ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

2度の乳がん手術の6年後の様子

2度の乳がん手術の6年後の様子

 

乳がんが、2度目に出来たのは、1度目に出来た箇所の表面だったので、同じところをくりぬき手術で行った。

傷口は一筋で、長さは9㎝だ。

胸は、少し小さくなったが、違和感はさほどない。

というか、もともと、いや、これ以上は、言うまい。

放射線治療の後も、色素沈着などは残っていない。

一度目と同じがん細胞なのだから、転移だ。

転移ならば、他の臓器に移る方が確率としては高かったはずだ。

皮膚に転移するのは、メスから移るような話を何かで読んだ気もするが、医師からの説明はなかった。

当時は、怖い話ばかりを読んだり聞いたりした。

わきの下のリンパ節を取ったのだから、腕はむくんで動きも制限されるのだ。

放射線治療をしたのだから、皮膚は色素沈着し、直射日光に当ててはいけない体になったのだ。

そう、思っていた。

私は、出来る限り後遺症が残らない方法を自分で実践した。

入院中に隣のベッドに寝ていた患者さんは、手術の達人だった。

傷口には、馬油がいいと教えてくれた。

私は、せっせと馬油を塗り込んだ。

放射線治療のときは、漢方(銀座まるかん「斎藤一人」)を飲んで、呪文を唱えた。

「アメノミナカヌシサマ、お助けいただきましてありがとうございます」

家に帰えれば、馬油を塗って、手を患部に当てて「ありがとう」といたわった。

患部の免疫細胞が活性化するように、食事を調整したり負担のかからないものにした。

それが効いたのか、当時から、後遺症は非常に軽かった。

ヨガ(Bflow「マリコする」)で体をゆっくりと伸ばした。

手術の翌日から、動かせるところは動かしていた。

動かした方がリハビリになると思った。

無理はしていない。

胸とわきの下を手術したので、腕を一定以上に挙げることは控えていた。

普段の生活ができるだけで、ありがたいと思っていた。

それからもヨガは続けている。

最近は、傷のツッパリもほとんど気にならない。

手術前と変わらずに腕を回している。

こんなふうになるなんて、全く予想していなかった。

後遺症を感じない生活をしている。

 

私は当時、多くの本やネットの情報を読んでいた。

がんになる多くの人は、ストレスの多い生活をしている。

どうしても、そこから抜けられないという状況なのだ。

だが、がんを克服する人たちがいた。

その人たちは、そのストレスの多い状況を変えた。

 

私も、2度目の乳がんの手術のときには、離婚して、一人暮らしを始めた直後だった。

食事に気を遣うようになった。

最近は、一日一回は定食のような食事をしている。

メインのおかず、生野菜、みそ汁、玄米。

一日のうちにばらばらに摂ればいいのかと思っていたが、一度にこのバランスで摂ることがいいのだと分かった。

この定食って、凄いゾってこと。

忙しい方は、みそ汁は具なしで、みそをお湯でといただけでも、いいと思う。

みそ汁必須。

 

朝は食べない。

ブランチでは、バナナとヨーグルト(自家製の豆乳ヨーグルト)ゆで卵が最近の定番。

 

私の父は、93歳で死ぬまで、朝はバナナと飲むヨーグルトだったのだが、この組み合わせは、腸に良いことが体験上分かった。

彼(父)は、痔の手術をしていたので、便秘を非常に怖がっていたのだった。

そして昼は、そばを食べていた。

彼の死は、老衰といってもいい(肺炎)だ。

母は、この朝食ではなかったし、そばでもなかった。

食べることが好きだった。

彼女は、がんで苦しんで死んだ。

斎藤一人さんは、「癌」という字は、やまいだれに山のような品を食べるという意味だと言った。

食べ過ぎで、偏りすぎなのだ。

偏りすぎ、というのは、肉ばかり食べて野菜を食べないとか、食べ過ぎというのは、3食腹一杯に食べるとかの説明をしていた。

がんができる前の私の食生活も、ひどいものだった。

ただ、子供が食物アレルギーで夫がアトピー性皮膚炎だったため、多少の知識を持っていた。

食事の改善はしやすい。

 

私は、がんになる前よりも健康になった、という人たちの声に希望をもらった。

そうなりたいと思った。

今は、そうなっている。

この記事が、皆さんに少しでも良い情報となれば幸いです。