『プレップ経済倫理学』(柘植尚則、2014)
これから日本の経済は、どうなってゆくのでしょうか。
この本を読むと、修正資本主義というのが、今の日本の経済のようだ、ということがわかりました。
格差や、不平等を解消しようとした福祉国家は、ヨーロッパで増えましたが、行き詰まりました。
どちらかに極端に振れることなく、中庸をゆくのがいいと思いました。
<以下一部抜粋・要約>
経済倫理学の特性
経済倫理学の特性は「考え方」にもあります。
経済倫理学は「倫理学」の1分野であり、倫理学は「哲学」の1部門です。
哲学とは、ひとことで言うと、物事について「原理的・根本的に考える」ことです。
経済倫理の歴史
日本仏教
大乗仏教は、中国を経由して、日本に伝えられました。
それは奈良時代のことでしたが、鎌倉時代になって、そこから、独自の「日本仏教」が誕生しました。
日本仏教の大きな特徴として、「専一」という考え方があります。
専一とは、他のことをを顧みず、1つのことに打ち込むことです。
それは、複雑で多様なものから1つを選び取り、それに集中すること、そして、1つに集中することで、全てに通じることでもあります。
そして、鎌倉時代以降、浄土宗、禅宗、浄土真宗など、日本仏教は、世俗の職業を修業として考え、それに宗教的な意味を与えるようになりました。
さらに、その流れを完成させたのが、江戸時代の初期の禅僧、鈴木正三です。
石田梅岩
日本の伝統的な経済倫理についても見ておきます。
代表的な思想家としては、江戸時代の中期の石田梅岩、後期の二宮尊徳が挙げられます。
石田梅岩は、日常生活の道徳を解き、特に「商人の道」を唱えています。
梅岩によると、商人の道とは、売買で利益を得ることです。
商人の利益は武士の俸禄と同じです。
また、梅岩は「知足安分」を唱えています。
それは、足るを知り、分に安ずる、すなわち、人間には、それぞれの職業があり、人は自分の職業を受け入れ、その職分を全うすべきである、という考え方です。
二宮尊徳
二宮尊徳は、「農は万葉の大本である」として、様々な職業のうちでも、農業を最も重視しています。
そして、「報徳」という考え方にもとづいて、農業のあり方について論じています。
尊徳によると、農業は、「天童」と「人道」が結びつくことで成立します。
天道とは自然の法則のことであり、人道とは人間の勤労や技術のことです。
人間は、天道の徳に報いるために、人道を全うしなければなりません。
そして、その人道とは、具体的には、「分度」と「推譲」からなっています。
分度とは、自らの経済力に応じて合理的に生活を設計することであり、推譲とは、倹約によって生じた余剰を他人に譲り、社会全体の生産力を拡大することです。
このような尊徳の考え方は、「天道人道論」と名づけられています。
経済倫理学の歴史
ーー古代・中世
商業批判ーーアリストテレス
交換をうまく行うために開発されたのが「貨幣」です。
ところが、貨幣が発明されると、交換のための手段であったはずの貨幣を、目的として追求するものも出てきます。
それが商人です。
財産は、本来、自然から得るものであって、交換するだけで得られるものでは無いからです。
正当な商業ーートマス・アクィナス
人々は、社会の中で、貨幣を介して商品を売ったり買ったりすることで、すなわち、「商取引」を行うことで、生活しています。
商取引なくしては、社会は成り立ちません。
それ故、トマスの考えでは、商取引を専門とする商業も、社会にとって必要なものです。
ーー近代
労働と所有ーーロック
ロックによると、自然の権利とは、具体的には、生命・自由・財産に対する「所有権」のことです。
そして、所有権は個人の労働にもとづいています。
ロックの議論は、利己心を正当化する議論の先駆けと言えます。
私悪すなわち公益ーーマンデヴィル
次に、利己心をめぐる論争の中で、利己心を正当化する議論を展開したのは、イギリスのマンデヴィルです。
私益と公益の一致ーーアダム・スミス
さらに、イギリスのアダム・スミスは、マンデヴィルと同じく、利己心が社会に利益をもたらすと主張しています。
ですが、スミスの議論はマンデヴィルとは異なっています。
スミスの議論では、利己心は、意図しない結果として、社会に利益をもたらします。
「神の見えざる手」。
市場と国家ーーヘーゲル
スミスは、市場において私益と公益が一致すると主張しました。
しかし、市場は社会を豊かにする一方で、経済的な不平等という問題を引き起こしました。
それを踏まえて、ドイツのヘーゲルは、国家によって市場を統制することを唱えています。
最大多数の最大幸福ーーベンサム
近代のヨーロッパでは、経済が急速に発展する一方で、不平等が広がり、貧困や失業、過酷な労働といった「社会問題」が深刻な問題になりました。
それを受けて、「社会改良」を唱える思想が数多く現れました。
その1つは、イギリスのベンサムを祖とする「功利主義」です。
ベンサムによると、功利主義とは、「功利原理」を道徳や立法の原理とする立場です。
功利原理とは、人々の幸福を増やす行為を認め、反対に、人々の幸福を減らす行為を認めない、という原理です。
人間の改善ーーミル
ミルは、「人間の改善」を通じて私益と公益を一致させることを唱えています。
ミルの議論は、人間の改善、すなわち、人間の道徳的な進歩を、私益と公益の一致の条件や可能性とするものです。
具体的には、人間を社会的にすることで、私益と公益の一致を実現しようとするものです。
資本主義批判ーーマルクス
近代のヨーロッパでは、不平等はさらに広がり、社会問題はいっそう深刻になりました。そうした状況で、ドイツのマルクスは、不平等が生まれる仕組みを明らかにし、それに基づいて、資本主義を批判しています。
資本主義とは、第1章で見た通り、私有財産制、商品経済、市場経済、自由競争、利潤追求の自由などを原理とする経済体制のことです。
マルクスの考えでは、余剰労働や余剰価値は、本来、労働者のものですが、資本家はそれを労働者から「搾取」しています。
そのために、資本家と労働者の間で不平等が生まれるのです。
ーー現代
福祉の向上ーーマーシャル、ピグー
福祉国家とは、一般に、経済政策や社会保障政策によって国民の福祉を実現することを目的とする国家のことです。
それは、資本主義の経済体制をとりつつも、政府が市場や国民生活に積極的に関与することで、社会問題の解決を目指すものです。
マーシャルとピグーはともに、人々の福祉の向上が経済の発展と密接な関係にあると考え、福祉の向上をみずからの課題にしています。
福祉国家とその批判ーーケインズ、ベヴァリッジ、ハイエク
福祉国家という考えを確立したのは、イギリスのケインズとベヴァリッジです。
まず、ケインズは、政府が財政・金融政策によって「完全雇用」を実現することを唱えています。
次に、ベヴァリッジは、「社会保障」によって貧困を克服することを唱えています。
そして、ケインズとベヴァリッジの考えが合体することで、福祉国家という考えが確立され、さらに福祉国家が誕生しました。
この福祉国家を強く批判したのは、オーストリア生まれのハイエクです。
ハイエクによると、福祉国家という考えの内には、「自由な社会」と両立しないものや、自由な社会にとって脅威になるものがあります。
ハイエク自身は、自由な競争に基づく市場こそ、自由な社会であると考えています。
ただし、ハイエクの考えでは、市場は、自由放任の世界ではなく、特有のルールや慣習を持った「自生的秩序」です。
そして、このような市場が存在する条件を整えることが、政府の務めなのです。
福祉国家の再考ーーロールズ、セン
福祉国家は、現在になって誕生しましたが、早くも危機に陥りました。
それを受けて福祉国家に対する再考が始まりました。
その時期に、アメリカのロールズは、独自の正義論を提唱しています。
中でも独創的なのは「格差原理」です。
格差原理とは、社会的・経済的な不平等は、社会で最も恵まれない人々に、最も大きな利益をもたらすようなものでなければならない、という原理です。
また、インド生まれのセンは、人間の「潜在能力」という観点から、福祉や福祉国家のあり方について再考しています。
センによると、人々の福祉を実現するには、人々の罪を公平に分配するだけでは不十分です。
人々がその財を用いて様々なことができるようにすること、つまり、人々の潜在能力を広げることが必要です。
ーー現代の経済体制
修正資本主義
1930年代の「世界恐慌」をきっかけとして、失業や貧困を解決するために、政府が積極的に経済に関わるようになりました。
このような、政府による「経済政策」を原理とする資本主義を「修正資本主義」といいます。
そして、第二次世界大戦後には、多くの国が修正資本主義を採用し、民間部門と公共部門からなる「混合経済」体制が確立しました。
その結果、失業や貧困は大幅に解消されました。
ところが、70年代には、混合経済体制による「財政赤字」が問題になりました。
それを受けて、フリードマンは、様々な経済政策を行う「大きな政府」を批判し、経済への介入を行わない「小さな政府」を唱えました。
フリードマンのように、政府による市場介入を排し、経済を市場のメカニズムに委ねようとする立場を「新自由主義」といいます。
そして、80年代には、多くの国が新自由主義の考えを取り入れ、規制の緩和、国営企業の民営化、社会保障の見直しなどの政策を行いました。
その結果、経済が回復する一方で、不平等や格差が拡大しました。
さらに、90年代には、社会主義の崩壊に伴い、資本主義が世界全体に広まりました。
そして、21世紀に入ると、「グローバル資本主義」が生まれ、「金融危機」が起こりました。
それに対応するために、現在、各国の政府は経済に介入する動きを強めています。
私(チキハ)の感想です。
日本の経済倫理と、西洋のものとでは、何かが違うと感じました。
それは、労働に対する、人々の心持ちなのかなと思います。
具体的に言うと、日本人の仕事とは、お金儲けそれ以前に、美徳があるように思うからです。
物やサービスを大切にしたいという気持ちがあるように思います。
日本人には、価値を生み出す力や、問題解決の力があると聞いたことがあります。
日本の経済倫理をもう少し学びたいと思いました。