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ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

ゆたかさをどう測るか

『ゆたかさをどう測るか』(山田鋭夫、2025)

〈以下一部抜粋・要約〉

はじめに--豊かさをどう捉え、測り、創るか

誰もが幸せで豊かな一生を送りたいと願っている。

そんなごく自然な願いを社会総体として実現していくか。

ある意味で、人類は長年、これを夢に見続けてきた。

その夢に向かって、今日、ごく初歩的にではあるが、1部諸国や国際機関で真剣に取り組んでいこうという動きが見られるようになった。

その成否は予断を許さないとはいえ、この動きの核をなす語が「ウェルビーイング」である。

ウェルビーイングとは、とりあえず「ゆたかな生」と言いなおしておこう。

各個人が人間として豊かに成長し、活躍し得るような生を全うすることである。

それは同時に、人々が自らの生を豊かに創造し、享受することによって、社会全体としても、安寧と連帯と躍動が生み出されるような状態でもあろう。

そのウェルビーイングの根本を探っていくと、結局、人々がいかに個性豊かな人間として自らを形成し、その恩恵を互いに分かち合う喜びを共有するかという問題に行き着く。

一人ひとりの潜在能力が十分に開花して発揮され、それによって社会に貢献するとともに、本人も社会的な絆の中で生きがいを感じ得るような生のあり方である。

簡単に言えば、各人が社会の中で「持ち場」を持ち、その中で個人の「持ち味」が存分に発揮されるような、そんな社会を作ることである。

これを「人間形成的」なあり方と呼ぶならば、ウェルビーイングとは、それが経済社会の基軸的な編成原理となることでもある。

この本のサブタイトルを「ウェルビーイングの経済学」とした。

ウェルビーイングを「経済」を中軸にして考えてみたいからだ。

ところで、従来から、「経済」なるものを構成する中心的な場とされてきたのは、「市場」であり、また「国家」であった。

だがしかし、それらは人間形成やウェルビーイングという課題にどこまで応えてきたか、そして、今後どこまで応える原理と能力を得ているのか。

まずはそれが問われねばならない。

 

社会的連帯経済とは何か

経済社会総体の三元構成

こう問うてみるとき、私たちのまわりには「市場」でも「国家」でもない経済社会活動に満ち満ちていることがすぐに目につく。

第2章で述べた家庭内の家事労働はその1例だ。

それ以外にも、労働者や市民の自発的意思に基づいて作られた非営利の「協同組合」、生活上の困難やリスクに対処するための市民たちによる自発的な互助組織たる「共済組合」、各種の社会問題に取り組む市民社会的な「非営利組織」、ないしは「非営利団体」、主に大富豪や大会社の資財をもとに設立されて、自然・芸術・保健活動などを担う「財団」、--これらが思い浮かべられよう。

これらはどれも、何らかの予算とその執行の上に成り立ち、つまりは経済的活動を営んでいる。

営利動機ではなく、倫理動機が優位を占める経済活動領域なのである。

そこで、この大小無数の組織による非市場・非国家の経済活動領域を、独自の経済セクターとして、新たに設定する必要がある。

市場部門(第1セクター)、国家部門(第2セクター)、に対して、これを「第3セクター」と呼ぶこともできよう。

ここでは、あくまでも「民間」の存在であり、あるいは「コミュニティー/市民社会」を活動圏とするものだという意味で使っている。

経済人類学者ポランディーによれば、「人間の経済における主要な統合形態は、互酬、再分配、交換である」。

「互酬」は、対等な相互依存関係を基礎とし、「再分配」は、中心的存在への資源の集中と、そこからの分配を意味し、「交換」とは、市場を通しての個人間での財の相互的移動を意味する。

 

クロポトキンの相互扶助論

クロポトキンは、『相互扶助論』を著して、経済活動における「相互扶助」に焦点を当てつつ、この補助関係の拡大深化こそ人類史の進化要因なのだと説いた。

人類の各種集団の内外における「相互闘争」の存在を確認しつつも、それ以上に彼が強調するのは、強い「相互扶助」と「相互支持」に支えられた集団こそが闘争の勝利者となり、こうして相互扶助によってこそ、人類の進化がもたらされるのだという点である。

 

ホモ・レシプロカンス

最新の成果としてぜひ見ておきたいのが、ボウルズやギンタスらによる「ホモ・レシプロカス」(互酬人)の経済学である。

彼らは経済における「互酬」「協力」「道徳」の問題に光を当てる。

 

対人社会サービス

対人サービスとは、広い意味での「ケアワーク」と言ってもよかろう。

広井良典によれば、「ケア」の後には広狭様々な位相がある。

それは「介護」「看護」(「育児」)という最狭義に始まって、今少し広く「世話」「手入れ」の意味を持ち、最公義には「配慮」「関係性」といった含意へと広がる。

ここに「関係性」とは、固体と固体の、あるいは人間と自然などとの関係性を含む。

「対人サービス」は、この三相のすべてに当てはまるという意味で、まさに「ケア」とも還元されよう。

 

非営利セクターと人間形成

非営利セクターによる人間改革という点を最も強調するのは、古くからNPOやサードセクターの決定的意義に着目していた経済学者ドラッガーである。

2、3の印象的な章句を紹介しよう。

サードセクターの組織全てに共通するものは何か。

それは人間を変えるという目的である。

これが最近ようやく認識されるようになったサードセクターの共通点である。

これからの数十年間、この社会サービスがますます必要となる。

非営利組織こそコミュニティーである。

しかも、それは一人ひとりの人が成果をあげ、自己実現することを可能にする。

「人間を変える」。

人が人に働きかけて、相手を人間的に向上させる。

相手の健康、能力、人格、感性、社会性などを高めていく。

それはまさしく人間改革である。

それを通して、働きかける側も人間的に陶治されることであろう。

 

日本のウェルビーイング的課題

「和」の国といわれながら、しかし、人々の社会的、孤立度の高い日本。

アソシエーションや新しいコミュニティーは、紐帯形成の場でありつつ、同時に、学問創造の場となり、能力形成の場となる。

経済学者・内田義彦の言葉に耳を傾けてもらいたい。

自由な個体というのは、同時に学問創造の一環を受け持っているものでなければならんと私は思います。

今必要なのは「埋没」から出して、「社会を創っていく人間」である。

 

私(チキハ)の感想です。

道徳観、倫理観のある共同体(田舎)で育った人と話をしたり、一緒に仕事をしている。

田舎では、車の音で誰が来たのかわかるのだという。

周りは親戚ばかりで、子供たちは平気でそれらの家を出入りする。

子供は立派な働き手だ。

序列、男尊女卑、しきたりに嫌気がさして、と彼女たちは言う。

のびのびとした空気感と動物的なたくましさと、生きることに疑問がないことが共通している。

ウェルビーイングの日本の課題に、紐帯形成がある。

一人親と子供、一人暮らしの高齢者が増えている。

一人暮らしに慣れた高齢女性に話を聞くと、一人の方が気楽でいいと言う。

しかし、どこか無感動に見える。

自由である、という最高形態とエゴを持つ人間同士の運命共同体(紐帯形成)は、両立できるだろうか。

人間形成、自己実現という言葉に惹かれる。