よく聞くと69歳である。
「あたしダメな人なの」
77歳のボスキャラに痛めつけられて3年なのだ。
観察していると、やはり、足りない。
どう足りないのかというと、日本人女性ならば、自然と出来る気遣いができない。
例えば、斜めに入れないとか、真ん中に寄せるとか、数を間違えずに入れる、そんなことだ。
膝をつかないとか、下に物を置かないとかである。
いちいち指摘する方も大変である。
本人は、「どうして私ばかり言われるの」と夜中にうなされているとか、眠れないとか言うのである。
そして、私はいじめられているから助けてと言う。
前の職場では、社員さんが、かばってくれていたのだ。
「吐き気がする」とうずくまっていたので「大丈夫」と声をかけた。
後になって「あの時、声をかけてくれたでしょ、嬉しかったのよ」と言われた。
そう、そのときに私は昔の記憶がよみがえったのである。
小学生のときのことだ。
農家の8人兄弟の末っ子という女の子がいて、痩せて運動も勉強も出来ないし、服はいつも小汚かった。
そして、いつもニコニコしていた。
そういう人がいた。
太っていて勉強も運動も出来ない、人のいい男の子がいた。
神経質で、いつも爪を歯でちぎっていて、見えないくらい小さい文字を書く吃音の男の子。
親の離婚で引っ越していった男の子は、女の子の胸をわしづかみにして、問題を起こしていた。
わたしは、そういう人たちを見て、助けたいような気持ちになっていたと思う。
小学校を卒業してからは、そういった人たちとは出会わなくなっていった。
大人になって、誰かにほめられても心は動かされないのに、あの人に「嬉しかった」といわれたとき、私は心が温かくなる気がしたのだ。
これは、なんだろうと考えてた。
そして私が望んでいるのは、感謝してくれることだと気づく。
しかも、それは、苦しんでいたり傷ついていたりというところに思いかけず響いた、というような、はかりごとのない純粋な反応が望ましい。
私は自分のことを考えた。
私は小学生レベルの漢字が書けないし、計算も出来ないのである。
これが劣等感となって、人や社会に対する怖れになる。
それでも、尊厳を持とうとしている。
人は生まれながらにして、尊い存在だという。
私は彼女の中に素直さ、純粋さ、無邪気さ、優しさを見つける。
脳の働きの良くない部分がある、と思う。
私もそう。
それでも小さなステップで成長している。
人の生まれながらの尊厳の、裏付けとなる思想や科学などを知りたいと思っている。