ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

サトリへのみち

父親が私を愛せなかったのは、父親自身が己を愛せなかったからだ。

こんなことを言っていた。

「お前は何が正しいかわかるか。俺にはわからんよ」

こんな問いを小学生だったか中学生の頃の私に言うなんてね。

洞窟の奥からのぞくような暗い目をして、自分の父親が駅で倒れて死んだが、そのときに誰も助けてくれなかったとか、あの人がこんなひどいことを言うんだ、なんて話をする。

母親は、そんな父親に怒りをおぼえた。

頼りたいのに、頼れなかったからだ。

新しい土地で友人のいない核家族では、その行き場のない想いは、おのずと子供に向けられた。

つまり、二人は、それぞれが、満たしてくれと相手に要求しているのだ。

そして、その満たされない想いを満たすために、子供の愛を必要とした。

愛を奪われた子供は、心にぽっかり穴が空いてしまうのである。

この繰り返しなのだ。

これをやめなくてはならない。

私はそのことを学ぶために、この両親のもとに生まれたのだとさえ思う。

どうすればいいのか。

ここでこの問題は、なんであろうかと考える。

自分を愛することの難しさだ。

親になってみて分かるが、子供が幼少期には、無償の愛を与えられるのだが、それを過ぎると、社会で生きて行きやすい人に育てていくことが必要となる。

このあたりで問題が生じやすいと思う。

あなたがあなたである、それだけでいい。

なんて、かっこいい言葉であるが、これが自分に対してできるかである。

私が私である、それだけでいい。

そう自分に言えるようになるのには、かなり修行がいる。

自分の良いところと悪いところ、長所と短所、得手不得手をわかって受け入れること。

どんなことに積極的になって、情熱を持つのか。

それが、他人や、社会からどう見られるかより大切なのだ。

それが出来ないと欲求不満になってしまう。

恋愛とか、結婚は甘い物語ばかりに心を奪われる。

一緒になれば満たされるように思う。

だが、そうならないことは多い。

この無償の愛を自分に対してできていないからだ。

悟りとは、普段の生活の中で不幸を感じないでいられることだと聞いて、ナルホドと思う。

そのような人たちなら、恋愛をしても結婚をしても幸せでいられるのだろうと思う。