ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

わたしの恐れ

わたしの恐れ

 

目をつぶりながら、静かな環境で、自分の中の恐れを抽象的な形にしてみる。

それは黒くて重いゴルフボールくらいの球体で、どれくらい重いかというと、意識で持ち上げないとどこまでも落ちてゆくくらい重い。

それを空に放つというイメージトレーニングをしている。

実はもう少し複雑なことをやっているけど、省く。

この重さは、一体なんであろうか、と考えると、すぐに父親との関係が浮かぶ。

静かな人であった。

だが、心が折れていた。

子供は家庭を守るために、いくつかの方法を使うと本で読んだ。

反抗する者、逃げる者、迷子になる者、あと何か一つくらいあったと思う。

子供は、親を助けたり、守ったり、救ったりするものだとわたしは思っている。

そのためには自分の命さえ差し出すほどの純粋さがあると思う。

幼かったわたしは、そのような例にもれず、命さえいとわないと思っていたと思う。

自己犠牲という言葉を知ったのは大人になってからだ。

しかし、相手の幸せのためにどこまで自分を犠牲にすればいいのか。

幸せと書いたが「相手の欲求を満たすために」といった方が適切かもしれない。

重い、重いのである。

このような重い思考と感情が心の奥底に流れているのである。

では、わたしの幸せのイメージは、どのようなものか。

やっと思いつくのは、笑っているわたしである。

その周りには、和やかな人たちがいる。

パステルカラーである。

わたしはそこで何をしているのか。

思いつかない。

どうやったら、そこに行けるのか。

分からない。

わたしは、明確な目標と計画が立てられないという特徴を持っている。

だが、今までの経験から分かってきたことがある。

自由にさせておくことだ。

失敗もまわり道もみちくさも、おバカも未熟もだらしなさも無計画も笑って許してほしい。

そうすれば、笑っていられる、きっと、あなたも、わたしも。