『web3とメタバースは、人間を自由にするか』(佐々木俊尚、2022)
〈以下1部抜粋・要約〉
プロローグ
インターネットのテクノロジーには、1つの難しい問題が浮上している。
それは、Facebook (現メタ・プラットフォームズ)やAmazon、Googleなど「ビッグテック」と呼ばれる超大手ネット企業をめぐるものだ。
最初にすっぱりと言ってしまえば、「ビッグテックの支配は私たちの自由を奪っているのだろうか?」「それは幸福なのだろうか、それとも隷従は不幸なのだろうか?」という問題である。
現在のAIの進化とテクノロジーによる「支配と隷従」は、エリートと一般人に社会を分断し、新たな階級社会をつくっていこうとしている。
しかし逆に新しいテクノロジーによって、そのような階級社会の誕生を阻止することはできないのだろうか?
それが本書のテーマである。
ビックテックとリバタリアンに欠けているもの
「巨大化したビッグテックを倒せ」というのは痛快なスローガンだが、それは「支配と隷従」の打破による「完全な自由」の実現ではない。
正直なところ、私は現在のweb3は、単なる権力奪取ゲームに過ぎないと断言しても良いと考えている。
web3をいま推進している人たちの多くは、自分たちがGAFAM後の新たな支配者になりたいだけなのだ。
個人のプライバシーの権利を守ろうという「監視資本主義」批判は一見すると素晴らしいが、貧困層へのまなざしが足りていない。
「自由は無いけれど、安楽な暮らしができている」を選んだ人たちに、彼らは「それをやめろ。貧しさは我慢しろ」とでも言うのだろうか。
だから、徹底して、支配からの脱却を求めるという反「監視資本主義」なビッグテック批判は、とてもエリート主義である。
その点において、監視資本主義的な批判をしている人たちと、web3をもてはやしている人たちは、どちらも同根のようなものだ。
エリート的であり、同時に「リバタリアン」的でもあるのだ。
リバタリアンとは、リバタリアニズム(完全自由主義)を心情としている人たちである。
日本の企業家や経営者にも、このリバタリアニズムを志向している人は非常に多いと私は感じている。
しばらく前に、あるシンクタンクでの議論で、私がリバタリアニズムを「弱者救済の視点に乏しすぎる」と批判したところ、会合が終わってから、旧知の40代経営者にこう言われたのが今でも忘れられない。
「佐々木さん、リバタリアニズムを批判する人がいるなんて、思いもよりませんでしたよ」
ビックテック支配から逃れるためのトークンエコノミーへ
トークンエコノミーという経済
web3では「支配と隷従」を破壊することはできない。
web3の波に乗っかって「ビックテックを破壊せよ」と叫んでいる企業家たちは、GAFAMのような既存のビックテックからの「権力の奪取」を願っているだけである。
本書では、web3を第一義的には「ウェブ2.0から生まれてしまったビッグテックの『支配と隷従』を、解決するための新しいテクノロジー」と再定義したい。
現状のweb3におけるトークンエコノミーは、トークンという通貨の1種を発行することによって、例えば作家やミュージシャン、映画、製作者などのクリエイターを取り巻く新しい経済を作るというようなことが言われている。
しかし2022年の現状では、トークンエコノミーは「値上がりしそうなトークンをライバルに先駆けて、いち早く手に入れ、大儲けする」というような投機的なマネーゲームの1つとしてしか扱われていない。
しかし私はトークンエコノミーは、社会を変えるようなもっと大きな地平を見せてくれるのではないかというビジョンを持っている。
トークンというのは、ブロックチェーン技術を使って発行される暗号資産のようなものである。
トークンは、ビットコインとは以下が異なっている。
第一にトークンには「トークンをどれだけ発行するのか」を決める管理者が存在し、「支配」である。
第二に、トークンは、会社でも、個人でも誰でも発行できる。
第三に、トークンには、金銭以外のいろんな価値を付与できる。
こう解説すると、ぴんとくる人も多いだろうが、トークはぶっちゃけて言えば、企業が消費者向けに発行している「ポイント」のようなものである。
では、トークンはポイントとどう違うのだろうか?
トークンは、株式のように価値が変わるということである。
自分が初期からアイドルを応援している象徴
トークンは決してビットコインのような「完全な自由」ではないということだ。「支配」を止めるのではなく、「支配」の主体である管理者に人々が参加する。
つまり「完全な自由」ではなく、参加による「民主化された支配」を目指すのである。
消費者であり、生産者であり、出資者
『第3の波』を描いたトフラーは、このような「消費者であり、生産者である人」をプロシューマーと呼んだ。
そして今、私は「第4の波」がやってこようとしているのではないかと考えている。それは人々が「消費者」であり「生産者」であり、そして同時に「出資者」でもあるという新しい世界である。
「推し」が社会の基盤になる
トークンを持つことによって、「自分はこのアーティストを支えている」「自分はこの会社を支援している」という実感を得ることができるようになるのだ。
プラットフォーム支配に一般の人々が「参加」する
web3では、情報の「分散化」というコンセプトも議論されている。
プラットフォームに独占的に埋め込まれている情報を、他のプラットフォームやサービスでも利用できるようにしようというものである。
プラットフォームにため込まれている自分の情報を、外部に「ひらく」ことができることも大きな意味がある。
プラットフォームの「支配」を破壊することではなく、「支配」を維持したまま、「支配」の構造そのものを変え、「ひらく」構造をつくる可能性が出てくる。
AIとデータによってプラットフォームがあらゆるものを最適化するという構図を第1章で詳しく解説したが、この構図は今後も変わらない。
しかし、その構図は、このような「支配の入れ子」関係によって、人々が中心の世界へと変貌するのである。
私(チキハ)の感想です。
産業革命以後、大勢が企業に勤めるようになって、消費者となった。
多くの人はサラリーマンになった。
このときに労働者となって、経営者としての能力を失った。
社畜、の始まりである。
AIが働くようになると人々は、生産せずに消費できるようになる。
それは、何を失い何を得るのだろうか。
最近動画でよく聞いている松下幸之助は、社員に望むのは、一人一人が経営者として参加する(〇〇商店経営者がパナソニックに)ことだった。
それを語れるカリスマの元に人は集まったのだ。
次の波は、人々が、生産者、消費者、出資者となるのではないかと本書では書いてある。
