『21Lessons』(ユヴァル・ノア・ハラリ、2019)
〈以下、1部抜粋・要約〉
正解の見えない今の時代に、どのように思考し行動すべきかを問う。
今や全世界からその発言が注目されている、新たなる知の巨人は、1人のサビエンスとして何を考え、何を訴えるのか。
枠にはまって生きる
現在のテクノロジーと科学の革命が意味しているのは、正真正銘の個人と正真正銘の現実をアルゴリズムやテレビカメラで操作しようということではなく、真正性は神話であるということだ。
人々は枠の中に閉じ込められるのを恐れるが、自分がすでに枠、すなわち自分の脳の中に閉じ込められていることに気づかない。
あなたがマトリックスを脱出したときに発見するのは、さらに大きなマトリックスだけだ。
もし自分の心の現実を探求したければ、マトリックスの外だけではなく、中でもそれができる。
心は歴史的な動きや生物学的現実を意のままに形作る主体ではなくて、歴史と生物学によって形作られる客体だ。
あなたは、これまでの年月に、自分がどれだけの数の映画や小説や詩を見たり読んだりしてきたか、検討がつくだろうか?
そうした作品によって自分の考え方がどのように形作られてきたか、理解しているだろうか?
のしかかるプレッシャー
2048年までには、人々はサイバースペースへの移住や、流動的なジェンダー・アイデンティティ、コンピューター・インプラントによって生み出される新しい感覚的経験に対応しなければならなくなっているかもしれない。
もし3Dのバーチャルリアリティー・ゲームのために最新のファッションをデザインする仕事が見つかって、それに意義を見出したとしても、10年以内にその仕事だけでなく、それと同じ芸術的創造の水準を必要とする仕事はすべて、AIにとって変わられかねない。
どうか、この筋書きを文字通りに受け止めないでほしい。
私たちが目の当たりにするだろう具体的な変化の数々を本当に予測できる人は誰もいない。
具体的なことまでは確信を持てないが、変化が起こることだけは間違いない。
そのような深淵な変化のせいで、人生の基本構造は一変し、不連続性がその最も目立つ特徴となるだろう。
人間をハッキングする
バイオテクノロジーと機械学習が進歩するにつれ、人々の最も深い情動や欲望を操作しやすくなるので、ただ自分の心に従うのは、いっそう危険になる。
コカ・コーラやアマゾン、百度、政府が、あなたの心や脳の操作の仕方を知ったとき、あなたは依然として、自己と、企業や政府のマーケティングの専門家との区別がつくだろうか?
実は私たちは、人間がハッキングされる時代に生きているのだ。
今この瞬間も、様々なアルゴリズムのあなたをじっと眺めている。
自分という人間の存在や、生命の将来に関して、多少の支配権を維持したければ、アルゴリズムよりも先回りし、アマゾンや政府よりも先回りし、彼らよりも前に自分自身を知っておかなければならない。
先回りするときには、荷物をたくさん抱えて行かない方が良い。
幻想は全て置いていくに限る。
ひどく重たいから。
ホーカス・ポーカスと信仰創出業
私たちに意味とアイデンティティーを提供してくれる物語は全て虚構だが、人間はそれを信じる必要がある。
それでは、どうすれば物語を現実として感じられるようにできるのか?
すでに何千年も前に聖職者やシャーマンがその答えを見つけている。
すなわち、儀式だ。
儀式は、抽象的なものを具体的にし、虚構を現実に変える摩訶不思議な行為だ。
私たちは人間の生贄と聞くと、大抵、カナン人やアステカ族の神殿でのぞっとするような儀式を思い浮かべるし、一神教がこの恐ろしい慣行に終止符を打ったと主張するのが普通だ。
だが実際には一神教の信者は、多神教のカルトの大半よりも、ずっと大規模に人間を生贄にしてきた。
ユダヤ教は、聖日の安息日に働いたり旅をしたりすることを禁じている。
宗教政党は、このような困難を何十万もの国民に押し付けることで、ユダヤ教に対するゆるぎない信頼を証明し、それをいっそう確固たるものにする。
現実を試す
こうした大掛かりな物語は皆、私たち自身の心が生み出した虚構であるとはいえ、絶望する理由は無い。
現実は依然としてそこにある。
人類が直面している大きな疑問は、「人生の意味は何か?」ではなく、「どうやって苦しみから逃れるか?」だ。
瞑想
これほど多くの物語や宗教やイデオロギーを批判してきたのだから、自らも矢面に立ち、私のような懐疑的な人間が、どうして毎朝依然として晴れ晴れとした気分で目覚めることができるのかを説明してこそ公平というものだろう。
私は2000年に初めて講習を受けて以来、毎日2時間瞑想するようになり、毎年1ヵ月か2ヶ月、長い瞑想修行に行く。
瞑想は現実からの逃避ではない。
現実と接触する行為だ。
両側から掘る
科学が心の謎を解明するのに苦労しているのは、効率の良い道具が不足しているからだ。
多くの科学者を含め、大勢の人が心と脳を混同しがちだが、実は両者は全く違う。
脳はニューロンとシナプスという生化学物質の物質的なネットワークであるのに対して、心は痛みや快感、怒り、愛といった主観的な経験の流れだ。
2018年現在で、私が直接アクセスできる心は私自身のものしかない。
古代の文化の中には、心の研究にたっぷり注意を向けたものもあり、それらの文化は間接的な報告を集める代わりに、人々を訓練して、自分の心を体系的に学ぶという方法に頼った。
これらの文化が開発した様々な方法を一まとめにして「瞑想」と呼ぶ。
私はそのうち、ヴィバッサナーという1つのテクニックしか自ら経験していないので、確かなことを語れるのはそのテクニックについてだけだ。
実際の訓練とは、体の感覚と、感覚に対する精神的な反応を、組織だった、連続的で客観的なやり方で観察し、それによって心の基本的なパターンを明らかにすることを意味する。
私(チキハ)の感想です。
私がこの本を読み始めてすぐに感じたのは、懐疑的で冷徹ともいえる表現だった。
同じようなことを言うにしても、日本人的なもしくは、仏教的な物言いなら、人類の悲惨な歴史について、ここまで軽蔑したような表現はしないと思った。
それはどこから来るのかということのほうに、私の興味は移った。
ポーランドの祖母の話や、自身の出生イスラエルでユダヤ人として育ち、ゲイであることなどが背景にあることが分かった。
ポーランドの悲惨な歴史は、国家の消滅、ドイツ・ロシアによる支配、虐殺、ナチスによるホロコーストだ。
ユダヤ教は古代イスラエルに起源を持つ最古級の一神教で、ずっと争っている。
そんな中で、このような宗教批判をする行為は、身に危険が及ぶことのように思うが、距離を取ったのだろう。
YouTube で見たらポーランドのワルシャワ大学に日本学科があって、倍率が20倍らしい。
アニメが人気なのだ。
日本の高校生との交流で、女学生の素朴で平和な笑顔が印象的だった。
