『「限りなく少なく」豊かに生きる』(ドミニク・ホーロー、訳原明子、2013)
著者のプロフィールにこうあります。
アメリカと日本で学んだヨガ、禅寺での修行や墨絵の習得などをとおし、日本の精神文化への理解を深める。
フランスはもとよりヨーロッパ各国で著書がベストセラーに。
読後は、少し自分が透明になったような気になりました。
小さなタイトルの後に引用が豊富に挿入されています。
<以下一部抜粋・要約>
アポイントは誰よりもまず自分自身ととってから
まず、自分自身とのアポイントを取ります。
日曜日の招待は断る、電話に出ない時間帯を決めるというように。
電話は急用の場合は必ず再度かかってくるものです。
プライベートなアポイントは平日の1〜2 日にまとめてとります(歯医者、家の水回りの工事など)。
友人とのアポイントは待ち合わせの時間だけでなく、例えば夕方の6時までと言う具合に、別れる時間も伝えておきましょう。
短めの仮眠、または10分間の休憩
禅では、休息も仕事の内といいます。
可能であれば、短時間の昼寝を自分にプレゼントしてあげましょう。
昼休みなどに、デスクの上で手を組み、その上に頭を乗せて10分間だけ目を瞑ります。
そうするとたとえ眠れなくてもエネルギーが補充されリフレッシュします。
また、外に出て、軽いストレッチでもしながら深呼吸をすると、元気が出て仕事の能率も上がります。
「ときどき、していることの手を止め、少し高いところに登って息を吐き、見下ろしてみよう」とフランスの小説家・劇作家のジュール・ルナールは日記に綴りました。
西瓜大の風呂敷を活用する
経験を重ねていくと、持ち物の多くが自分たちに何ももたらしてはくれないことがわかるときが来ます。
ある僧侶が私に、1人の老婦人の話をしてくれたことがあります。
その夫人は晩年の所持品を西瓜大の風呂敷1つにまとめ、「私に必要なものはこれだけ」と言い放つと、貯めていたお金の全部をその方の唯一の楽しみだった庭いじりに費やし、美しい花を咲かせて人生を最後まで楽しんでいたという話でした。
エッセンシャルオイルはミニマリズムの極み
私はエッセンシャルオイルを愛用しています。
入浴剤としてバスタブに、またはキャンドルの香り付けに数滴たらす、水で薄めてトイレの消臭スプレーにという具合です。
洗濯ものにほのかに残り香をつけるためにエッセンシャルオイルを用いると、部屋にも香りが広がり家庭用消臭剤の9割をカバーしてくれます。
人体に有害な合成香料からなる消臭剤を、わざわざ購入する必要もなくなります。健康面でも役立ち、例えばラベンダーには皮膚の炎症などを鎮静する作用があり、ユーカリ油は気管支の炎症に効くと言われています。
無益な話し合いからの脱出方法
話し合いに明け暮れても、話が平行線になったり衝突を繰り返して、何も解決しないときは、行動することで自分の立場を示しましょう。
もう一つ、無益な話し合いへの対処法があります。
7世紀の中国の禅僧であり、詩人の僧璨は、批判や自己主張ばかりの争いの渦中に身を置くのはやめなさい、と説いています。
あなたにとっての最良の趣味は、裁かないこと、ねたまないこと、憎まないこと、そして何も弁護するものがない状態にすることです。
争いの渦中にとどまることが少なければ少ないほど、あなたは透明な状態でいられます。
これは決して逃げの姿勢ではありません。
これは何かを得ようと求めることも弁護することもしない、ただ単に存在するという1つの方法に過ぎないのです。
他人との関係を「ゆるめる」
私が敬愛するアメリカの神学者、トーマス・マートンは、理想的な友人関係を次のように語っています。
プリヴァ一家、私は彼らに養ってもらったことよりも、むしろ私の愛情を独占しようともせずに優しく包み込んでくれた善良さや心遣いに、より多くの恩義を感じている。
幼少の頃から、私は確かにいつも、周囲から受ける影響力に、それがどのようなものであってもことごとく抵抗してきた。
それは、自分の自由を確保するように、という深淵なる本能に従ったからで、超自然的な存在の中においてしか、平穏さや守られているといった感覚が得られなかったからだ。
私はプリヴァ一家の愛情には心からの幸せを感じ、すぐにでもお返しをしたいと思った。
何故ならば、彼らの愛情は焼き尽くすものでもなく、所有するものでもなく、表面的なデモンストレーションの範疇に押し込めるものでもなく、打算的な愛情の罠に陥れるものでもなかったからだ。
「エネルギーを吸い取られない」ように気をつける
人は、とかく自分が抱えている問題を第三者に大げさに話して責任逃れをすることで、自分を正当化したり、自分の評価を高めたりするものです。
できれば可能な限り、精神的にも感情的にも適度にバランスのとれた人、重大な問題を抱えていない人と接するように心がけたいものです。
つねに人より勝っていたいという人は極力避ける
つねに自分を人と比較しては、自分の方が優位で、美しく、賢く、金持ちでありたいと望む人たちと付き合うのは、極力避けましょう。
このような人たちは、自分のエゴを満足させることしか求めていないからです。
逃げていく宝を追い続けるのをやめる
「人は皆、人生で必要なすべてのものを乗せた盆と一緒に生まれてくるのだよ」と、ある日本人が私に教えてくれました。
しかし、それでどれだけの人が満足しているでしょうか?
恋愛、名誉、美などは逃げていく宝。
それを追い続けるのも疲れるし、自分を見失いかねません。
実際、この世で私たちが本当に所有できるものなど何一つないのです。
まずこの事実を認めることで、私たちは大きな荷物を1つ肩から下ろすことができます。
すると代わりに素晴らしい発見が私たちを待っています。
何もないことを味わう、いやむしろ「自分たちの存在を楽しむこと」でしょうか。
私(チキハ)の感想です。
自分の存在を楽しむって、いいですよね。
自分の感覚だけを頼りに、楽しむ。
斎藤一人さんは、欲を持つことは自然なことだと言っています。
お金持ちになりたい、モテたい、などはみんなが思うこと、それは、神様がつけてくれたものと言います。
私は思います。
清く生きることをよしとしても、それだけだは何か違う気がするんだよね。
限りなく物を少なくするのも、私にはまだ早い、と。
俗世界に生きているんだから、俗で何が悪いの、と一人さん。
私の中で透明な清い水と濁った水が入り混じります。
清い水に自分を浸して、今は気分がいいです。