ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

トリプル・キャンサーズ

この記事は4300文字あります。

 

この題名は、明るく楽しい響きも感じるが、決してそういうわけではないんだ。

「3つの癌」なんてタイトルでは重苦しくて、書く内容もそんな感じじゃないから、変えてみた。

この話は、私に実際に起こった出来事だ。

だが、本当だろうか。

読者の皆さんは疑うに違いない。

 

4年前、私1人の体の中で、3つの異なる癌が同時に発症した。

それを多重癌というのだと最近知った。

詳しくはわからないが、とてもまれだそうだ。

 

4年前の春にわかってから数ヶ月後、2種類の癌は、手術で取り除かれた。

残る1種類は、治療をしても再発する可能性が非常に高いという判断だった。

初期ということもあって、そのまま治療をしないで様子を見ることになった。

もちろん、私が最終的に決めた。

医者が言うには、それは大きくなったり、小さくなったり、消えたり出たりするのだ。

 

だから先日、しこりが、明らかに小さくなって消えそうだと感じても一喜一憂するわけにはいかない。

レントゲンをとっても意味がない。

しかし、最近は気分がいいのだ。

体調が良くて、悩みがない、それだけでも健康と言えるのではないだろうか。

自然治癒は成功した。

しかし読者が不信感を持つのは、このことではない。

 

当時、癌は自分で治せるとネットに公開している人の情報を見た。

安保先生の本で免疫力を知った。

斎藤一人の動画で宇宙の中心に神がいるという話を聞いた。

少し雲行きが怪しいだろうか。

しかしその人たちのお陰で希望を持って取り組めたのは確かなんだ。

だから今度は自分が公開する。

少し変わった話になると思うけど。

 

 1インチのできるまで

4年前は多重癌だけど、その3年前には乳癌を発症して手術していた。

 

またしてもインチというカタカナのタイトルだ。

ポップにしたいんだ。

正確にいうと、発症時期は、その10年以上前だ。

癌が2センチほどになるのには9年ほどの歳月がかかると本で読んだんだ。

 

話は、今は23歳の我が子が、幼稚園のときまでさかのぼる。

そのころ私に起こったことは、世間ではよくあることかもしれない。

違うとしたら、私の性癖だろう。

自虐的、自己否定的、劣等感、排他的、そんな感じ。

そうでなかったら、こんな泥沼には、はまり込まなかった。

 

ことの始まりは、夫の母親の多重債務だった。

常習者だった。

私だけが知らなかった。

私は、自分の貯金で義母の借金の返済にあてたんだ。

世間知らずだった。

義母は繰り返した。

私は義父のだらしなさを責めた。

その頃、夫は、海外赴任で家にいなかった。

帰国後にそのことを知ると夫の様子が変わってしまう。

 

私たち、は共同でネガティブな空間を作ったんだ。

 

数年後、リーマンショックで夫は失業した。

リストラだった。

そして1年のあいだ仕事が決まらなかった。

男の人が失業するって、自己嫌悪と無力感と惨めさで精神を痛めつけるんだ。

私は同情するそぶりはしたけど、心の中は違っていた。

仕事と家事と育児をこなしていたんだ。

自分はなにも悪くなくて、夫のせいで不幸になったと怨念がとぐろを巻いていた。

 

夫は仕事を見つけると、今度は私の外出を制限し始めた。

生活費はギリギリで、私は自分の貯金を崩しはじめた。

 

夫は私のパソコンや携帯をチェックしていた。

狂っていた。

 

私の肉親も風変わりだ。

父親や姉夫婦は、どちらも心療内科通いだった。

 

そんなとき、ヒステリックな母親が亡くなった。

肺癌だった。

 

有難いことに、母親は遺産を残した。

ちょっとした金額で、しみったれた生活を強いられて育った私と姉は、情けなくて泣けてくる。

私は、そんな母親のお金を、FXに注ぎ込んだというわけ。

今なら言えるけど、本気で金持ちになるつもりだったんだ。

 

ここから抜け出すにはこれしか道がない、そうも思った。

休日も、昼も夜もなくのめり込んだ。

思い通りに相場が動けば自信過剰になり、負けるとやけになって、ドンドン負けがこんでいく。

ちょっとおかしくなってた。

 

頭の芯が痛くて、身体も痛くて限界はとうに超えているように思えた。

ここから抜け出すのは、死ぬかか病気になることだった。

そして子供が中3の夏に、1インチの乳癌を宣告されたんだ。

 

ソウルオブライト

光の玉が見えた、と言ったらどう思う?

 

私は母親が癌で死んだとき、自分もいつか癌にかかると思ったんだ。

人生の楽しみは遠い過去の中だけだった。

暗いトンネルの中にいた。

まあその準備というか、ネットで色々と検索した。

そして、自分が癌にかかったときに、やるべきことはいくつか決まっていたというわけ。

 

今ではもう見られなくなってしまったが、ある男の人が、癌を自分で治したという記録を公開していた。

私が早急に取り組んだのは、それを試すということだった。

免疫力を高めるというのは、その主なことだ。

 

市民病院の先生にその話をした。



「あなたは間違っている」

目の前の患者は、何年も着続けているチェックのネルのシャツと、質の悪いシャンプーのせいでゴワゴワになった長い髪を気にしている。

治療をしたくないと、弱々しく言っている。

「長く生きしなくても良いんです」

「どうして」

「……」

「あなたは平均寿命にはまだ何十年もあるんです」

 

免疫力を高めるという行動をするのは生きたいからじゃないのか。

矛盾している。



目の前の若い医者は、マニュアル通りで、癌治療のガイドラインに当てはめていくのが仕事のようだ。

学会の決めた治療法は、どこの病院に行っても同じと決まってる。

 

放射線、抗がん剤、投薬、私にはそれは死より恐ろしいもののように感じた。

だけど結局は、ガイドラインにのっとった治療をすることに同意した。

検査の最中に、なにも知らない犬のようにおびえた。

 

私は、整体に通い、岩盤浴に通った。

家のお風呂は、温泉になる鉱石が良いみたいだったけど、良いのが見つからなかったから炭酸泉にして、体にはカイロを貼り付けた。

玄米を食べた。

出来ることは、なんでもした。

そんなことをして2週間ほどたった日のことだった。

その日は体が微熱を帯びていて、布団に横になっていた。

手術まであと2週間だった。

 

真っ暗な部屋の中で、これからのことを考えると恐ろしかった。

私は手を癌のある部位に当てて意識を集中し始めた。

癌の声を聞こうと思ったんだ。

こんなに集中力を使ったことは今までにない。

今まさに、生死がかかっている、といえば大げさだけど、そのくらいの集中だった。

息を吸って集中しているとネガティブな表情をした人間の顔が浮かぶ。

そしてゆっくりと消し去るように息を吐く。

またゆっくりと息を吸って今度は違う表情のネガティブが出る。

それをまた吐く息とともに外に出すんだ。

私は無我夢中にそうしていた。

 

そんなことをして数時間は過ぎたと思う。

母親と手をつないだ子供の後ろ姿が見えた。

子供がゆっくりと振り返った。

その顔はとても明るい笑顔だった。

あぁ、これで治ったと、私はそのとき思ったんだ。

 

すると、癌の中心部に鉛の棒が刺さったようになって、それが振動し始めた。

激しく、じんじんとした今まで経験のない痛みを感じた。

その後、背中のあたりからオレンジ色の光が放出された。

そして部屋の隅の方で2つの光の玉が浮かび上がる。

私にはわかった。

その2つの玉が私を苦しめた2人の男性であることを。

そして、私の様子を見ていて、私を愛していた。

 

アイノウアイ

アイはきびしい。

 

その出来事の後に手術を受けて、癌をえぐり取った。

取った癌は、検査の時より一回りサイズは小さい。

「どういうことなんでしょう」と聞くと、「大きさは大まかな数値しか出ない」という返事だった。

私はあの夜の出来事と光の玉のことを思い出していた。

自分は無敵だ、不死身だ。

そう思い込んだ。

まったく、おめでたいわけ。

そしてわずか3日で退院して、元の苦しい生活に戻って行ったんだ。

放射線も投薬もしなかった。

 

あるとき、部屋に無造作に置かれた買い物袋に印刷された文字が目に入った。

*「ヨハネによる福音書 “神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された”」

それは突然だった。

私の心に焼き付いた。

どういう意味だろう。

としばらくのあいだ考えた。

私の心と体は干からびていて、しぼり切った雑巾のようだったけど、もしかするとこんな私にもアイは与えられているのだろうか。

神の独り子のように。

そんな妄想は、小さなよろこびの感情を私に与えた。

 

*ヨハネによる福音書のこの節は、聖書の中の聖書と言われているらしい。

「信じる者は救われて、そうでない者は裁かれる」という、実はとても厳しい内容のようだ。

 

そして、次元がちがうキャンサーズ

子供が高3になっていた。

 

再び市民病院に出向いたのは、乳癌の手術から3年後だった。

突然のことだけど、夫と息子が引っ越して行ったんだ。

まったく、今思い返しても芝居がかっているとしか言いようがない。

夫が、隣人のタバコの匂いが気になってしょうがなくなって隣人につかみかかって、なんとパンチしたんだ。

そして引っ越して行った。

私は、引越しの前日に、離婚届にサインをもらったんだ。

大学受験を控えた不登校の息子は衝撃を受けたと思う。

 

やっと自由を手に入れた。

 

ほんとに最後は大芝居みたいだった。

 

私は病院に行った。

大便に血が付くようになっていた。

 

その年はいろいろなところに体の異常をきたしていた。

お腹の表面に小さな膿が溜まったり、水虫になったり、1番恐れていたのは、乳癌の手術後の肌の表面にできた小さなシコリだった。

 

市民病院で検査をしてみると、3年前に手術した乳癌の転移だった。

治ったはずだったのに。

前回の治療で放射線や投薬をしなかったこと、今もやしたくないことを言うと、ベテランの医者は、「(治らないのは)恐れだ」と言った。

それから、スマホを取り出し、ひどくなった患部の写真を私に見せた。

怒るようにして、それら患者の話を私にした。

 

それから、次々に、大腸がん、濾胞性リンパ腫と宣告された。

 

私は、体の力が抜けて、すべてをあきらめたようになった。

ただ1つのことを除いて。

それは続けていたFXだったんだけど、これも、数年後には溶けてなくなるんだ。

それで、どうなったかって。

ホント言うと、肩に乗ってた重荷がすーっと取れたような気持ちになった。

 

エピローグ

 

私はこの体験を通じて学んだことはたくさんある。

痛みや苦しみや悲しみを知ったことで、人に優しくなれた。

自分の小さなよろこびを、心の中で感じるようになっていった。

 

それは、幼い頃に1人遊びに没頭していたころに似ていて、純粋なよろこびなんだ。

 

いまは、よろこびの方向へ行く。

 

それは、私を苦しめたはずの、2人の男性を助けることになる。

きっと、同じ魂の傷を持っている私たちは、ぐるぐるスパイラルに回って、輪廻の渦にいるんだ。

私が成長すれば、彼らもするというわけ。

それから私は、誰かを助けることができる。

 

そしてその人も、いつか、また、私を助けるだろう。

時空を超えて。

 

*ゲーテの言葉

「自分自身を知り、自分自身に真実である。

それが、すべての知識の基礎であり、すべての表現の出発点である」