カール・ユングは、いう。
自分の中の弱点とか、欠点とかを無意識に他者のなかに見て、嫌悪するのだと。
また、抑えつけた長所もそうであるらしい。
確かに、自分だけがその人の欠点に焦点を合わせ、執拗に嫌悪しているのはなぜかと思う。
なぜ他の人はそれを受け流すことが出来るのか、それほどの反応を示さないのか。
そういう価値観なのだろうと、思っていた。
自分の中の物差しが、その人を批判しているのだと思っていた。
確かにそうなのだが、どうして執拗に私の目の前に現れるのか。
その理由を見つけて、ほどいていけば、謎が解けて、自分は生きやすくなるのだろうと思った。
自分の中に押し込めている二つの大きな陰
一つ目は、自分の輝ける一面
それは憧れでもある。
それを輝かせている人に自分を重ねる。
それは、嫉妬という感情にもなる。
多くの人は「どうせだめだ、無理だ、なぜなら」とできない理由を探す。
それは、子供の頃に、周りの大人にそう言われて育ったからだ。
なぜ大人は、そう言うのか。
それは、失敗は危険という理由、もう一つは自分が出来なかったことをされたくない、という妬み心だ。
そうして、そういった保護者の元で子供たちは、小さくなる。
私たちは、周囲の人たちの価値観の中で生きている。
例えば私の父親は、挑戦に対して「やるな、やるな」と言った。
母親は「あなたにはとくに優れたところは無い、お金をかけなければ(贈り物など)優遇されない」と言った。
私は、その言葉を信じた。
いま思うと、それは彼ら自身に与えたものだった。
そして私も、彼らと同じように、困難や試練が訪れたとき、自分以外のものに責任があるように考えた。
それは私をフラフラさせた。
二つ目の陰
依存と甘え
私は、やや知的に劣っている人たちを初めは擁護するのだが、しだいに嫌悪するようになる。
私ははじめ仕事ができなくても、性格が良ければ(優しい)いいと思っていた。
母親の私に対する評価はこのようなものだった。
「あなたはとくに優れたところは無いけど優しい子だ、私の話を聞いてくれる」それが私の価値だった。
私は、母親の顔色を見ること、機嫌をうかがうことは、無意識の習性になった。
私はそのとき透明人間のようになった。
それが当たり前すぎて気が付かなかった。
だから、職場のある人が自分の純粋さや子供っぽさを誇示するとき、いつもニコニコしているとき、気持ち悪いと感じるのだ。
それは依存と甘えのように見える。
他人の機嫌をとり、媚びている姿は、私を映している。
これらのことを知って、治そうと思うとき、非常に強い抵抗が生じる。
私は生きるためにそれらを、抑え込んだのであるから、それは生存に根ざしている。
こういった障壁を持つ人は、実はとても多いのではないかと思う。
私は「あなたはどうしたい、どう思うのか」と男性に問われたことがあった。
彼は、そう言いながら、特定のことしか認めないのが分かった。
私は、自分の望むことを言う。
だが、相手は、そうじゃないと言う。
彼が聞きたいのは、彼が答える準備のある言葉だった。
コントロールと支配の中にいる。
そうなのだ、彼もまたそうやって育ってきたのだ。
引き寄せの法則というのを聞く。
自分の発した振動が返ってくるというもので、自分が本当に信じていることが問題なのだ。
愛している、いや愛などないのだと、愛を知らない人がいくら考えても、到達しない。
おそらく、そこに到達できる人は稀なんだと思う。
自立して、自分を尊重出来る人たちが、その関係を築いていけるのだ。
私は無意識に反応することを観察している。
社会や、周りの人たちと境界を引くことで、巻き込まれないようにしている。
相手が望むことが、支配、コントロール、ゲーム、偽り、依存ではないのかと観察する。
機能として私を必要としているのではないか。
相互に支え合う関係なのだろうか。
生きるために自分を歪ませ、自己犠牲が習い性のようになってしまった人は多いと思う。
家族の精神的な癒しや、調整係を子供の頃から担ってきた人たちだ。
私はとくに共感力が高く繊細といわれる人たちの部類に入っているのだと知る。
今は様々な経験を通じて、人の裏にある嫌な(人を利用して自分の利益にする)本性のようなものを敏感に感じ取るようになった。
この話は他人に理解されにくく、重要なこととしないので、私が発言することはない。
人にはすり傷のようなものかもしれない。
だが、私には自分の身を削られるような思いがするのだ。
私の誠意や忠誠はそのようなものだ。
私は、沢山の人を裏切ってきた。
嘘もついたし、盗みもした。
人を利用したし、バカにしたり、罵ったりした。
表に出てこないような密かな復讐を考えた(必要以上にはやらない)。
随分と自分をいじめてきた。
そういうことをしてきたから、よく分かる。
今私は、そういうところから、少し離れたいと思う。
「本当に信じている」と言える健全な自己信頼を持ちたいと思う。