カール・ユングの動画を何度か聴いている。
お悩み相談の、他の誰よりも衝撃的だった。
深層心理が私たちの決定に深く関与していることだ。
私の経験と、ユングから得た叡智と他の知識をごちゃして、書いてみたい。
それは、私たちが育つ家庭で生き残るために習得した無意識の行動様式であったりする。
もはや大人になった私たちには必要のないのに、今でも私たちを縛り付けている。
家庭で、受け入れられなかった性格的側面、無視された感情、それらは拒絶の痛みを伴う。
私たちは、置き去りにされないように自分を小さく押し込んでしまう。
私たちはこれらの痛みを感じないようにl、心の奥底にしまい込んでしまう。
擁護してくれる大人がいればいい。
負の感情に寄り添ってくれる大人がいれば、自分に何が起こっているのか理解できただろう。
その環境がなく育つと、抑圧された感情や、痛みは心の奥深くであなたを無意識に操作する。
同じようなあなたを選ばない人を引き付け、それが続くように、自分を小さくする。
そしてあなたは、彼らがいつかあなたを選んでくれるという希望を抱く。
そして、パターンは繰り返される。
いつしかあなたの中に幻想の物語ができる。
彼らがあなたを選ばない理由はその幻想の中で作られる。
彼らはあなたを選ばない、愛さない、という真実に向き合う勇気を持たない限り、私は愛を受けるに値しない自分の型で生きて行くことになる。
そのことに自分自身が気付かなければ、いつまでもそれはそこにあることを訴え続ける。
愛とは、懇願することではなく、選ばれることを待つことではなく、飢えを満たすためではなく、必要とされることではない。
もっと、自由で、信頼で結ばれ、平和で、互いを進歩させる関係だ。
そこには、どのようにしたらそこに届くのだろうか。
外部に依存することではなく、自分自身で、常に自分を選択することだとユングは言う。
自分の認められなかった側面を、受け入れる。
そういう人になることだ。
それを統合、個性化というらしい。
では、どのようにしたらそんな人になれるのだろうか。
それは、愛されるために縮こまってしゃがみこんでいるみじめな私を、直視することだ。
怖ろしい。
では、私語りを続けよう。
私は学校の成績が良くなかった。
父はそれを白痴と言った。
憎む母親の側についた私に、アタックした。
その時に、私は自分を評価する目ができたのだ。
私の姉は成績が良かったのだが、後年妄想がひどくなり、旦那に愛人が10人いるのだと言いだした。
姉は、父親や夫から逃げられなかった。
彼女に安心と安全を与えず、彼女に依存した男性から、自分の精神を守るために作り出した物語だった。
これがユングの言う恐怖に縛られた状態なのだろう。
罪悪感、劣等感、疎外感、孤独感、絶望感に縛られて社会生活を送ることは難しく、その依存関係から抜け出せない。
姉は、自閉的な性質を持っていた。
そして、父親もまた、そういった側面を持つ人であった。
母親に対しては、私たちは、意識する以前に、母親が抱えている闇(シャドウ)を受け止めている。
そして、「私はあなたより輝きません、幸せになりません」といった忠誠を誓っている。
これは、ユングの言ったことだ。
この感覚は、自分の中の愛としてとらえていたものと同じだった。
私たちは,多分母親(の役割の人)を誰よりも愛している。
そして、母親を喜ばせたいと思っているのだ。
それが自分を犠牲にすることであったとしても。
しかし、それが真実の愛ではないことを、実りのない愛であることを生涯を通じて理解する。
母親もまた、傷ついた幼い子供が心の中に存在しているのであり、それを癒せるのは、そのことに気付く本人だけなのだ。
母親の闇は、母親が解決する問題であって、あなたがなんとかしようと疲れ果てることはないのだ。
その重荷を外すことだ。
さあ、やっと私たちは、自分たちが愛する人が、自分を愛さない人であることを受け入れる準備が出来た。
そして自分を養育し直すのだ。
そして、わたしは(あなたは)自分自身のシャドウと統合することによって、周りの人の灯台となるのだ。
最後に衝撃の一言があった。
「あなたを救えるのは世界でただ一人、それはあなただ」