ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

シン・ニホン

シン・ニホン(安宅和人、2020 )

<以下一部抜粋・要約>

自分を取り巻く現実を直視しないのは人の常だが、それにしても、この世の中の変化と意味合いをファクト(事実)に基づき、全体感を持って語る建設的な議論はとても少ない。

現代の経済のルールや知的生産のルールが大きく変わってしまったこと、日本が今どういう状況にあるかということ、そしてその中で個人や社会は何をしなければいけないかということ、これらをひとつなぎに通した議論を見ることもまずない。

ほとんどの人は、あまりにも多くのことが変数として一気に動くめまぐるしさの中で、変化が落ち着く日を待っているようだ。

でも、残念ながらそんな日は来ない。

世界は昔も今もダイナミックに動いてきた。

これからもそうだ。

では、どうしたらいいのか。

僕の答えは、振り回される側に立つことをやめる、臭いものに蓋をすることはやめるということだ。

僕ら一人ひとりは、望むと望まないとにかかわらず、これからの未来を生きていくことになる。

大切なのは、自らハンドルを握り、どうしたら希望の持てる未来になるかを考え、できることから仕掛けていくことだ。

確かに日本にとっても人類にとっても、相当にしんどい局面ではある。

しかし、手なり(今の流れのまま、そのまま成り行きで進めるとすると)の未来が受け入れがたいとき、それをそのまま待つのは負けだ。

人間の持つ、おかしな未来が来ることを予測する力は、予測される未来を引き起こさないためにある。

どんなことを仕掛けたら未来を変えられるのか。

それを考え、仕掛けていくのはとても楽しい。

一人一人がヒーローになり得る時代なのだ。

僕らは少しでもマシになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ。

もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。

そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。

未来は目指し、創るものだ。

 

異人の時代

このような「創造」「刷新」こそが大切な時代、ではどのような人が未来を作るカギとなる人材なのか。

これまでのゲームでは、とにかくみんなが走る競争でつよい人が大切だった。

また、個別領域での専門家がとても大切だった。

何でもまんべんなくできるスーパーマン的な人が期待されてもきた。

しかし、このような世界ではカギとなる人材像も本質的に変容する。

これからは誰もが目指すことで1番になる人よりも、あまり多くの人が目指さない領域あるいはアイディアで何かを仕掛ける人が、圧倒的に重要になる。

こういう世界が欲しい、嫌なものは嫌と言える人たちだ。

1つの領域の専門家と言うよりも、夢を描き(=ビジョンを描き)複数の領域をつないで形にしていく力を持っている人が遥かに大切になる。

 

未来の方程式

未来は我々の課題意識、もしくは夢を何らかの技・技術で解き、それをデザインでパッケージングしたものと言える。

つまり「未来=夢×技術×デザイン」だ。

データ× AI、バイオ技術、土木・建築技術、電気電子技術、医療技術、その他諸々の科学的な知識やそれらを適用する技術は大事だが、それだけでは未来の創造につながらない。

こんな課題を解きたい、こんな世界を生み出したい、そういう気持ちなしで、手なり以外の未来など生まれる理由がない。

 

AIは生命の持つ知性とは根本的に異質

我々の持つ知性とAIの最も本質的な違いの1つは、AI、機械知性は意味を実感のあるものとしては何も理解していないということだ。

単に情報処理を自動化しているだけであり、何を行っているのかすら理解していない。

つまりAIは、識別は見事にできても本質的に「知覚」をしていないのだ。

しかも、機械に我々と同じような体がないこと、色や形のような基礎的なモダリティ認知属性の意味からの組み上げがないために、この課題が解決する見込みは立っていない。

 

不確実な未来にいかに対処するか

未来は目指すものであり、創るもの

人工知能となんだか似た響きだが、微妙に違う隣の分野に人工生命という領域がある。

コンピューター上でモデル化された生命がいて、これらが生き延びていく。

突然変異も仕込めるし、捕食関係の仕込み、膨大な世代を繰り返し、進化する姿も見ることができる。

とても興味深い領域の1つだ。

以前、ある教育系テレビ番組で流れていたのだが、コンピューター上の生命を何種類か置いて、それらがどのように進化していくかを見ていくと、初期値やモデルが同じでも毎回違う結果になる。

全く同じ結果は二度と起きない。

ブラウン運動で1つの粒子の次の動きが予測できないように、一つ一つの変化には幅があり、しかも要素間に様々な正と負のフィードバックが働き、さらに新しい高次の構造が何階層にもわたって創発的に生まれ出すからだ。

多くの人にとって、これはちょっとした驚きだ。

未来は予測できないということだからだ。

モデル化されたシンプルな世界でもそうならば、我々の生きているような、遥かに要素が多く入り組んだ世界であれば、なおさらそうなることは自明だ。

そもそも我々の生きているこの系(地球の表面)は必ずしもクローズドシステムですらない。

太陽のフレアや地殻変動などの外部影響を随時受けているからだ。

 

もちろん、技術の進展の大まかな方向は見える。

例えば、人工知能分野関連であれば、識別・予測から実行(作業)における暗黙知の取り込み、そして意味理解/意思like な世界への展開などだ。

ただし、これが生み出す未来は予測できない。

 

産業はそこにある課題とその課題を解決する技術、方法の掛け算で生まれる。

課題がどうなるかが変わってくると当然のように中身は変わる。

また実現するアプローチが少し変わるだけで全く違う世界がやってくる。

よく考えてみると、そんなことは僕らはよく知っている。

雑多なMP3プレイヤーが渦巻く中、iPodが2001年に生まれたときもそうだった。

ワクワクを形にする方法などいくらでもある。

だがどれが当たるかはだれもわからないだけだ。

それでも未来は目指すことも作ることもできる。

課題がある、技術がある。

その組み合わせ方も、問題の解き方も自由だ。

 

私(チキハ)の感想です。

その世界のど真ん中にいたGoogleの共同創業者でさえ、「AIにおける革命は深遠だ」と述べています。

データ× AIの世界ではすべての変化が指数関数的に起きる、とあります。

過去100万年にわたる人間の生産性の推移を調べた人がいてこのように言っています。

「人類の生産性は産業革命からの200年位で50から100倍に上がっている。

ここからの数十年でこれがもう一段跳ね上がる瞬間を僕らは生きている可能性が高い」

数十年でって、どんな勢いなんだよ。

生まれたばかりの人は、どんな未来を創るんでしょう。

過去に縛られない、10代20代それに手を貸す熟練者に期待します。