息子が古着屋に入りたいと言った。
私は物珍しそうに見た。
息子は「けっこういいでしょ、見ている人もセンスいい」と言った。
私は帽子とかばんを見た。
30代くらいの女性が、慣れた様子で個性的なデザインの服を体にあてている。
スラっとして格好がいい。
「ああ、こういうふうにしてこの場にいればいいのだ」私は横目で見た。
どうやらカップルで来ているらしく、背の高い男の人が服を熱心に見ている。
私は帽子を見る。
カップルが気になっている。
ふいに男の人が正面にいた。
私のことはまるで存在しないかのように、くるりと向きを変えて反対側の服を見た。
俳優さんみたいだと思った。
なんとなく後ろ髪を引かれるようにして、外に出た。
視線がふと正面の息子の顔に移った。
息子は私と同じくらいの位置に顔があった。
私は一瞬、焦点がぶれた。
背の高い男の人の残像と、正面にいる息子の顔。
息子と目が合うまでのほんの一瞬、息子と男の人を比べた。
小さい。
目も小さい。
素朴な顔。
「ママ」
もう、二十歳はとうに過ぎているのに身長は私と同じくらい。
ぼさっとした服を着ている。
私は、この人が私の運命の人なのだと思った。
一人息子なのだから運命の人と言っても間違いではないだろう。
私は、心からそう感じたのはこの時が初めてで、不思議な感覚とともに、この人で良かったと思ったのだった。
それから、数か月が過ぎて、私のカルマとも呼べる出来事をつらつら思い出しては苦しい感情を呼び覚ましていた。
付き合う男性と必ず破局するのは何故なのだろう。
繰り返す同じような出来事は、私に何を教えようとしているのだろう。
もう、繰り返したくはないから、考えている。
私の男性に対する原点は父親に対する感情なのだろう。
それは、精神的に弱い部分を持っていたことに対する怒りだ。
父親だって弱いし、甘えたいときだってあったのだろう。
しかし私には、それがどうにも気持ち悪かった。
その時に、息子は男性なのに、私はうまく関係を築いていることに気が付いた。
何が違うのだろう。
私は息子の弱いところ、だらしないところ、無邪気な子供っぽさを受け入れている。
多分、そんな見方ができたら、相手を追い詰めなくて済んだかもしれない。
繰り返すカルマは、そういうことを学ぶ機会だったのかもしれない。
無防備にボディブローを受けて、だいぶ痛い思いをした。
今はガードを固めることも覚えてきた。
相手によって繰り出される攻撃のパターンも分かってきた。
だが、もうたくさんだ。
息子は素朴でなんの変哲もないが、清らかで味わい深い。
有機・減農薬の、野菜や果物を食べ続けていたら、ある日外で売っている食べ物に興味がなくなっていることに気づいた。
何か、似ている。