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ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

言語と貨幣は、同じだ

『書物と貨幣の五千年史』(永田希、2021)

世界最初の書物は、税の記録だった。

<以下一部抜粋・要約>

『資本論』における時間

思想家で哲学者のカール・マルクスは『資本論』を、商品と貨幣について語ることから開始しています。

産業革命の直中、近代文明が爛熟しつつあった19世紀を生きたマルクスによれば、商品の価値は、その生産にかけられた労働者の時間によって決まります。

これを「労働価値論」といいます。

この労働価値とは別に、その商品を使う「使用価値」と、交換の際に生じる「交換価値」とがあると考えました。

『資本論』の冒頭では、リネンと、それを加工した上着の価値が比較されています。

リネンは上着に加工されていないので、同じ重さであれば加工の分だけ上着の価値は高くなる(労働価値)。

しかし上着の使用価値は全く別であり、上着に加工する原料としての使用ができるだけのリネンに対して、上着はそれをすぐに着用して暖をとれるという使用価値があります。

交換価値は常に変動する価格によって端的に示されます。

欲しがる人がいるのに供給が間に合わないほど希少であれば価格が高騰し、逆に欲しがる人がほぼいないのに大量にあふれていれば価格は下がります。

商品を生み出すために限られた労働時間による価値と、その商品の使用価値や交換価値をまとめて表示し、交換を円滑に行うための手段として貨幣がある、というのが『資本論』での考え方でした。

現実には、商品が貨幣と関係する価格に労働時間や使用価値がストレートに反映されることは稀です。

マルクスの思考実験で想定される局所的な交換は極限状態でしかなく、一般には交換価値だけが問題とされます。

どんなに製造に労働者が時間をかけたとしても、商品の価格は市場の需要と供給のバランスで定まるからです。

 

私(チキハ)の感想です。

一次産業(農業、林業、漁業)の価格が安い理由がわかりました。

第一は、欲しい人と売りたいもののバランスでした。

欲しい人に対して、ものが多くあるということです。

第二は、市場が、認める価値を、売り手が作り出せていないということです。

価値を高める工夫はいくつかあるようでした。

加工して、使用しやすくする、という使用価値が書かれていました。

この価値は、今の私たちはずいぶん慣れ親しんでいて、必要としていると思います。

手を加えなくても、すぐに食べられる食品などを思い浮かべました。

付加価値ということもよく聞きます。

手を加える前よりも、価値が高くなること。

その中には情報も入ると思います。

無農薬のりんごが生産されるまでのストーリーを聞いたことがあります。

それはそのりんごに新しい価値が加えられたと思います。

私は最近、米粉でパンやケーキを焼きます。

小麦粉に含まれる、グルテンをとらない食生活を続けているからです。

米油なども使います。

使用目的に適した品種があるようです。

それにしても、商売とは難しいものだと思いました。

農業系ユーチューバーが、今年は政府の方針で、300万人分減反になると言っていました。

国からの補助金も、米から、大豆や小麦、飼料用の米などに移っているようです。

米が、毎年2000万人分と大量に余っているためです。

「食糧難など聞くが、世界中で食料は余っている、ただ、買い占めや偏りがあるだけ、しっかり数字を見て」と言っていて、なるほどと思いました。

備蓄するにしても、一時的な予備として、2〜3ヶ月分で充分だそうです。

この本の中に、経済学者の岩井克人の考えが載っていました。

「単純化して言うなら、貨幣とは言葉と同じだ。

貨幣は商品の間の関係を取り持つという点で、人間関係を取り持つ言語に等しい」ということです。

ものとものの交換では、欲しいものをもっている人を探すのも大変です。

貨幣と交換するのがいい。

素晴らしい発明なのだと思いました。

世界最初の書物は、紀元前3300年ごろ、古代メソポタミアの粘土板に刻まれた、税の記録なのだそうです。

私は、驚いてしまいました。

マルクスは、資本家が労働者を搾取する、というけれど、他にも搾取している人がいるのではないでしょうか。

それも、その起源からずっと、続いている、と考えました。