『ダボスマン』(ピーター・S・グッドマン、2022)
スイスのダボスで例年行われる世界経済フォーラム総会(通称ダボス会議)に集う、名だたる億万長者たちの呼称。
40年ほどの間に、世界の億万長者と、私たちの間には、大きな格差が生じてしまった。
日本にいると、そんな話を聞くことはめったにないと思います。
一体、何がどうなっているのでしょうか。
誰が何をしたのでしょうか。
これからどうしたらいいのでしょうか。
その問いに答えてくれる一冊でした?
<以下一部抜粋・要約>
ダボスマンに勘定を回す
政策の次元では、経済格差を縮小することは、それほど複雑な課題ではない。
ただ単に、政治的な目標として掲げるのが著しく困難なだけである。
政府が富を再分配すれば、市井の人々が社会で実質的な発言権を取り戻すことも可能になるはずだ。
だが、富を手にしてきた社会層は、その富を使って民主主義を操作することにもたけていて、公正な再分配を妨げてきたのだ。
ダボスマンは、自らの税負担を増やしかねない動きを常に排除してきた。
その際に用いるのが、果てしない嘘の1種で、富は下方へ滴り落ちていくというトリクルダウン理論だ。
富に対して課税して再分配しようとすれば、起業家の投資や雇用意欲を削ぐという理屈だ。
ダボスマンが繰り出す果てしない嘘が政治的にまかり通ってきた理由は、ダボスマンの相棒であるマクロンやマコーネルのような政治家への選挙向け献金だけでは説明しきれない。
トリクルダウン理論の背景には、人類の本性にアピールする、一見すると魅力的な構図が作用している。
繁栄の喜びを奪いに来る“政府”という顔のない存在に対して、英雄的な個人が立ち向かうという図式だ。
ジェイミー・ダイモンが2017年にトランプ減税策を支持する運動を繰り広げた最も、こうしたお馴染みの屁理屈を披露した。
税の重荷から解放された企業が、余剰資金を使って工場を建て、業務を拡大し、賃金を上げるだろう、と彼は予測した。
「間接的なので、証明してみせることはできない。でも、私には現実だとわかっている」。
ダイモンがそんなふうに表現したのと同じ期待感が、レーガン政権以降の米国の経済政策を動かしてきた。
だが、その予測は外れた。
世界中で40年以上にわたって大掛かりな公開実験が行われ、結果が出たといってもよい。
富裕層への減税は、圧倒的多数を占める市井の人々にとっては、惨事でしかなかった。
経済成長は起きなかった。
一般の労働者に賃上げをもたらさなかった。
そして、もともと富の大半を手にしていた者たちのふところには、いっそう財産が集まった。
先進経済18カ国での広範な調査は、減税は格差を拡大させただけだと証明していた。
この40年間で、ダボスマンの果てしない嘘の実態が姿を現した一方、大切な真実とでもいうべき事柄も見えてきた。
それは、社会に広く恩恵を施し、実際に経済成長を生む要因は、第二次世界大戦直後の30年間に繁栄をもたらした要素と何ら変わっていない、ということだ。
要するに、教育、医療、インフラへの公共投資である。
格差を縮小するためには、経済成長の果実を誰が受け取るのかを決める計算式、それ自体を調整する必要がある。
おおむね、税に関することだ。
税制については、政治の側でどんな決定がなされてもダボスマンが損ををすることのないように、彼らの命を実行する一大産業が存在してきた。
会計士や弁護士、それから魔法のような金融商品の開発者が世界中で活躍し、財産をどのように申告するか、どこに置いておくか、当局に極力小額しか渡さないためにはどうすればいいか、策略を練るのだ。
課税額を減らそうとする組織的取り組みは、驚くほど効率的に成果を上げた。
調査報道NGOのプロパプリカが連邦政府の税務資料の山を精査し、2021年6月に発表した分析結果からは、最富裕層の企てがいかに大胆なものだったかが読み取れる。
2007年と2011年には、ベゾスは連邦税を全く支払っていない。
テスラの創業者イーロン・マスクや、カール・アイリーン、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルームバーグといった億万長者たちも同様の記録を残している。
だから、ウォーレンやサンダースは富裕税を導入しようと試みていたのだ。
発想の原点にあるのは、所得ベースの課税では、富裕層は常に税逃れの方法を見つけてしまう、という端的な現実だった。
富裕税の反対論の大半は、既得権益を擁護しようとする直感に基づいている。
声を上げるのは、明らかに恩恵を受けているダイモンのような者たちだけではない。
長年にわたって政策の変動に影響力を及ぼしてきたと自負し、定評を築いてきたタイプの人物も、本来は中立であるべき立場を捨てて反対論を展開する。
バイデンは、富裕税の賛成派ではなかった。
だが、つまみぐいのような形とはいえ、最富裕層の租税負担を相当程度まで高める政策を推し進めている。
ダボスの魔法が解けた世界へ
世界が向き合う課題の多くが、根本的には、不公正な経済的分配をめぐる問題と言える。
グローバル資本主義は実際に、最も進んだ経済の形態だ。
その下で創造性や斬新な着想が奨励されてきたからこそ、人類の寿命は伸び、生活水準が改善してきたのだ。
資本主義は富を増やす。
他の選択肢と比べれば、とんでもなくまともだと言える。
ただし資本主義には、何もせずに成果を後世に分配できるような仕組みは備わっていない。
それを補完することこそが、民主的に権限を与えられた政府の債務なのだ。
深刻な格差は現代文明の副産物であり、必然なのだとダボスマンによって信じ込まされたことで、民主主義の正当性への信頼は損なわれた。
そこから生じた怒りが、人類の最も良くない側面に作用した。
憎悪をあおり、妄想じみた陰謀論を強化した。
事実と科学は重みを失ってしまった。
今の世界にあるのは、自由市場ではない。
最も権勢を持つ者たちの利害に沿って、社会全体の犠牲ありきで操作された市場だ。
社会福祉は億万長者向けのものでしかなく、その他大勢は、個人主義の名のもとに放置されるばかりだ。
歴史は決して終わらないが、歴史を再起動すべき時が来ている。
資本主義を再構築し、利益をもっと多くの人にもたらさなければならない。
公正さを実現させるには、民主主義を実践する以外に道はない。
賃金と雇用機会の増加を軸とした戦略を進め、新たな形で社会保障を構築し、独占禁止法性を復活させて執行し、富裕層に焦点を当てた税制改革を実施する、そんな道だ。
いずれも、平坦な道ではない。
しかし、富が実質的に再分配されない限り、民主主義という概念そのものが危機に瀕し続ける。
それが、トランプ政権やブレグジットなど、世界中で強まる反リベラリズムの潮流によって、否応なしに示された現実である。
ダボスマンによるルール作りの慣行を止め、次の時代を切り開く事は、決して急進過激な方向性ではない。
先進経済諸国が第二次世界大戦後の30年ほどの間にたどった道を復活させるだけなのだ。
もちろん、その時代も完璧ではなかった。
だが、少なくとも社会全体がまとまって成長できた。
民主主義は、億万長者の集団によって歪められてきた。
その結果として、個人所有のリゾート島や海外銀行の隠し口座、さらなるインサイダー取引を交わすためのダボスでの秘密会合、といったものが横行する世界が生まれたのだ。
ダボスマンから権力を奪還するためには、暴動も、革命思想も必要ない。
必要なのは、ずっと手元にあった道具を賢く使いこなすことだけだ。
その道具が、民主主義である。
私(チキハ)の感想です。
経済を成長させるには、公共投資が必要です。
教育、医療、インフラ統制です。
ここまで書いていて、読書中によぎった疑いの気持ちが渦巻くのを感じています。
それらは、今は、権力者の道具になってはいないだろうか、と思ったからです。
そして、繁栄の果実を分配する計算式が必要だと言い、富裕税が必要だと言う。
それは、そうだと思いました。
しかし、なにかが引っかかっているのです。
グローバリズムを肯定し、それに反する勢力をけん制しています。
必要な道具は、民主主義だと言う。
どうして急にその言葉が出てくるのでしょうか。
アメリカ人の心に響く金言だからでしょうか。
著者は、ニューヨークタイムズ紙の記者です。
私の中では、針が黒い方にふれているのですが、それはこんなかんじです。
一つのうそと、九つの真実、といった例えです。
気のせいかもしれません。