『財政危機の深層』(小黒一正、2014)
ちょうシルバー民主主義時代に、専門家の意見が聞きたい。
<以下一部抜粋・要約>
「シルバー民主主義」の台頭
経済学の祖、アダム・スミス以来、資本主義経済下では通常、資源配分の効率性を高めるため、市場の活力を重視する。
いわゆる「神の見えざる手」に任せておけば、社会全体に富が行き渡り、適切に資源が配分されるというわけだ。
しかし、実際には恐慌や「〇〇ショック」のような事態が象徴するように、市場の失敗が発生するケースも多く存在する。
そういう場合、政府が介入してルールを構築することで問題を解決しようとするのが常である。
しかし、ルールを定める政治的な意思決定プロセスには、「政治家」「官僚」「有権者」「利益団体」といった、利害を異にする様々なプレイヤーの行動が影響を与える。
また、政治的意思決定は、それを行うための制度やルール(例:憲法や議会運営ルールといった政治システム)からも大きな影響を受ける。
むしろ「政府の失敗」が出現するケースも存在する。
そして今、「政府の失敗」の大きな要因として懸念すべきが、「超高齢化した民主主義」の出現である。
もし、有権者における引退世代の政治的影響力が勤労世代の政治的影響力を上回っていて、政治がその影響力に応じて意思決定を行うならば、政治は引退世代の効用を最大化するように行動する。
これを「シルバー民主主義」仮説という。
財政規律「厳格化」と「緩和」のジレンマ
いずれにせよ、政治は、財政を左右するつよい力を持っている。
外から眺めると、財務省こそが強大な権限を持つ組織に見えるかもしれないが、実際の予算編成や政策立案の過程では政治の意向が強く働いている。
なぜなら、予算や法案を通すためには、政権与党の了承を得る必要があり、その“見返り”として、財政支出の拡大や減税など様々な案件を持ち込まれるからだ。
そして政治が高齢者・引退世代の意向を組む傾向があるとすれば、財政健全化の道は極めて厳しいように見える。
だが、ここで諦めれば財政破綻は目の前だ。
ここからは、利己的に動く人間の性と現行制度の限界を前提としつつ、なお「政治的意思決定の枠組みをどのような方向で改革すれば良いのか」を考えていこう。
財政への政治的圧力を制御する手段の1つとして、90年代の欧米を中心に、「財政ルール」の設定が試みられてきた。
いわば、財政政策の「脱政治化」の動きである。
この試みは、カナダやオーストラリアの財政再建を始め、2000年代半ばまではいくつかの国々で成功を収めてきた。
しかし、財政政策の運営は、2012年の欧州財政危機で明らかになったように、経済変動の見通しとも密接に絡んでおり、単純な財政ルールで拘束することはなかなか難しいのもまた現実である。
日本の事例でいえば、1997年の「財政構造改革法」の制定と凍結がそれにあたる。当時の橋本龍太郎政権は財政再建を最重要視しており、当局と歩調を合わせてこの法の制定が実現した。
目標は、2003年度までに①国及び地方の財政赤字を3%以下に抑制、②赤字国債の発行をゼロとする、③公債依存度を1997年度よりも引き下げる点の三本柱であった。しかし、97年に始まる金融危機や消費増税のあおりで98年7月の参院選で橋本内閣が退陣すると、景気回復を優先する小渕新内閣のもと、同年12月に財政構造改革法は凍結されてしまう。
つまり目標が厳しすぎても現実的ではないし、逆に、あまり弾力的かつゆるいルールにすると、財政赤字に対する政治的圧力を制御する目的を達成できなくなる。
そんなジレンマを抱えつつ、落としどころを探る必要があるということだ。
まともな「長期推計」を公表せよ
2025年以降は「団塊の世代」の全てが75歳以上の後期高齢者となることから、社会保障費の急増が見込まれている。
現行制度のままでは、特に医療費や介護費の増大が深刻だ。
すでに第4章などで試算している通り、2050年度のプライマリー収支の赤字を消費増税で均衡させるには、消費税率を26%以上にすることが必要だ。
ところが、肝心の政府は、これだけ明らかに厳しい将来を国民に一切提示していない。
少しでも良いシナリオを描くため、国としてどういう目標を設定し、そのために今、どういう政策が必要なのかも明らかにしていない。
何より問題なのは、そういう議論を喚起するような、財政の種々のリスク要因を50年ほど先まで見通した「長期推計」を公表していないことだ。
消費増税を無駄にせず、財政の持続可能性を高めつつ、世代間格差の是正を図るため、政府・与党は財政の長期推計を早急に公表する必要がある。
内閣府の「中長期試算」にしろ、この「財政の長期資産」にしろ、前提が甘くて現実と乖離していると言う点は共通している。
深刻なのは、マスコミや世論の過剰な反応を恐れる「政治」に配慮し、厚生労働省、財務省を中心に政府当局の腰が引けていることだ。
あまりに厳しい財政の現実を突きつけると、政治が困ってしまう。
目下の政府が公表する「推計」や「資産」の類は、そういう配慮の産物であると言う前提で割り引いてみた方がいいだろう。
「政治」に支配されない独立機関の設置を
現状のままでは、近い将来に財政が破綻する。
将来世代への配慮と利他性を呼び覚まし、財政破綻を回避するためには、財政・社会保障の抜本改革を行うしかない。
このことは、筆者のみならず、良識ある政治家や官僚、あるいは多少なりとも財政に詳しいマスコミ関係者なら誰でもわかっていることだ。
しかし、「わかって」いながらそれが実現されないのなら、そうした意見を実質的に「政治的多数派」にしていくための制度的枠組みが必要だ。
筆者が考える解決策の1つは、政治的に中立で学術的に信頼性の高い公的機関が「財政の長期推計」や「世代会計」などを試算し、国民に状況情報提供することだ。
その枠組みとして、内閣府や財務省・厚労省といった既存の行政組織とは別に、「世代間公平委員会」といった組織を新設すべきだと考えている。
いずれにせよ、財政破綻が現実のものとなる前に、本当に財政を立て直すためには、既存の枠組みでは役に立たない事は明らかだ。
火だるまになっても、世代会計や財政の長期推計を公式推計として国民に情報発信し、本当の財政の姿を明らかにする枠組みや専門集団が必要である。
そこから、本当の改革が始まるのである。
「政治は経済を捻じ曲げる道具」であるならば、経済を立て直すのもまた、政治であるはずだ。
これから日本は世界に類を見ない「超シルバー民主主義」の時代に突入する。
その是正を期し、筆者も問題意識を同じくする政治学者たちと議論を続けていこうと思う。
私(チキハ)の感想です。
この本に書かれていてもっともだなと思ったことがあります。
政府とは別の専門家集団が国民に伝えるということです。
そしてこのような解決策があるという提案をすることです。
財政を審議する「財政の門番」と、「世代間公平委員会」は分けたほうがいいのではないかと思います。
世代間委員会では、一般の人たちが、参加できるようにすれば「視聴率」も上がるし(興味をひく)おたがいの思いが、どのようなものかが分かり、落としどころが定まってくるように思います。
今のままでは、若い人は、負担を強いられ、年寄りが優位を保つ、と思うでしょう。
高齢者においては、それでも私たちは生きていかねばならない、と思うでしょう。
思いを吐き出す、ガス抜きが必要です。
今の70代以上の方々を見ると、何もなかった日本をモーレツでここまでつくり上げてきた人たちなのだという思いが私にはあります。
週休2日、実働8時間でいまの生活を手に入れたのではないはずです。
人生の計画は、70〜80歳くらいだったのではないでしょうか。
利己主義のガリガリは、世代でくくれないと思う。
99歳で点字に翻訳する人が、仕事と思ったら出来ない、と言っていました。
利用者が少ないために採算が合わないのです。
こういった仕事(ボランティア)をする高齢者がいるのです。
時間があるのよ、と言っていました。
とにかく、情報や、やりとりを、板の上に広げて見ることが出来るといいと思います。