ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

自虐日本人の解放

ここ数日、同じような内容の動画を見ている。

私たちは、親や祖父母の生き方を見て、社会や学校を見て、自分を作ってきた。

私は、本を読むことが多く、そこから目の前に広がる人たちの行動とは違うものを受け取った。

そんな生活の中で、折り合いをつけられることは、折り合いをつけて、そうでないものは、私の中に沈められた。

沈められたものは、現実の中に負として現れて、それを認識し、赦すまで繰り返し現れるという。

例えば、私は、やや知能の低いと思われる人に対して、とても強く反応する。

心の中で、「なぜ分からないんだ、小学生か」と批判する。

これは、父親が、私を批判した言動であると、私は回想するのだ。

そして恐らく、父自身もそうやって批判されてきた。

父は、学校で教わる勉強は出来たようだが、善悪、共感や利他といった側面に理解が及ばず「分からない」を連発していた。

そして、自分が受けた非難を受け入れて、折り合いをつけることがなかった。

では、なぜ知能の低い(理解力のない)ことをそれほど嫌がるのか。

それは、社会的優位性だろう。

どうやったら折り合いをつけられるのだろうか。

それは、社会的な問題でもあるが、個人の問題でもある。

私という人間を知ることで、最近分かったことがある。

私という人は、完璧を強く求め、向上心があるということだ。

それを知ってから、人の失敗を許すことが出来るようになった。

私について知ったこと、もう一つは、「自分よりはるか偉大な人と自分を比べる」ことだ。

例えば、宮崎駿監督は、「完璧主義でなければいいものはできない」と言っていたことを思い出す。

私は、沈黙の中で偉人と出会い、心を奪われた。

そうなりたいと思ったのだと思う。

何十年も生きて、自分は偉人ではないことを認め、自分の資質を活かす必要があると学ぶ。

では、社会は、どういう問題を抱えているのだろうか。

戦後日本は、戦勝国アメリカによって、日本の精神を方向づける政策が電通によって行われた。

自虐的な日本国民は、こうして作られた。

そんな、内容だ。

私の家では、両親は善悪の価値観についてほとんど語らなかった。

それは、学校が教えるものであり、国に従うものであったからだ。

テレビは中毒性があり、今思うと大人の観るものはセックス、スポーツ、スクリーンだったかもしれない。

政治家は、信用できない人たちで、天皇は、象徴というわけの分からない存在だ。

ところが、最近見た動画では、日本人が失った100年の精神が、静かによみがえっているというのだ。

愛子様は、時折映像で見かけていた。

不登校や激やせを乗り越えて、今は公務をこなす様子などだ。

この愛子様に、巫女の要素が色濃くあるようだ。

巫女は、存在によりその場の空気を変えてしまう。

愛子様の祈りの力は強力で、科学的な測定で証明されている。

動画ではこのように語っている。

日本という国の形は、祈りによって作られてきた。

天皇が祈る存在であるという事実。

私たちは、自然の中に神を感じ、祖霊を敬っていたのだった。

その自然とテクノロジーを融合させる生き方をこれからしていくのだ。

そういう動画をいくつか見て、少し豊かな気持ちになった。