『人々のための資本主義』(ルイジ・ジンガレス、2013)
著者はイタリア生まれですが、イタリアに嫌気がさして、アメリカへ渡りました。
イタリアでは、実力ではなく、クローニー(縁故)が出世の鍵だからです。
しかし、実力主義、自由の国アメリカは、変わってしまいました。
著者は、経済学者として、自分に何ができるのか、考えました。
本書の言いたいことをざっくりとまとめると、
「アメリカ資本主義は、産業よりも民主主義が先行していた。
それを取り戻すには、その仕組みの中に入り込む、それ以外の力が及ばないようにすること」
です。
<以下一部抜粋・要約>
はしがき
2008年の金融危機が起こったころには、私はアメリカの公共の議論になにがしかの貢献をできそうに感じていた。
オーストリア生まれの経済学者フリードリヒ・ハイエクが1944年間の『隷属への道』序論に記したように、「ある国から別の国へと居を移していくと、人は極めて似た思想発展の局面を2度観察できるのかもしれない」。
私が観察していたのは、アメリカの金融街がイタリア色のクローニー資本主義体制に変容していく様だった。
それどころか、ある意味ではアメリカの状況はイタリアよりなお悪い。
アメリカ人はイタリア人のように、1人の悪者のせいにはできないのだから。
ベルルスコーニは私たち自身である。
私たちは退職基金や株式投資を通じて、ロビー活動で血税を搾り取り国民の政治生活を支配しているまさにその企業たちを、所有しているのだ。
危機に貧しているのは、私たちの経済だけでなく自由もだ。
クローニーイズム(縁故者びいき)は言論の自由を抑圧し、学ぶ意欲を削ぐ、就業の機会を危うくする。
わが母国から大きな経済成長の可能性を奪い去った。
アメリカにはそうなってほしくない。
幸いなことに、アメリカはそのDNAに自己改革の能力を有している。
他の大方の国の民とは違って、アメリカ国民は一様に競争の持つ力を強く信じている。
本書で説明している通り、競争は汲めども尽きぬ巨大な源泉である。
経済体制を改善するには、競争を減らすのではなく増やすことが必要だ。
ポピュリズム(人民主義)とはすなわち民衆扇動や独裁者を意味する他の多くの国と違って、アメリカには弱者を守る肯定的なポピュリズムの伝統がある。
本書で解説していく通り、このポピュリズムの特質は、アメリカの資本主義を他の資本主義より優れたものにすることに大いに貢献してきたし、今後もそうあり続ける。
アメリカ例外論
歴史的・地理的・文化的・制度的要因の幸運な組み合わせから、アメリカの資本主義は世界各国に広がっている別種の資本主義とは異なるものとなった。
理由の1つとして、アメリカでは民主主義の方が産業化よりも先に存在していたことがある。
アメリカの資本主義はまた政府支出のGDP比が微々たるものだった時代に発展した。
そのため金のない政府から引き出せるものは乏しかったから、起業家が成功するには市場競争に勝つしか道はなかった。
アジアの虎たち(香港、シンガポール、韓国、台湾)などのように、資本主義のかなりの部分が国家の創造物であり、そもそもの初めから産業政策は政治的コネがあるものをひいきにしていた、そういう後発の工業国が直面したのとは状況が大きく異なっている。
市場での成功ではなく政治的なコネによって人を金持ちにする資本主義は、多くの人に不公平で腐敗していると感じさせる資本主義である。
アメリカでは経済的自由と公開競争の持つ可能性と有望さを信じる文化が育まれたのだ。
「勤勉なものは報われる」という広く主張されてきた考えは、今なおアメリカ人一般の人生観の重要な部分をなしている。
クローニー資本主義、アメリカン・スタイル
資本主義は所得不平等をもたらす。
大衆は一般に、その不平等が過剰なものではなく、全員に益するシステムの1部とみなされ、最も重要なことには大多数の人が「公正」だと考える原則で正当化されている限り、受け入れる。
競争的な自由市場のシステムはこれら3つの条件を満たしている。
競争は、異常な利益が生じる可能性を抑え、そして所得不平等を抑える。
競争は、消費者が確実にイノベーションの便益を得られるようにする。
競争は、効率性とひいては業績主義という、最も多くを届けるものに責任を与え、そして報酬が正当な褒賞とみなされるシステムへと向かう圧力を生み出す。
競争がもたらすのは、それだけではない。
消費者に選択の自由を与えもする。
消費者は、売り手を変更できることで、高値を騙し取ろうとする企業から自衛できるのみならず、福利が最大化されるようになる。
企業は、事業を継続するために顧客に最も有益な条件を提示することになるのだ。
競争は資本主義をみんなのために役だたせる魔法の成分である。
経済学者が自由市場の便益に関して引き出す的確な結果のほとんどは、市場が競争的に運営されているという前提に基づいている。
それなのに経済学者は、実践で競争的な条件を確実に見出すという目標に十分に意を払っていない。
問題は、企業がイノベーションで手にする一時的優位ではなく、むしろその規模とロビー活動力で確保できる永続的な政治力だ。
企業が非競争的な市場で運営され、経営者が一切説明責任を負っていないならば、それが自由市場の1部と考えるのはやめて、その実態を見極めるべきである。
これは小さな中央計画経済なのだと。
私(チキハ)の感想です。
私が思っていたアメリカが書かれていました。
競争、民主主義、アメリカンドリーム、正義感、資本主義とはこういうものだと思っていました。
それは、アメリカ資本主義だったのですね。
ヨーロッパでは、貴族がいて、成り上がりを軽蔑するのです。
そして後進国は、政治との癒着ありきです。
実力主義、アメリカが経済大国であった理由が分かります。
大国が滅んでゆくのは、豊かさが上層部を腐らせるからだと読んだことがあります。
大衆があきれて、愛国心を無くしてしまうのです。
アメリカには、この本の著者のように、闘う知識人がいると思いました。
アメリカ資本主義、ガンバレ。
私はこの本を読んで、日本はまともだ、と思いました。
以下YouTubeでの情報です。
「アメリカに貴族はいない。しかし、政治王朝(世襲)があった。
10月の中間選挙の予備選では、トランプ主義者(世襲ではない)が優勢となっている。」