私がこのブログを始めたのは、息子の高校教師からの嫌がらせが発端だった。
私と同じように、その情報を求めている人の役に立てばと思った。
それを書き終わった後、このブログを続ける理由はあまりなかった。
だが、1人でも読んでくれる人がいるなら、続けたいという気持ちがあった。
図書館の金融の本を、端から順番に読むという自分のチャレンジの途中だったので、その感想を書くことにした。
本を読み進めるうちに、国際金融と政治、国家など、私たちが教育を受けていたのとは違う社会を知ることになった。
今私は自分の書いてきたことをゆっくりと振り返ってみたいと思うようになった。
というのは、いささか他人まかせなのだが「本を書いた方がいい」と言われたことが人生に4〜5回ある。
その内、私の書いたものを読んだことがない人が数人。
そう言われること(本書きな)は一般的によくあることくらいに思っていた。
だが、これもふわふわしているけれど、タロット占いをしても(Youtube)本を書いている、アーティストに向いていると言われる。
人に見せよう、読ませようとしなくていいらしい。
占いって少々乙女っぽくて気恥ずかしい。
チャットGPTに聞くと私は、「旅のエッセイスト」というよりは「思考エッセイスト」なのだと言われた。
全く違う方向で文章が売れないかと相談していた。
旅、というのはタロット占いで、世界を周りながら何かをしている方という感じがする、と言われたからだ。
私には全くその予定も、そうするつもりもなかった。
だから、あまり深い意味はなくて、聞いたのだ。
はじめて聞く「思考エッセイスト」とはどんなものか。
「考えることそのものを主軸にして文章を書く人」
難しいことは、苦手だ。
「何もできない私」というのが、根底に流れているのだ。
そんな私に出来るのか。
思考の過程を見せる。
結論を出さない。
素人の上手くない文章でいい。
「何者にもなれない私」は、いつもの位置なのだ。
どうやらその立ち位置でいいらしい。
だが、ここでまた不思議な要素が出てきてしまう。
夢、なのだ。
「光る柱とビニールに包まれた色とりどりの美しいカバンを眺めている」
私はもう、中心が出来ていて、豊かな経験を積んでいる。
いつでも開けるが、無理をすることはない。
という、美しい夢なのだ。
それは自然と書きたくなったら、書けばいいということらしい。
読んでくれる読者のお陰でここまで、書いてこれた。
思考エッセイストの想定読者にいつのまにか選ばれてしまったあなたへ。
感謝しています。