『使える経済書100冊』(池田信夫、2010)
「経済書読み」のプロが厳選した、経済書の解説本です。
ありがてえっ。
『資本論』は専門家でさえ、完読している人は一握りだとか。
そんなん、あたしによめるはずないよね。
<以下一部抜粋・要約>
『哲学する民主主義』ロバート・ D ・パットナム
民主党政権では「地域主権」がとなえられているが、同じ公務員といっても、国家公務員と地方公務員は全く質が違う。
地方公務員は霞ヶ関でいえばノンキャリアの集団で、国の下請けしかやってこなかったので意思決定能力が低く、労働組合が強くて勤労意欲も低い。
このままで権限と財源を地方に移譲すると、日本中が社会保険庁状態になる恐れも強い。
こうした改革の先例を詳細に分析したのが本書である。
1970年代、イタリアは州政府を創設して地方分権を実施した結果、州ごとの政治的パフォーマンスの違いがはっきりした。
行政サービスや政治腐敗などの12の指標で各州を比較すると、ほとんどすべての指標で北イタリアが南イタリアよりはるかにすぐれていた。
こうした民主主義の成熟度の差の原因を本書は回帰分析で検証し、その最大の原因は北イタリアで中世から継承されてきた市民共同体の自治にあると結論する。
これはフィレンツェなどの都市国家の伝統で、近代化とともに統治機構は中央政府に吸収されたが、合唱団やサッカーリーグなどのグループやNPOが数多くあり、このような市民団体が州政府を監視することによって政府のパフォーマンスも上がったのだという。
こうした伝統的な規範を本書は「ソーシャル・キャピタル」と呼び、この種の研究の古典となった。
この概念は経済学でも注目され、従来のような社会か司法権力かという二者択一ではなく、法的コストの低い市民的ガバナンスがあり得ることが解明され始めた。
『10万年の世界経済史 上・下』グレゴリー・クラーク
産業革命は人類の歴史上の大事件だった。
それまでの人類の平均的な生活水準は、石器時代とはほとんど変わらなかったが、それ以降に数十倍に増えた。
これをどう説明するかは、経済史の難問である。
最大の謎は、なぜ産業革命がヨーロッパの端の小国イギリスに起こって、他の最も豊かな大国でなかったのかということだ。
その原因は、経済的に成功したブルジョワ階級の出生率が高かったため、彼らの長時間働き、契約を守り、財産権を尊重するといった労働倫理が広がり、それが工業化を可能にした。
産業革命を具体的な数量をデータで語る議論はおもしろい。
例えば著者は、労働者な「搾取」されたというマルクス的なイメージを具体的データで否定し、産業革命の恩恵を最も受けたのは単純労働者だったことを示す。
『資本論』カール・マルクス
資本主義の本質を最も深いレベルで明らかにした古典。
資本主義の核にあるのは不等価交換によって利潤を追求するシステムであり、それは等価交換を原則とする市場と対立する。
資本家が私的所有によって資本を独占する生産方式は、市民社会に寄生して本源的な価値の源泉である労働を搾取するシステムで、それを転覆して自立した市民が生産手段を共有して自覚的に生産をコントロールする、というのがマルクスの構想した未来社会だった。
これは「強い個人」が自らの主人になるという思想で、リバタリアンに近い。
マルクスは、階級対立を生み出さない純粋な市民社会としてのコミュニズムが可能だと考えたが、それは間違いだった。
欲望を解放する市民社会は、必然的に富の蓄積によって不平等な資本主義を生み出すのである。
つまりわれわれは、「不自然で不平等な市民社会が、物質的な富を実現する上では最も効率的だ」という居心地の悪いパラドックスに直面しているのだ。
『雇用、利子および貨幣の一般理論』ジョン・メイナード・ケインズ
ケインズの問題は、1930年代に大きな不均衡が長期にわたって続いている状況をどう解決するかということだった。
彼はそれをマルクスのように資本主義の欠陥とは考えず、政府が問題だとした。
失業が発生しているのは有効需要が不足しているためで、政府が財政支出によって需要を追加すれば問題が解決する、というのが彼の処方箋だった。
『資本主義・社会主義・民主主義』ジョセフ・シュムペーター
彼が本書を書いたのは大恐慌の最中で、資本主義には自動調整力がなく、政府が経済を管理しなければだめだという意見が支配的だった。
それに対してシュンペーターは、資本主義の本質は起業家精神にあり、政府はイノベーションを作り出せないと論じた。
マルクスが資本蓄積とともに利潤率が低下し、労働者は窮乏化すると予想したのに対して、シュンペーターはイノベーションによって資本主義は成長し続けると考えた。
彼は晩年、進化論に興味を持っていたようだが、資本主義のダイナミズムを理論化することはできなかった。
しかし彼の限界は、そのまま現在の経済学の限界なのである。
『個人主義と経済秩序』フリードリヒ・ハイエク
本社に収められた1945年の有名な論文「社会における知識の利用」は、価格メカニズムの本質を「資源分配の効率性」ではなく「社会全体に分散した知識をいかに有効利用するか」という情報の効率性の観点から分析した記念碑的な業績である。
これはハイエクが、社会主義をめぐる論争の中で得た確信だった。
ハイエクが自由の重要性を強調する背景にあるのは、30年代から社会主義との戦いの中で得た「設計主義」の危険への確信と、その基礎になっている人間の「無知」から出発して社会を考える思想だ。
どうすれば人々の福祉が最大になるか、あるいは自分が幸福になるかさえ、人々はよく知らないからだ。
私(チキハ)の感想です。
経済学とはずいぶん新しいものなのだと思いました。
古典といわれる本も、100年かそこらなのですね。
シュムペーターは、資本主義の欠点をイノベーションで解決出来るとしたが、資本主義のダイナミズムを理論化出来なかった、それが現在の経済学の限界、ということでした。
時代を引っ張る新しい経済学は、出てきていないようです。
新しい時代には、新しいエネルギー(電気がそうであったのように)があると聞きます。
もうすでにあるという人もいます。
新しい時代は、資本に頼らないことが増えていきそうですから、どんな経済学が出てくるのか楽しみです。
本書の第7章「自由な社会の秩序」に根源的な内容が書いてありました。
「人類の歴史を考えれば、暴力を抑止する装置としての規範や儀礼は、人類の発生と同時に発生したと思われるが、経済的な取引はかなり時代が下がってから出てきたものだろう。
したがって経済システムが制度の上部構造だと考えたほうがよい。
事実、共産圏の崩壊で明らかになったように、市場の秩序が成立するにはきわめて多くのルールや規範が必要なのである。」
経済はむずかしいわけですね。
人と付き合ってゆく(暴力でない)慣習のようなものが先にあって、その上で市場が成り立つ、のならば、
イタリアの、伝統的な規範を持つ共同体が、地域主権のパフォーマンスを上げた、というように、
民度が、経済を決めるのだな、などと思いました。