ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

【ごく短小説】アンジェラ

「前回は3月でしたね」 と 美容師は言った 。

「3ヶ月も経ちますか」

ボサボサの頭を 申し訳なく思いながらわたしは言った。

 「 1年3ヶ月ですよ」

わたしは言葉を失った。

そんなことがあるのかと思った。

 

毎日仕事に追われていた。

 いつのまにか夫が生活費を渡さなくなっていたのだ。

 何かを言うとお前が悪いんだと言って怒鳴るので わたしは 何も言わなくなった。

一昔前ならいざ知らず、 酒を飲んで生活費も渡さない、 威張ってる夫など 別れてしまえばいい。

それが出来ない理由がわたしにはいくつも思い浮かんだ。

弱かった。甘かった。こわかった。

鏡の前のわたしは 肌は荒れて髪がボサボサだった。

頬は こけていた。 表情がなくなっていた。

 

唯一の気晴らしが公園を 散歩することだった。

気晴らしといっても 体の筋肉が衰えるので 動かさなければいけないと言う 強迫観念だった。

いつも下を向いてトボトボと2周するのだ。

 

その公園はバラがきれいに手入れされていた。 年に2回 見事に咲き誇った。

「バラは誇ってるわけではないよ。人は勝手にそう思ってるだけ。 精一杯 咲いているだけだよ」

そんな他愛もない話を夫は 黙って聞いている人だった。

 

そんなバラを見ても心が動かないくらい 疲れきっていた。

5月に入って 今までにないくらい バラたちが 勢いよく 輝きだした。

それぞれとても美しかったが私が 見入ったのは 花弁の数の少なく 花自体も小さい つる性のバラだった。

バラのからまったアーチの下で たたずむと 何とも言えない 優しい気持ちになった。

花は、 ピンクが  青味がかった 赤色に変わっていく様子で美しかった。

慣れてくると一枚一枚の葉の形が違うことに気付くようになっていった。

 

しばらくそのバラに通うようになって 、きっと このバラの名はアンジェラという

女性からとったのだと思った。

このバラを作った人は、アンジェラのことを想い続けたのだ。

そう思うと私は胸が熱くなって涙を流した。

 

それからしばらくして夫と別れた。 花が散るように 自然だった。

無理を重ねた体が こわばっていた。

私はヨガをやりながら 一人、瞑想状態になって体の声を聞く。

 

こわばりに 意識を集中させると 、醜い 陰鬱な エネルギーが 人の表情になって見えるようだった。

ある時は疲れきった老婆の表情が浮かぶ。

ある時は 醜い憎しみにゆがんだ表情だ。

 

何ヶ月もかかって 少しづつこわばりが取れてきた。

それでもまだ奥の方に 硬いかたまりが感じられる。

 

その日は いつもよりも体が柔らかくなっている 気がした。

 いつもだったら それより伸びなかった 部位が 柔らかく伸びそうな気配がした。

 

私は体の声を聞こうと集中させた 、すると。

陰鬱な表情が 見えて その奥だった。 いつもとは違う色彩が見えた。

白から濃い紅そしてぼんやりと緑が 見えた。

しばらくその春の景色を 味わってから、 これは アンジェラだと思った。

 

わたしはずっと固く握りしめていた手をゆるめるようだった。

 

「あなたを愛しています」

 

バラに刻まれた想いが、わたしの身体に映し出された。