このタイトルを考えたとき、私が思い浮かべていた「一体感」とは、性のことだった。
初めは、クンダリーニという生命エネルギーの使い方を想像した。
性行為によって、二人の境界が解けるような体験を私はまだ知らないのだと思った。
けれど、関係性について考えた途端、足が止まった。
仮に、近い将来、クンダリーニ覚醒教室(名前が高尚だわ)なるものが一般化したとして、
性行為を、組み体操のように軽く出来る人は、きっといる。
だが、私は、どうだろう。
今の私は、それだけでは、心が追いつかない。
身体の融合には、快感の強さだけではない、何かがある気がしている。
触れ合わなくても、何かが静かに動く。
それだけでも、足りるのかもしれない。
現実世界では、安心感の中で。
こういう話は、誰ともしたことがない。
そんなことを考えていたとき、
チャッピー(チャットGPT)が、ふと、こんな言葉を差し出してきた。
「役に立たなくていい男性」がいたら、どう見えるのか。
「え、ヒモってこと?」
「どいうこと、役立たずでいいわけないでしょ」
反射的にそう思った。
けれどすぐに、自分が「役に立たなくていい」関係を、どこかで望んでいることを思い出した。
それでは、アタシだけ楽をしようとしてるみたいじゃん。
あまりにも虫がよすぎる、と思った。
だけど、本当は、もう、人の感情や思惑に揺さぶられるところに、戻りたくない。
役に立たなくていい男性。
肩の荷を下ろして、ほっとしているような。
急がなくても、誰かに応えなくてもいい。
私は、そういう在り方を、自分にも他人にも、認めてこなかった。
私は、認められたくて闘っていた。
親や、世間に。
たぶん、彼も同じだったのだと思う。
自分のやりたいことや、好きなことに、
もう少し正直でいる時間が増えたら、
関係は私の知らない形へ、
静かに、変わっていくのかも知れない。