『お金2.0』(佐藤航陽、2017)
経済が民主主義化するって、どういうこと?
社会の仕組みの土台が変わるなんて、考えたこともありませんでした。
経済が変われば政治も変わります。
その渦の中心に私たちは、勢いよく向かっているのかもしれません。
<以下一部抜粋・要約>
急激に変わるお金と経済のあり方
Finteck2.0
2.0 は1.0とは全く異なり、近代に作られた金融の枠組み自体を無視して、まったくのゼロベースから再構築するタイプのものです。
本書のタイトルである「お金2.0」もここから取っています。
2.0のサービスは概念そのものを作り出そうとするものが多いので、既存の金融の知識が豊富な人ほど理解に苦しみます。
通貨、決済、投資、融資などすでにある枠組みに当てはめて判断することが非常に難しいため、そのサービスや概念を見たときにそれが何なのかを一言で表現することができません。
本書で扱うのはもちろんこの2.0の方です。
2.0は根本的にこれまでの社会基準を作り変えてしまうポテンシャルがあります。
ただ、2.0はあまりにも既存社会の常識とは違うので今の経済のメインストリームにいる人たちにとっては懐疑や不安の対象になりやすいといった特徴もあります。
そして、それこそが全く新しいパラダイムであることの証でもあります。
今起きているのはあらゆる仕組みの「分散化」
では、お金や経済の世界において最もインパクトのある現象、大きな変化の流れとは何でしょうか?
もちろん100年という単位で考えると難しいですが、これから10年という単位で考えれば、それは「分散化」です。
現在は全員がスマートフォンを持ち、リアルタイムで常時つながっている状態が当たり前になりました。
これからは人間だけでなく、ものとものも常時接続されるのが当たり前の状態になります。
私はこれを「ハイパーコネクティビティ」と呼んでいます。
この状況がさらに進むと、オンライン上で人と情報とものが「直接」かつ「常に」繋がっている状態が実現します。
そうすると中央に代理人がハブとして介在する必然性はなくなり、全体がバラバラに分散したネットワーク型の社会に変わっていきます。
この状況では、情報の非対称性は消えつつあるので、間に入っている仲介者には価値がありません。
むしろ情報の流れをせき止めようとする邪魔者になってしまいます。
そうなってくると、これまで力を持っていた代理人や仲介者はどんどん価値を提供できなくなっていき、力を失っていきます。
分散化が進んでいくと情報やものの仲介だけでは価値を発揮できず、独自に価値を発揮する経済システムそのものを作ることができる存在が大きな力を持つようになっていきます。
つまり、この「分散化」という現象は近代までの社会システムの前提を全否定する大きなパラダイムシフトであり、中央集権的な管理者からネットワークを構成する個人への権力の逆流、「下克上」のようなものです。
テクノロジーによって経済は「作る」対象に変わった
新しいテクノロジーの発達によって、経済は住む対象ではなく「作る」対象に変わりつつあります。
今はスマホやブロックチェーンなどのテクノロジーを使えば、個人や企業が簡単に通貨を発行して自分なりの経済を作れてしまいます。
ブロックチェーンを活用すれば価値を移転する際に発生する利益もネットワーク全体に保存されるため改ざんも困難です。
つまり、今目の前で起きているのは「経済そのものの民主化」なのです。
今日のテクノロジーによって「経済の民主化」が進み、万人が経済を自らの手で作れるようになると、今私たちが考えている以上に社会は大きく変化していくでしょう。
現代で「知識」そのものがコモディティー化されたことと同様に、「お金」そのものもコモディティー化し、今ほど貴重なものとは考えられなくなることが予想されます。
お金そのものには価値がなくなっていき、むしろどのように経済圏を作って回していくかというノウハウこそが重要な時代に変わっていくと考えています。
ベーシックインカム普及後の、「お金」
現在はお金には人を動かす力がありますが、生活するためにお金を稼ぐ必要のなくなった人からすれば、お金はもっとあったら便利なものであり、なければならないものではなくなっているはずです。
そうなってくると、ベーシックインカム導入後の人間は、今私たちが知っている人間とは全く別の生き方をするようになっているかもしれません。
現代の多くの意思決定の背後には儲かるかどうかという視点が深く関わっています。
けれど、ベーシックインカムが普及したらその常識は間違いなく崩れます。
複数の経済圏に生きる安心感
現在の資本主義経済の中ではうまく居場所を作れない人も、全く違うルールで回るオンライン上のトークンエコノミーでは活躍できるかもしれません。
また1つの経済の中で失敗したとしても、いくつもの異なるルールで運営される小さな経済圏があれば、何度もやり直すことができます。
歌がうまいと現実社会ではカラオケの二次会で盛り上がる位ですが、これからはこういった経済的に無価値だと思われていた趣味も強みになります。
仕事が終わった後にネット上に歌っている動画をアップして、サービス内で多くのファンを獲得したとします。
そのサービスが発行するトークンを報酬として受け取り、そのサービスが拡大していけば初期から活動していたのでさらに人気を集めるようになります。
結果的にユーザが増えて競争が激しくなって前ほどの視聴者を集められなくなったとしても、サービスの拡大を通して受け取ったトークンの質が上昇していれば人気を失ってもこれまでの活動は資産として残ります。
人生の意義を持つことが「価値」になった世代
フェイスブックのCEOであるザッカーバーグはハーバード大学でのスピーチでこんなことを語っていました。
私が話したいのは、「自分の人生の目標(意義)を見つけるだけでは不十分だ」ということです。
僕らの世代にとっての課題は、「誰もが人生の中で目的(意義)を持てる世界を創り出すこと」なのです。
人間は物質的な充足から精神的な充足を求めることに熱心になっていく事は間違いありません。
これから誰もが自分の人生の意義や目標を持てることは当然として、それを他人に与えられる存在そのものの価値がどんどん上がっていくことになります。
マズローの5段階欲求で言えば、最上級の自己実現の欲求のさらに先の欲求、社会全体の自己実現を助けたいという利他的な欲求が生まれてきています。
「儲かること」から「情熱を傾けられること」へ
内面的な価値が経済を動かすようになると、そこでの成功ルールはこれまでとは全く違うものになりえます。
金銭的なリターンを第一に考えるほどわからなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります。
例えば、商業的に成功するために歌っている人と、音楽が本当に好きでただ熱中して歌っている人がいるとしたら、皆さんならどちらを応援したいと思うでしょうか?
どちらに共感や好意を感じるでしょうか?
大半の人は後者のはずです。
利益やメリットを最優先にする考え方は実用性としての価値の観点であって、それを内面的な価値に適応したところで全く機能しません。
簡単に言えば、「役に立つこと」や「メリットがあること」と、「楽しいこと」や「共感できること」は全く関係がないのです。
共感・熱量・信頼・好意・感謝のような内面的な価値は、SNSといったネット上で爆発的な勢いで広まっていきます。
今や誰もがスマホを持ち歩いてネットに常時接続しているので、人の熱量が「情報」として一瞬で伝播しやすい環境が出来上がっています。
この世界で活躍するためには、他人に伝えられるほどの熱量を持って取り組めることを探すことが、実は最も近道と言えます。
その人でなければいけない、この人だからこそできる、といった独自性がそのまま価値に繋がりやすいです。
私(チキハ)の感想です。
本書の最後のほうは、SFっぽい話になっていますから、興味のある方は本書へお進みください。
この本で面白かったのは、自分で経済を選べる、というところです。
現在でも、コロナに関する認識が違う人たちと同じ空間で活動していて、別の場所に生きているような感覚になります。
それでも、問題はありません。
信じているもの、体験を、尊重するだけです。
複数の経済圏で生きるのも、同じようなものかなと思いました。
自分の熱量をかけられるもの、子供の頃なら考えずに出来ていたのに、と思いました。
そんなんじゃ食っていけない、と諦めたこと、今の大人たちには、多かったと思います。
また、大人になってもやりたいことが見つからない人も多いと思います。
多くの人はそちら側でしょう?
応援する人になる。
ほめる人になる。
人の良いところを見つける人になる。
いつも明るくいる。
そんな道もあるのではないかと思いました。
過去の記事に、お金を使うのが上手い人に、発行権を与える、と言った研究者を紹介しました。
応援するのが上手い人に、お金(トークン)を与える、なんてことも出てくるのではないかなと思いました。