ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

もとハッカーは、民衆の諜報機関をつくる

『ジュリアン・アサンジ自伝』(ジュリアン・アサンジ、訳片桐晶、2012)

内部告発、それは告発者に危険が伴います。

匿名を守る技術を確立して、送られてきた情報の信憑性を確かめて、掲載する。

告発サイト「ウィキリークス」はそうして始動しました。

<以下一部抜粋・要約>

 

16歳になる頃にはコンピュータを意識するようになっていた。

それが新しい人生の始まりだった。

それまでの人生で何かに傾倒した経験がなかったわけではなくーー心が傾いたことはあったし、それは今でも変わらないーー、僕の話し相手になり、話し相手との仲介役を務め、それまでのローカルな関心事は、個々の人格が歴史の中に融解していく無限の世界の入り口へ運んでくれたものがコンピュータだったんだ。

 

人格の問題、いや、僕自身の人格の問題が様々なジャンルのマスコミを悩ませるようになる。

僕はプレッシャーの中で自分の務めを果たそうとしていたので、自分自身なんてものは、彼らが考えているような意味では意識すらしていなかった。

“自己”というのは、僕の背後のどこかに隠れている。

つまりコンピュータと人生を賭けたプロジェクトがあれば、本当の自分なんていう些細な問題を追いかけている暇はなくなるということだ。

もっと大きなものの一部になって、全力でそれに尽くすようになるはずだ。

 

友人のスレッド・ドレイファスが書いた『アンダーグラウンド』では、僕たちのような新種のオタクたちの野心の大きさが見事に表現されている。

僕が20歳になる頃には、コンピューター・ネットワークの桃源郷、アメリカ国防総省ネットワーク・インフォメーション・センター(NIC)のコンピュータに侵入しようとしていた。

僕はハンドルネームのメンダックスで、プライム・サスペクトとあうんの呼吸で作業を進めていた。

スーレットはこんなふうに書いている。

 

ある晩、2人のハッカーはメルボルン大学のコンピューターに侵入してチャットを始めたが、プライム・サスペクトはチャットを楽しむと同時に別のモニターからNICと密接につながっているペンタゴンのシステムのアドレス、ns.nic.ddn.milへの侵入を試みていた。

NICはすべてを支配していた。

NICを支配できれば、インターネット上で驚くべきパワーを行使することができる。

例えば、オーストラリアという国を消してしまうことも、オーストラリアをブラジルに変えることも可能なのだ。

 

システムに侵入したときの感覚は圧倒的なものだった。

僕たちは20歳の若者だった。

その喜びは、あらゆる困難をものともせず、新たなフロンティアへ到達した探検家の喜びだった。

すでにあの頃から、権力者の館の正面玄関を突破するのはおもしろ半分にやるようなことじゃないという認識はあった。

政府は秘密保持と利益供与のネットワークを頼りに自らの立場をますます優位のものにしていたが、僕の目には、街頭での暴動や、反対勢力や人権活動家や選挙改革が成し遂げようと努力してきたことを、科学の力で実現させる可能性が見え始めていた。

腐敗した政府を組織の中枢から攻撃することも可能だった。

人類というものは最終的には正義に行き着くものであり、僕たちのような、時代の先端を行く全く新しい集団も誕生した。

現代の権力者に巣食う癌細胞に目を光らせ、それが一般の人々の目を盗むようにして広がっていく様を見守ってきたせいで犯罪者扱いされることになった専門家たちだ。

僕たちは倫理偏重の立場で宝探しをするべく、不正と嘘に塗られた権力の迷宮に侵入したが、逮捕されれば、こっちが不正行為の罪を着せられることは覚悟の上だった。

筋金入りのスリーピース。

それが、プライム・サスペクトとボクと、オーストラリア1の電話ハッカー、トラックスだった。

政治的信条とまでは言わないまでも、持って生まれた気質が僕たちを無政府主義者にしたんだろうと思う。

最初は楽しんでいただけだったが、最後には、世界を変えたいと思うようになっていた。

そうするうちにだんだんと、暗号学は人を束縛から解放する概念であり、それによって個人が自国の政府や、世界中の政府に立ち向かうことが可能になったことがわかってきた。

そして、人々は超大国の意思に逆らえる時代がやってきたということも。

 

あの頃の僕は、何かを始める準備は整っていたと感じていた。

偉大な人物の役を演じるんじゃなくてーーそんなものを目指していたわけじゃないーー、自分が積んできた経験や、自分が身に付けた専門知識を総動員して、それ自体が公共の活動における正義の追求を保障してくれるような組織を立ち上げたいと考えていた。

これだけは頭に留めておいてほしい。

ウィキリークス創立の背景には、それまでの経験や、いろいろな人々の人生だけではなく、人権というものを明確にするための道を模索してきた経験があった。

 

様々な活動に手を広げていた上に、常に人的資源が足りない状態だったから、僕は組織を安定させて本拠地を作る道を模索するようになっていた。

だが、ウィキリークスに限っていえば、本拠地を思い描くこと自体が至難の業だ。

何しろ世界中の秘密の場所でサーバーを動かしている。

スタッフや連絡員のネットワークがあり、そのほとんどが匿名で活動することを望んでいるから、一堂に会するという展開はありえない。

ウィキリークスは他のどんな報道機関とも違っていた。

受付カウンターやコーヒーメーカーを置くつもりはなかったし、調査部や年次休暇なんてものは考えたこともない。

みんなは、僕が一種の変人だからリュック一つで世界を転々としていると思ってる。

まぁ、お説ごもっともで、確かに一種の変人なんだろうけど、仕事の性質と組織のあり方のせいで、ストレスの多い、渡り鳥みたいな生き方をせざるをえないという事情もあるんだ。

唯一の望みは、この広い世界のどこかに、正義のために働く人々をわざわざ探しに行かなくても済むような場所を見つけることだった。

僕の考え方では、ウィキリークスのそれぞれの活動はどこかの面でつながっている。

金や資産を隠している企業を摘発することと、グアンタナモ湾収容キャンプのような場所に人々を閉じ込めている政府を追求することだってそうだ。

どちらも、悪事の首謀者が当局の後ろ盾を得た状態で罪を犯している場合が多く、金や人を法の支配の及ばないところ、たいていは秘密の司法管轄区域に隠している。

秘密をよしとしない聖域をこの世に作ることができるとしたら?

僕に言わせれば、現代社会には新しいタイプの難民が出現している。

真実を語ったが故に、自分達の破滅を望む、富や力を握った権威者から逃げ続けている個人や集団だ。

情報提供者を法律によって守ることができる場所。

報道の自由を定めた法律が深く根付いている場所。

インターネットの自由が現代の霊域の一部となって、空を漂い、訴訟を恐れずに言いたいことを言うのが当然のこととみなされる場所だ。

僕はそんなヘイブンを思い描くようになった。

もとは桃源郷のように思っていたが、そうするうちに、それはアイスランドと呼ばれる場所かもしれないと実感するようになっていく。

 

私(チキハ)の感想です。

私は軽いショックを受けました。

まず一つは、ハッカーという行為の告白に、悪いことをしたという感じがしないということ。

もう一つは、正義のために生涯をささげているということです。

はじめて出会う、コンピュータオタクは、現実離れしています。

16〜20歳で、おそらく世界で最も警戒の厳重なアメリカ国防総省に侵入できる技術を持っています。

この本の中では、そういった人たちがそれぞれに、活動している様子も書かれています。

正義のために働くアンダーグラウンドたちですが、展開は何かに似ていると思ったら、映画マトリックスです。

大学で学ぶのは数学、量子力学などで、観察者の概念を学び、自分が何をやろうとしているのかを、組み立てていくあたりは、驚きでした。

全体として感じたことは、佐藤航陽さんが言っていたように、ランダムに選ばれた人、という感じがしました。

誰でもよかったけれども、その役割は決められていた、そんな風に思えるのです。

いまは、アメリカ政府から訴えられ、服役中です。