『世界通貨戦争後の支配者たち』(原田武夫、2011)
ーーロスチャイルド家と「黄金の国」の“密約”
<一部抜粋・要約>
自虐的な日本人
ドイツ・ボンにある大使館に勤務していた頃感じたあの「ギャップ」と全く以て相似形の「ギャップ」が再び私の目の前に現れる。
片や外側から見たときの日本勢に対する強烈な期待感。
ところがそれに気付かず、いつもながらの自虐の言葉ばかりを繰り返す当の日本人たち。
まさに解けることのない「永遠のパズル」だ。
そこで私は考えた。
この「永遠のパズル」にはまり、歎じていたところで何も始まらない。
前に進むためには普段「それ」として見えることのない「胴元」の日本に対する意思を探ってみてはどうか、と。
ゲームの途中でルールを変える審判はいない。
それと同じように現代に至る金融資本主義の「始まり」にあって、同元である国際金融資本が日本について何を思い、何を考え、そして何をしたのか。
これから金融資本主義というルールが大転換を迎える時だからこそ、その始まりにあって日本が一体どのように捉えられていたのか。
それをまず掴むことで、これから始まる未来のゲームにおいて「胴元」が一体、日本をどのように位置づけようとしているのか、その手がかりが得られるのではないか。
ーーそう私は考えた。
ロスチャイルド家の会員制サイト
不思議なことに日本ではインターネット上でも語られることが皆無なのであるが、ロスチャイルド家は欧州勢の他の名家と同じく「文書館」を持っている。
この文書館には研究者のためだけに開放されている「リサーチ・フォーラム」なる会員制のクラブがあるということである。
私はこの「リサーチフォーラム」の中でも「ビジネス・ヒストリー」なる項目に目をつけた。
失われた41年
その時、私は率直に言って我が目を疑った。
まず最初に次のような記述がある。
「1862年日本はイングランドに通商代表団を派遣した。彼らはロスチャイルド銀行を訪れ、ライオネル・ド・ロスチャイルド男爵の出迎えを受けた」
ところが次の記述が年代的に「飛んで」いるのである。
具体的にいうと次はいきなり「1903年」の出来事に飛んでしまっているのだ。
「徳川・ロスチャイルド」ライン
1867年に大政奉還を行い、翌年、明治維新となって徳川家は政治の表舞台から姿を消す。
しかしその後、実は「復活」を遂げていたことを読者はご存知だろうか。
最後の将軍となった徳川慶喜から徳川宗家の家督を譲りうけたのが、16代・家達だ。
家達は1877年より5年間にわたりイギリスに留学。
その後、公爵に任じられた。
その家達が政治の表舞台に躍り出たのが問題の1つである1903年なのだ。
この年、徳川家達は貴族院議長に任じられる。
そしてその後、なんと30年間にもわたってその座を占め続けるのである。
徳川家は貴族院の要となることで、国政の表舞台に事実上、返り咲いたのである。
一方、その徳川家が政治の表舞台から姿を消したのは、先ほども示した通り1868年のことである。
一般にこの年のタイミングで明治維新が実現したことは、薩摩や長州など雄藩による実力行使によるものであると考えられている。
ロスチャイルド家は本当にレヴェルの高いものに対してしかその扉を開かない。
徳川家がいよいよ政治の表舞台に返り咲いた記念すべき年である1903年、チャールズ・ロスチャイルドは日本の地を踏む。
彼が日本を「パラダイス」と評し、感嘆したこと、さらにはそのことをあえてロスチャイルド文書館が公式HPで紹介していることは先ほども述べた通りだ。
その驚きぶりは、あたかも「約束の地」にようやく帰ってきたものの口ぶりのように聞こえてならないのである。
そしてその「約束の地」にロスチャイルド家は惜しげもなく外積の購入という形でマネーをつぎ込んでいく。
合計7回にわたるそうした日本勢へのマネーの受け渡しが行われたのは、これもまた徳川家が貴族院議長の座を占めていた1933年までの30年間の出来事なのであった。
マネーの「出と入り」
イギリスを通じるにせよ、フランスを通じるにせよ、この時期のロスチャイルド家が極東の「パラダイス」日本に深入りしなかったのには、もう一つの理由が考えられる。
これに先立つ1851年より、ロスチャイルド家はもう一つの大きなプロジェクト「ドイツ帝国」に着手していたからである。
世界史の「勝者」を、そうなる前にあらかじめ選ぶというのがロスチャイルド家のお家芸だ。
以上の分析でおぼろげながらも見えてきた大きな絵柄が1つある。
国際金融資本として世界史を縦横無尽に創ってきたロスチャイルド家が見ているのは、どうやらマネーの「出と入り」なのではないかということだ。
90年前の「錬金術」
今から90年前の1920年代、日本勢は原子物理学の最先端に位置していたことを読者はご存知だろうか。
事実、そこでは優れた成果が次々と出されたが、どういうわけか国際社会からは「黙殺」され、何事もなかったように扱われた。
黄金を創る日本の最先端
「錬金術」というべき技術が日本で既に特許登録すらされているのだ。
特許公開日は「1997年3月7月31日」、公開番号は「特開平9-197077」、発明者は「能登谷玲子」である。
2005年9月30日にかつてはソ連共産党機関紙であった新聞「プラウダ」が不思議な記事を掲載したことがあるからだ。
日本勢は当時(2005年段階)において全世界で最も金準備の多い国であることを自慢できる立場にあることに注目せよというのである。
何気なく書かれているものの、少し考えてみるだけでこの記述があまりにも異様であることに気づかないだろうか。
なぜならば金準備が公式統計上、最も多いのはアメリカ勢だからである。
そうであるにもかかわらず「日本勢が世界で最も金準備を持っている」と旧ソ連=ロシア勢有数の新聞が語るのには、それなりの理由があると考えるべきではないだろうか。
そしてその場合、考えられる「答え」は2つある。
1つは、実際のところ日本では公式統計とは別に簿外資産の形で膨大な金を持っており、そのことをロシアでは認識している可能性があるということ。
そしてもう一つは、現段階においてモノとしての金を日本勢が持ち合わせていなかったとしても、それを大量に作り出すための能力を独占的に持っており、したがってその気になればすぐにでも金準備を増加させることができること、である。
実は当のロスチャイルド家自身が2004年4月8日付でこうした「胴元」の地位から降りてしまっているのだ。
だとすればもはや「ゲーム」は終わっているというのが正しい。
気象兵器と地震兵器
気象兵器の研究
2000年、米国で出版されたある一冊の本が静かな波紋を呼んだ。
著者は、有名な計量生物学者である。
「HAARP」なる装置について言及し、これが「電離層の自然のリズムを対象とする」危険な実験を行うためのものであること、さらにはそれが兵器として使用されることへの危惧を表明した。
ここで言うHAARPとは日本語でいうと「高周波活性オーロラ調査プログラム」のことを示す。
米空軍地球物理学研究所と米海軍研究局が全面的に資金を供給し、アラスカ大学等と協力して実施しているものである。
「電磁波の間接的な使用を通して気象を変え、地震を起こし、火山を噴火させることが可能な手段を用いることで地球環境を通じたテロリズムに携わっている者もいる」
確かにこの中でコーエン国防長官は「アメリカ勢が気象兵器や地震兵器を開発し、使用している」とは述べてはいない。
しかし「他者」が脅威を与えるとき、予防的な措置としてこの脅威を上回る実力を行使すべきと考え、実際にこれを行使してきたのがアメリカ勢なのである。
そのためこの発言は当時のクリントン政権が「気象兵器」や「地震兵器」を自ら開発することについて、その理由を述べたものと専門家たちの間では解釈されている。
私(チキハ)の感想です。
筆者は日本に対してこのような考えを持っています。
「私たち日本人はどうやら平成バブルの熱狂の後、世界に先駆けて「次なる未知なる経済体制」へと突入したようなのである。
もちろん問題がないわけではない。
山積というべきだ。
だが、そこにあるのはいわば「低空でありながらも墜落はしないという意味で安定した飛行」とでもいうべき経済状況なのだ。
「人類史はいよいよ地球との調和を旨とする長期安定の時代へと突入し始めた。
そこで旨とされるのは足るを知るということであり、『自然(じねん)』という均衡状態へのたえざる調整だ。
実直なリーダー。
こうした本当のリーダーこそが、途方もないくらいの不安感にかられた私たち日本人を心の呪縛から解放してくれる。
そしてその声がけによって私たち日本人の傷ついた心がようやく溶け始める時、それまで退蔵されていた国富が国外ではなく日本国内へと初めて流出していく。
このことこそが内需主導経済への大転換に向けた鍵なのだ。
そうなった時日本は他の誰の手を借りることなく、今度は自らの手で黄金の国へと昇華し始める。
その姿を見た世界は日本に追随し、やがて世界はジャパナイゼーション(日本化)の時代を迎える」
なぜ日本人は自虐するのか?
学校で、やりたくもないことをやらされ、人前でレッテルを貼られ、自分は劣る人間だと思わされてきた、という人がいました。
もうそういう教育は、やめた方がいい。
国外での日本に対する期待は、これからもっと大きくなる、と聞くことがあります。
日本人が、自然と思っているもの、拠り所としているもの、そういうものに興味を持っていきたいと思いました。
以下はマドモアゼル・愛さん独自の、金についての話です。
金(ゴールド)と日本「日本はゴールドジパング」 - YouTube