ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

仕事がない時代がやってくる

『WORLD WITHOUT WORK』(ダニエル・サスキンド、訳上原裕美子、2022)

未来のテクノロジー失業の脅威

<以下一部抜粋・要約>

 

垣間見える未来

本書で考察していくとおり、この先に待ち構える根幹的な難問、それは分配の問題だ。

技術進歩は人類全体をかつてないほど豊かにしているかもしれないが、富を分配する従来の方法ーー労働に対して賃金を払うーーが過去のような効果を示さなくなるのだとすれば、そのゆたかさをどうやって分かち合っていけばいいのだろう。

どうすることが正しいのか。

本書では、こうした危機においては国家が社会の富の分配に大きな役割を果たすべきだと論じている。

いわゆる「大きな政府」だ。

実際、それ以外に頼れる選択肢は無いことが、今回のパンデミックで浮き彫りになった。

採用するスキームに若干の違いはあったものの、どの国も政府の役割を大幅に拡大し、仕事のなくなった国民に所得を提供した。

ベーシックインカムのように、ほんの2、3ヶ月前までは突飛なアイディアとみられていた構想も、突如として政治議論のあらゆる場面で一般的に語られるようになった。

失業者を支え、経済全般のテコ入れをすべく、アメリカはすでに2007〜2008年の金融危機におけるピークよりも5倍も多く国の借金をしている。

イギリスも、2020年の債務が平時としては過去最多額になる見込みだ。

 

分配問題

ケインズが最初にテクノロジー失業について書いたとき、景気は惨憺たる状況だった。

何しろ1930年だ。

大恐慌が始まっていて、長引く不況が産業界全体にのしかかっていた。

目の前には絶望しか見えなかったにもかかわらず、ケインズは読者に、慌てることはないと語りかけている。

「短期的な視野」から自分を「解放」し、代わりに「未来に飛び込んで」みようとうながす。

ケインズの考えでは、いずれ人類は「経済問題」を解決する。

太古から続いてきた「生きるだけのための苦労」を続けなくても良くなるという意味だ。

そして最終的にはテクノロジー失業のことなど心配する必要もなくなるーーその頃には経済のパイが、全員が充分に食べられるほど大きくなっているからだ。

技術進歩が一定のペースで進むと仮定すれば、パイは100年以内にそれだけの大きさになる。

つまり2030年までに、経済は十分に拡大するという計算だった。

ある意味でケインズの予測は正しかった。

しかも、彼が設定した期限よりも約10年前倒しで実現している。

今日、世界のGDPは、この地球上の人間全員が生きるだけのための苦労を味わわなくて済む充分な規模がある。

ノーベル賞受賞経済学者ジョセフ・スティグリッツは、「ケインズが再三にわたり充分な関心を向けなかった重大な問題」、それは「分配の問題である」と述べた。

 

おわりに

僕はこの10年間、未来について思考をめぐらせながら、しばしばツヴァイクのことを考えた。

1人、机に向かって座り、自伝を執筆するツヴァイク。

彼がいうところの「安定の黄金時代」で、現在を生きる僕たちの多くも育ってきたのではないだろうか。

僕の表現でいえば、労働の時代だ。

20世紀前半の狂乱と虐殺が終わった後、世界のほとんどの土地では、見通しのつきやすい穏やかなリズムで日常が営まれるようになった。

そして有償の仕事に邁進することが、人生を構築する重要な要素となった。

人生を先に進むものから渡されるアドバイスは常に同じ。

真面目に学校でがんばっていれば、あるいは何らかのやるべきことをしっかりやっていれば、安定した仕事で稼ぐ未来が待っている。

親も教師も口をそろえてそう言うのだった。

僕はこの本で、僕たちの安定の時代が、ツヴァイクにとっての安定の時代と同じく、終焉を迎える運命であると論じてきた。

この先の数百年間で、技術進歩は人類をいっそうゆたかにしていくだろう。

しかしその進歩は、僕たちを、人間がする仕事が足りない世界へと連れて行く。

僕たちの祖先を悩ませていた経済問題、どうすれば経済のパイを全員が食べられるだけの大きさにできるかという問題は消滅し、代わりに3つの新たな問題と入れ替わっていく。

1つ目は、不平等の問題。

この経済的繁栄を全員で分かち合うにはどうしたら良いのか。

2つ目は、政治的支配力の問題。

繁栄をもたらす技術を誰が、どのような条件で制御すべきなのか。

そして3つ目は、人生の意味の問題。

得た繁栄を使ってただ生きるのではなく、よく生きるためには、どうしたらいいのか。

こうした問題は厄介で、おそらく今後はいっそう解決が難しくなる。

対策についても根本的なところで意見が割れるだろう。

それでも、僕は未来に希望を抱いている。

ほんの数世代前まで、人類のほぼ全員が、貧困線に近い暮らしをしていた。

生計を立てられるかどうか、生きていけるかどうかで、ほとんど誰もが頭をいっぱいにしていた。

その点、僕たちの世代は幸運にも、人類がそんな運命に対峙しなくてもよくなった世界で初声を上げた。

自分と家族を生きさせられるだけの経済的ゆたかさが、理論上では全員に確保された世界だ。

迫り来る不平等、支配、そして人生の意味についての問題は、この前例なき繁栄がもたらした結果だといえる。

僕たちが後にも享受している物質的繁栄の引き換えとして生じた代金だ。

僕の見る限り、そのツケを解消していくことの意義は大きい。

21世紀の僕たちは新しい安定の時代を築いていかなければならない。

安定をもたらす基盤として、もはや有償の仕事には頼らない時代だ。

この構築は今日から始めていく必要がある。

人間がする仕事が足りない時代に到達するまで、具体的にどれくらいの時間がかかるか知ることはできないが、その方向に向かっているという明白なサインは見えている。

平等と支配と意味の問題は、遠くでかすかに揺らめいているわけではない。

はるか彼方の未来に隠れているわけでもない。

それはすでに始まっている。

僕たちが受け継いできた既存の制度や生き方を揺さぶり、挑んできている。

どう対応するのか、それは今、僕たちの手にゆだねられている。

 

私(チキハ)の感想です。

副題は、“AI時代の新「大きな政府」論”です。

はじめは、こわい未来が書かれているのかと思っていたのですけど、そうではありませんでした。

ケインズは、未来に飛び込めと言って、死んだ後の未来を想像して、安心していたのですね。

人類の未来に、安心していたわけ、自分個人の生命のことを心配することではなく。

そちら(ケインズの考え)に重心をおいていることが心にはいいようだと思いました。

分配について、私は、思想が重要だと感じます。

土地の所有者、技術の保有者、お金の所有者、知識の所有者、などについて考えます。

どこまでが、所有権なのだろう。

全てを正当に手に入れたなら、全て自分のものなのだろうか。

私がそう思うようになったのは、仏教系YouTubeを見続けている変な日本人だからだ。

そのうち日本では、西洋の価値観とちがうものが、表面化されると思わずにはいられない。