つき、桁数が多くなります。

初めて両替した時などは財布がパンパンに膨らんで金持ちになったような錯覚に陥ります。

インドネシアも例外ではなく、一万円を両替すると111万ルピア(2012年4月現在)となり、かなりのボリュームになります。

 

必殺の踏み絵

最後に、相手の本性を見抜ける、とっておきの方法をお教えします。

今にして思えば簡単なことですが、これさえ意識していれば、私もここまで悲惨な失敗を繰り返さなかったと思います。

今まで30年近く海外ビジネスに関わり、世界各国で数え切れないほどのビジネス案件に関わってきましたが、人の本性は熱烈歓迎や接待を何度受けても絶対に見抜けません。

相手もこちらを信用させるつもりで、あらゆる歓待をしてくれます。

これにはまずほとんどの日本人が懐柔されると思って間違いありません。

では、本当に信頼できるビジネスパートナーかどうかを見極めるにはどうすればいいのでしょうか。

それは、たとえわずかな金額でも、相手からお金を支払わせる案件を作ることです。

金額の大小を問わず、お金を支払う際にあれこれ理由をつけて遅らせたり、態度が少しでも変わったら要注意です。



私(チキハ)の感想です。

著者は、インドネシアを親日国であること、相性の良さを強調しています。

本当に日本でインドネシアの情報が少ないのはなぜなのかな、と思ってしまいます。

イスラム教の教えを少し学ばなくてはいけないようですが、それも面白そうだと思いました。

このような、アジアの国を紹介する本の中でよく出てくるのは、社会的な倫理感の違いです。

ベトナムでの裏切りの話は、インドネシアと比較して出した例だとは思いますが、油断すると会社の備品を持って行ってしまう、などという例をよく目にします。

苦境なときに人物が分かると聞きますけど、ことが起こる前に見抜けるようになるのは、訓練というか、それなりの見方が必要なのだと思いました。