ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

直感型内向タイプ

直感型内向タイプは、私の取扱説明書か、と思うほどでした。

占星術、姓名判断、血液型など様々な性格診断はありますけれども、これほど言い当てられていることは、初めてだと思います。

他と一番違うのは、集合意識と無意識という概念が入っているところだと思います。

ピンときた、という言葉の奥で深くあるものを知ろうとする、観察と分析の人という感じを受けました。

そんな人たちが2%もいるようです。

もしかすると、あの口数少なく、大人しくて優しかった人たちがそうだったのかもしれない。

私は、社会的な成功や、外向的に輝いている人たちに目を奪われていました。

直感型内向タイプにみられる、ふわふわしているとか夢見がちという評価は、あまり良い印象を与えません。

その優しく小さな灯の良さは、添え物のようなもので、大きな価値のあるものに思えませんでした。

ですから、今回このタイプの良さを知ることが出来たのは、わたしにとって大きな自信になりました。

 

「あなたは直感型内向人間ですか?」(ユングの世界、yoububeチャンネル)

〈以下一部抜粋・要約〉

現実の隅に住んでいるような人々。

彼らは、内向的直感タイプ、ユングが集合的無意識を解読する者と呼んだ精神の深みを体現する存在だ。

人を見抜く力、想像力、自分の影と向き合う勇気、特別な精神設計図を持つ存在だ。

ある部屋に入ると、関係の緊張を見抜いてしまう。

誰が緊張して、誰が本音を隠しているのか、それを誰よりも早く感じてしまう。

想像力との特別な関係。

それは可能性への扉であり、語られていない物語の入り口でもある。

彼らが求めるのは、目的であり、奉仕であり、本当の自分としっかりとつながっているという感覚だ。

繊細な共感力は、指導者というよりアドバイザー、伴走者だ。

社会の期待にゆがめられる前の自分に「帰っておいで」とささやく、ありのままの自分への回帰。

目を見て言葉を交わすとき、その陰に隠されている感情に触れることが出来る。

それは感情の知性だ。

人は初めて見られ、共感され、ありのままの自分でいいと感じるのだ。

彼らは、心理学、ヒーリング、芸術といった分野で、人の心に響く仕事を残すことが出来る。

彼らは欠けたままの自分を差し出す。

自分の魂を見失わないように、丁寧に選びとっている。

その姿勢が、周りを照らす光となる。

深夜に灯る小さな光のような、温かく決して消えない光だ。



さてもうひとつ私(チキハ)の生きづらさに正面から切り込んでいく話があります。

「母親についての’’これ’’と向き合わない限り、あなたは決して癒されない、カール・ユング」(サイマナブ、youtubeチャンネル)

〈以下一部抜粋・要約〉

親の生きられなかった人生ほど、心理的に子供に強い影響を与えるものはない。

これは、育まれなかった自分の一部を取り戻し、許されなかった悲しみを、尊重するための呼びかけなのだ。

これは死と再生の錬金術だ。

人類の魂そのものに刻み込まれた、時代を超えた超個人的イメージです。

母親の原型は二面性を持っています。

生命を与えるものと、生命をむさぼるもの、養うものと、窒息させるもの。

安全と危険。

彼女の恥、沈黙、悲しみは、母親を通して受け継がれます。

それが内面化されたときに、マザーコンプレックスは根付きます。

この傷と向き合い「この物語は私で終わりだ」というまで続きます。

私たちは、合理的なもの、男性的なもの、制御されたものに過剰に同一視します。

そうすることで、魂は豊かさを失います。

典型的な母親に直面すると、彼女は広大で、神秘的で、矛盾していることが分かります。

あなたはもう彼女の影から愛を求めません。

ルートに戻ります。

ついにあなたは自分自身になり始めます。

影の母は、神話では、聖なる宝物を守るドラゴンとして、子孫を飲み込む女神として登場します。

心理学的には、母性エネルギーが自然の限界を超えたときに、彼女は現れます。

愛が支配に変わり、保護が所有欲に変わり、気遣いが依存を隠してしまうとき、影の母親はこう囁きます「あなたは恩知らずよ、君は悪いよ、あなたは利己的だ」。

母親の最も効果的な道具とはなんでしょうか。

それは、罪悪感です。

根源的な罪悪感。

分離することは死を意味するという受け継がれた不合理な恐怖です。

あなたが彼女と対峙するとき、喜ばせようとする子供ではなく、選択する大人として生き始める。

これは彼女が成しえなかったことであり、先祖からの解放であり、魂への回帰である。

 

私(チキハ)の感想です。

このたぐいの話は、誰とも共有できませんでした。

キーワードは「生き延びるために」抑え込んだ感情、欲望、信念です。

私は小学生のころから、母親の友人として扱われていました。

彼女は悲劇の主人公で、私は侍女のようでした。

彼女の生きられなかった人生の延長にある、私の物語は、グレーの映画でした。

彼女もまた、そうであったのかも知れません。

受け継がれた女性たちの苦しみは、今よりはるかに多かったのです。

自分自身を、名前を取り戻すために、私たちがすることがあります。

私たちは、龍と戦う英雄になるのです。

凄い物語になってきました。