ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

政策で食料自給率を高めることができないなら

『それでも百姓になりたい!』(今関知良、2000)

著者は、脱サラで農家になりました。

実際のところ、農業で暮らしていけるのでしょうか。

本書はその疑問に答えます。

「農水省のデータでは、土地を持っている農業者1人の年収が90万円を下回っている」と書いてありました。

<以下一部抜粋・要約>

 

農家の事情を知るーー兼業が普通なのだ

苗作りは育苗機で、田植えは兼用田植え機で、草は除草剤を1回振るだけ、稲刈り脱穀はコンバインで、乾燥ともみすりは農協のライスセンターで、ということなので、一町ぐらいなら種もみ蒔きから稲刈りまでの約5ヶ月弱で実働は1、2週間程度の日数で終わってしまうという。

 

アルバイトで現金を得る

11月、そして12月になると、もう農作業は無い。

田舎では出稼ぎと言うらしいが、アルバイトでお金稼ぎに行くことにした。

12月分の給料は17日稼働で11万,1500円になり、あまりの高額収入に小躍りしてしまった。

そしてたかが11万円ぐらいで大喜びする自分の変わりように自分で驚いた。

 

会社勤めを勧められた

「今時、百姓だけでメシ食ってる農家なんておらんよ」

みんな「そうだよ、そうしなよ。百姓なんかやったって稼ぎになんかならねえよ」と異口同音に言っていた。

 

野菜の宅配便を始める

テレビや新聞などで、僕が関東から百姓をするために徳島に来たと報じられたこともあって、電話での宅配野菜申し込みがたくさん寄せられてきたので、準備していた「無農薬野菜のご案内」というチラシを申込者に送った。

販売のための営業の努力を苦労をほとんどしないで、宅配野菜は順調に始まった。

スーパーで売っているような美しい形ではなく、虫食いあり、病気でいじけたものもあり、二股三股、ヒゲだらけの大根や人参など、慣行栽培ならば廃棄処分されるような形状のものが少なくなかったが、無農薬の野菜に理解を示してくれた消費者は「いつも、おいしい野菜をありがとう」とのメッセージを送ってくれた。

一方では、1回限り、あるいは1クールで辞めてしまう人も少なくなかった。

 

月刊「ななほしてんとう」のこと

野菜など農産品を直接販売するときには、何らかの通信を発行することが非常に重要だと、多くの先輩から聞いていた。

 

兼業農家でよかった

規模の小さな農業でも、有機農業で、直接販売で、経費をできるだけ節約して、借入金なしでならばきっとできると確信を持っていた。

そして徳島に来て、腰痛で悩むようになる直前までの2、3年は「これなら食う分は専業で稼げる」という時期があった。

50歳での途中就農で体に無理が来たのか、56、7歳ごろから腰痛症を病み、99年には入院、安静を余儀なくされるアクシデントに見舞われたため、野菜の出荷を止めて自家産の原材料を加工して菓子を作り、直接販売するという「第6次産業」などと言われている新たな農業へ転換した。

「暮らしていくのに必要な費用」に関して言えば、僕たちの場合、田舎暮らしを始めてからのほとんどの期間、英子さんが、本人の就労意図の有無に関係なく、看護婦という資格が農村で引っ張りだこで、お金をいつも稼いでいたということと、バブル経済が僕たちに味方して三芳村の家が予想以上に高く売れたということに尽きると思う。

 

食べ物の事はみんなで考えよう

讃岐うどんはオーストラリア産のASWという粉でないと、あの独特のコシやうま味は出ないのだそうだ。

このことが書いてあった文献には、他にもいろいろ書いてあった。

鳴門わかめも最近は輸入品の比率が増えたというし、信州そばも大部分が輸入品だし、おまけに伝統的な正月料理すらも、今やほとんど、90%以上も輸入品でしか揃わないと書かれていた。

豆腐、納豆、味噌、醤油、湯葉など、日本人にとって欠かすことのできない原料の大豆も、ほとんど国内では栽培されていないというし……。

おまけに正月以降のかぼちゃは、太平洋に浮かぶトンガあたりから来ると。

なぜ独特の食文化を築き上げてきた日本人の食べ物が、こんなにも情けないことになってしまったのか。

友人と讃岐うどんのハシゴをするまで、オーストラリアうどんだったことを知らなかった自分の無知を、いまさらながら恥ずかしく思う。

そしてソバも山菜もわかめも味噌も醤油もみんな輸入依存……。

伝統的な日本の食文化を日本人の手で取り戻すには、どうしたらいいのだろうか。

 

日本はアメリカに食べさせてもらっている?

フランスのかつての大統領ドゴールが「食料を自給できない国は独立国ではない」とも言っていたように、世界の国々の為政者にとって、自国民の食べ物を国内生産で賄うというのは国政の最重要課題なのです。

私たちの記憶に残る出来事では、1973年の大豆ショックがありました。

この年の6月13日、アメリカのニクソン大統領が突然「大豆の輸出を禁止する」と発表しました。

わが国の投資の大豆自給率は4%しかなく、輸入の90%はアメリカからの輸入に依存していたから影響は絶大でした。

国内価格はうなぎ登りに高騰し、豆腐などは3倍にも跳ね上がりました。

味噌、醤油、納豆なども同様です。

 

外国の食料自給率を見てみると

一般的にわが国の食料自給率はカロリー換算で39%、穀物ベースで27%だと言われています。

アメリカで135%、フランスで191%、イギリスで116%、ドイツで128%だというから、日本がいかに食べ物を自給していないかがわかるでしょう。

 

自給率はどうして下がってしまったのか?

これまで何度も触れてきましたが、日本の食料自給率が低下した理由として、農水省は「食生活の変化で、大豆油などの油脂類や肉類の摂取が進み、全熱量に占める脂質の割合が65年の2倍になったからだ」と分析しています。

まさしく食事の洋風化そのものですね。

 

都市住民よ、家庭菜園を持とう!

ロシアでは家庭菜園のことをダーチャと呼ぶそうですが、主食に近いじゃがいもは、ロシア生産量の90%、野菜類は80%をダーチャが作っていると言われています。

居住している都市から1〜2時間かけて通って週末農業を楽しみ、同時に自給食料を得ているのです。

ドイツでも40%もの市民が菜園をやっていると言われています。

 

一日2時間、汗を流して食物を自給しよう

わが国有機農業の草分け的な存在である埼玉県小川町の金子美登さんは、著書『命を守る農場から』の中でこう述べています。

「1人が1日に時給に要する時間は2時間です。21年間自給農業をやってきてのおもしろいデータは、自給するために要する労働時間は、主食のコメ、そして野菜に対して1人あたり1日2時間で可能なことがわかったのです。

何もこれは私の農業だけのデータではありません。

東京で有機農業で野菜と果物を自給している武田松尾さんも、同じような実践のデータを出しています。

したがって、将来の日本のあり方を考えるなら、すべての国民が家族小農園で、1人1日2時間ずつ汗を流し、その自給のかたわら、他に仕事を持つべきだ、と思います」

 

私(チキハ)の感想です。

私が1番印象に残っていたのは、日本の輸入食料の8割はアメリカ等から、というところでした。

私は、中国が一番多くて、他はアジアかなと思っていたのです。

ネットで調べてみました。

2022年の記事では、日本の食料輸入は6割で、一番多いアメリカからは約2割です。

随分と改善されていました。

内訳は主に穀物・牛・豚です。

アメリカ依存のきっかけは、1960年の、新日米安全保障条約です。

経済協力条項があらたに盛り込まれたのです。

そして、日本の高度経済成長がはじまります。

日本は工業製品をアメリカに売り、アメリカの農産物を買う。

なるほどな、と思いました。

アメリカは、2024年の大統領選でトランプ派が政権をとれば、自国に産業を取り戻し、国内消費をするだろうといわれています。

そうなると、日本も国内生産、国内消費になる、と予想されます。

また、ロシアのプーチン大統領は、今月29日このように発言しました。

「今年の会議の主要テーマは『多極化する世界への道』で、非常にアクチュアルで重要なものだ。

廃れゆく一極集中のモデルに代わり、公平と対等性の基本的原則やそれぞれの国・民族の主権的な発展の権利に基づく新しい世界秩序が到来する」

これから、世界はこの方向へ向かうのでしょうか。

混乱が予想される中で、食料自給率が4割の日本人が身を守……イヤーって、あ、あ慌てなさんな、コメは充分にあるのじゃ、22年産は、安値で始まった。

コメ、味噌、しょうゆは切らすなよ、とは震災、戦争を生き抜いた婆さんの遺言じゃ。

日本人はそれさえあれば、生きてゆけるぞって、誰ぞ。

しかし、専業で農業をやるのは難しいことがわかりました。

これから、国が政策として自給率を上げてゆくのか、いかないのか、わかりません。

「全ての国民が家族小農園」の案は、おもしろいと思いました。

近年では、設備が整っていて、宿泊施設もある、滞在型市民農園などもあるようです。