ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

上位1パーセントは、0.1パーセントも含まれる、0.00001パーセントも【庶民にはわからん経済倫理】

『世界の99%を貧困にする経済』(ジョセフ・ E ・スティグリッツ、2012)

 

経済ニュースでは見えてこない内容です。

問題は、経済よりも、政治なんですって。

<以下一部抜粋・要約>

 

日本の読者へ

日本人は繁栄を幅広く共有できたのか

不平等はグローバルな問題である。

富裕国と貧困国を問わず、地球上のすべての大陸に蔓延している。

上流階層における過剰な富の蓄積、中流階層の空洞化、下流階層における貧困の増加など、不平等には様々な側面がある。

本書の問題の1つは、このような不平等による高い代償を社会が払わされているという点だ。

すなわち、経済実績の低下や、民主主義の弱体化や、法の支配を始めとする根本的価値観の毀損である。

経済成長と不平等解消を同時に成し遂げる政策、すなわち繁栄の共有を成し遂げる政策については本書で詳しく語っているが、アメリカにとっても日本にとっても、問題なのは経済よりも政治である。

日本は最上層による権益の誘導をはばみ、独占的な私利の追求によって経済全体が傷つくことを回避できるのだろうか?

日本は21世紀にふさわしい社会契約を築きあげ、成長の恩恵が平等に分配されることを担保できるのだろうか?

これらの質問に対する答えは、日本社会と日本経済の未来を大きく左右するはずだ。

 

ーー困窮から抜け出せないシステム

何かが間違っていると言う抗議者たちの認識は正しい。

政治・経済制度のあるべき姿ーー私たちが学校で教わった姿ーーと、実際の姿とのギャップは、無視できないほど大きくなってしまった。

少数派の強欲によって公平という普遍的価値観が踏みにじられる状況は、どんな美辞麗句でも言いつくろえるものではなく、人々は不公平を裏切りと感じるようになっていった。

世界では3つのテーマが共鳴している。

第1は、市場が本来の機能を果たさず、明らかに効率性と安定性を欠いている点。

第2は、政治制度が市場の失敗を是正してこなかった点。

第3は、政治・経済制度が基本的に不公正である点だ。

不平等は政治制度の失敗の原因でもあり結果でもある。

不平等は経済制度の安定性をそこね、不安定性は平等性をそこね、この悪循環が私たちの生活を地盤沈下させていく。

 

市場の機能不全

市場は明らかに、自由至上主義者たちが主張するような機能を果たしてこなかった。

自律的に安定するはずの市場は、先の世界金融危機が示す通り、極めて不安定になって破滅的な結果をもたらしうる。

じっさい、銀行家たちがのめり込んできた無謀な賭けは、政府の介入がなければ金融業界と経済全体を壊滅させかねなかった。

“システム”をくわしく検証してみると、このような事態が偶然に起こったのではないことがわかる。

銀行家たちは、“システム”から、無謀な賭けに出るインセンティブを与えられていたのだ。

  

レントシーキング経済と不平等な社会のつくり方

アメリカ国内の不平等は偶然の産物ではない。

人為的に創り出されたものである。

不平等の源を理解しておけば、不平等を解消のコストと利益をよりよく理解できる。

2章の論題は、たとえ市場の力が不平等の形成に力を貸しているとしても、その市場の力を形成するのは政府の政策であるという点だ。

今の不平等の多くは、政府の作為もしくは不作為の結果と言っていい。

政府の権力を持ってすれば、上層から中下層へ金を移動させることも、その逆も可能なのである。

 

がちょうの羽むしり

不平等を生み出してきたのは、昔から権力ーー多くの場合、軍事力ーーであった。軍国主義の核心は経済であり、戦勝国は敗戦国から存分に搾取する権利を持っていた。

古代ギリシャの有名な歴史家、トゥキュディデスは、こんな言葉を残している。「一般的に言うと、権利が問題となるのは、力が同じ者たちの間だけである。

好き勝手に振るまえる強者の前では、弱者は苦しみを甘受するしかない」

権力を持つ者たちは、経済的・政治的立場を強化するために、あるいは少なくとも維持するために、権力を用いた。

本来なら唾棄すべき所得格差を人々に受け入れさせるため、彼らは世の中の思潮を都合よく変えることもした。

国民国家の草創期に、神授の権力という考え方が否定されると、権力者たちは自らが依って立つ別の基盤を探し始めた。

当時は、ルネッサンスと啓蒙運動で個人の尊厳が強調され、産業革命で都市部に巨大な下層階級が出現していたため、不平等を正当化する新たな理由がなんとしてでも必要になっていた。

とりわけ厄介なのは、現行システムを搾取とみなすマルクスのような批判者の存在だった。

19世紀後半に生まれ、後に優勢となる理論は、“限界生産力説”と名付けられ、現在もそう呼ばれている。

より高い生産性を持つ人々が、より高い所得を稼ぎ出すことで、より大きな貢献を社会にもたらすという考え方だ。

各個人の貢献度を決定するのは、競争市場における需要と供給の法則。

希少かつ貴重な技術を持つものは、生産に大きな貢献をできるため、市場から十分な報酬を与えられるだろうし、技能を持たないものは、所得が低くなるだろう。

本書の大きな目的は、不平等が単に経済力だけの結果ではなく、政治力の結果でもあると示すことだ。

現代経済においては、政府がゲームのルールを設定して遵守させている。

例えば、何が公正な競争で、何が不正な競争なのか?

どこまでが詐欺的行為で、どこからが違法行為なのか?

また、政府は資源の提供を行い、課税と社会保障支出を通じて、所得の分配に修正を加える。

技術と政府が市場を形作り、その市場が所得を生み出し、その所得を再び政府が調整するわけだ。

アメリカの政治制度は上層の人々に過剰な力を与えてしまっており、彼らはその力で所得再分配の範囲を限定しただけでなく、ゲームのルールを自分たちに都合よく作り上げ、公共セクターから大きな“贈り物”をしぼりとった。

経済学者はこのような活動を“レントシーキング”と呼ぶ。

富を創出する見返りとして収入を得るのではなく、自分たちの努力とは関係なく生み出される富に対して、より大きな分け前にあずかろうとする活動のことだ。

上層の人々は、残りの人々にはほとんど気づかれることなく、残りの人々から金を吸い上げる方法を学んできた。

これは、彼らにとってまさしくイノベーションと言えるだろう。

 

私(チキハ) の感想です。

こういうことですよね。

銀行家たちが、無謀な賭けに出る意欲は、システムが与えた。

システムをつくるのは、上位1%の人だ。

それらを監視し、規制するのは政治家だ。

政治家を決めるのは、1票ではなく、1ドルだ。

1ドルを出すのは、上位1%の人だ。

銀行って昔はかたい商売だったんですよね。

それが、20〜30年のあいだに変わってしまった。

リーマンショックではハイリスクの金融商品を扱って、損失補填に税金が使われました。

私、ふと思ったんです。

私が働いて得る賃金では、生きてゆくだけで、余裕がない、老後のお金も心配だ。

そう思ったときに、FXとか、投資とかが目の前にあらわれたんです。

でも、このような本を読むと、本当に私の意志だったのだろうかと思うわけです。

私の中に、楽して儲けたいという気持ちは、ありますよ、ありますけどもね。

自業自得、ですよ、ですけどね。

釣られたんじゃないの。

日本お金が、外国に流れているという話を聞きます。

日銀も年金も国債運用から、株式運用へ変わっていきました。

私も日本も釣られているあいだにも世間の人たちは、まじめに生産活動をしていました。

世間では、金を持っていなくてもいいよね、みたいな風潮になって、安い商品も増えて、見栄を張らなくてもいい時代をつくりました。

日本では、みんなが、低レベルを楽しんでいるし、お金を持つユーチューバーに嫉妬もしない、みたいなのありません?

仕事のない国は悲惨ですが、日本はそのあたり、まじめと情とが支えているのかな、など思います。

この本の中に、物価上昇率ではではなくて、失業率を基準に政策を考えたらいいというものがありました。

日本の失業率は、先進国中、最も低く安定しています。

個人的にはそんな感想ですけど、政治とマクロ経済(国の経済)と、上位1%のレントシーキングは、直視していきたいと思います。

ホント、やめてよね。

内閣総理大臣は議員が決めるけど、市長は、市民が決める。

既得権益とたたかう市長たちが出演していましたので紹介します。

【ひろゆき&成田悠輔】革命起こす…市長たちの野望【リアルすぎる現実】 - YouTube

 

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