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貨幣発行自由化論

『貨幣発行自由化論』(フリードリヒ・ハイエク、訳村井章子、2020)

<以下一部抜粋・要約>

 

初版序文

ハイエク教授は、貨幣と他の商品との間に何も違いはない、政府の独占に委ねるよりも、民間発行者の間で競争して供給する方がよい、と述べているのである。

 

本書で展開される議論は、抽象的な性格にならざるを得ず、読者の注意力を必要とするが、中心的なテーマは明快至極である。

政府は良い貨幣を供給することに失敗してきたし、失敗するに決まっているのだし、これからも失敗するだろう、ということだ。

政府による貨幣管理が避けられないのであれば、金本位制の採用が他の方法よりはマシだとハイエク教授は考えている。

だが、教授はあくまで、金本位制も通貨間の競争ほどには信頼できないと主張する。

 

競争通貨の価値は、程度の差こそあれ安定する。

なぜなら、発行者には供給量を制限する誘因が強く働くからだ。

さもないと、彼らの通貨発行事業は失敗に帰することになる。

1976年 アーサー・セルドン

 

金は「不安定な錨」である

今では広く理解されている通り、金と交換できる通貨の価値は、金の価値に由来するのではなく、単に通貨供給量の自動調節を通じて金と等しい価値に維持されているだけである。

迷信はしぶといものだが、通貨の価値が含まれる金の価値、それも貨幣鋳造以外の用途につかったときの価値によって決まるという考えは、迷信に過ぎない。

たとえ金本位下であってもこれは事実ではないし、この逆ももちろん事実ではない。

つまり、金の価値が、金と交換可能な通貨の価値によって決まるはずもない。

歴史を振り返ると、一定期間にわたって価値を維持してきた貨幣が全て金属でできていた事は事実である。

だが、政府は遅かれ早かれ金属貨幣でさえ悪鋳に走ったのだから、現在流通しているあらゆる紙幣が一段と粗悪になったのも当然だろう。

そこで、今や多くの人が金属本位制に回帰するより他に事態の改善は望めないと考えている。

だが、金属貨幣に回帰すればまたもや政府による詐欺行為の標的になりかねない。

その上、政府発行の金属貨幣は最もうまくいったとしても、決して勝てないライバルがいる。

それは、多くの人に選んでもらえる貨幣を供給することを事業の存続が懸っているような機関が発行する貨幣である。

金は錨であり、どんな錨でも、政府の裁量に委ねられている貨幣よりはマシだ。

しかし、この錨はひどくぐらぐらしている。

大方の国がそれぞれに金本位制の運営を試みたら持ちこたえられまい。

とにかく十分な金がないのである。

国際金本位制といっても、今日では少数の国だけが真の金本位を維持する一方で他国は、金為替本位制を通じてぶらさがっているだけの制度に成り下がっている。

 

競争からは、政府独占にはるかにまさる貨幣が生まれる

これまで金がやり遂げてきたことよりも、本書の提案の方がうまくいく、と私は確信している。

政府には金本位制よりうまくやれることはできないが、良貨の供給合戦で鍛えられた自由企業ならうまくやれるはずだ。

金本位制では、貨幣の互換性を確保するために面倒で費用のかかる金準備が必要だが、競争通貨の場合には準備の必要は無い。

 

民主国家の政府には健全な貨幣発行はできない

政府に干渉され、強い政治的圧力にさらされる中央銀行には、市場が健全に機能するようなやり方で貨幣供給を調節することは不可能である。

 

 

解説 現代においてハイエク著『貨幣発行自由化論』を読む 齊藤誠

勘の鋭い読者は、「あー、暗号通貨のことね。Facebookだって、通貨を発行しようとする時代だからね」と言われるかもしれない。

確かに、暗号通貨という革新的な金融技術が、ハイエクという天才の頭の中で考えた構想を実現する技術的な基礎を提供する可能性は十分にある。

ハイエクの構想では、政府の思惑とは独立に通貨制度が実体経済をしっかりと支える仕組みを作り上げることを意図していたが、暗号通貨という金融技術は、通貨制度を実体経済から引きはがし、仮想空間の最果てと強引に引き連れて行く怖さがあるのである。

言い方を変えると暗号通貨技術は、「理想の通貨」にとって革新的すぎる可能性がある。

ここで「通貨制度によって、実体経済を支える」なんて書くと、「あぁ、金本位制度ね。それじゃあ、ハイエクの方が時代遅れだね」と言われそうである。

 

「理想の通貨」とは?

ハイエクの議論で度肝抜かれるのは、通貨の範囲を非常に柔軟に考えているところである。

「貨幣と貨幣でないものとの間に明確な区別はない」となっている。

 

「理想の通貨」は何処へ

確かに、暗号通貨技術は、人間社会がうまく使いこなせば、「理想の通貨」を生み出す素晴らしいツールとなっていくであろう。

しかし、民間銀行間の競争に委ねれば「理想の通貨」が、自然と生まれてくるというハイエクの予想は、暗号通貨の長いとはいえない歴史を振り返る限り、あまりに楽観的ではないだろうか。

民間の発行主体は、そもそも儲かりもしない「理想の通貨」創出になんて関心がない。

通貨供給を長期的に絞り込むルールを忍ばせて、持続的な値上がり益を狙った節があるビットコイン、

発展途上国の人々への金融包摂を大義に掲げておきながら、通貨保有者への利益還元など一切考えず、あわよくばSNS利用者の決済情報を活用しようと目論んでいるとしか見えないリブラ、

実は有価証券という「狼」なのにもかかわらず、暗号通貨という「羊」の皮を被ったICOなど、私的主体の商魂のたくましさには驚愕するばかりである。

 

各国の中央銀行や金融当局が知恵を絞って、例えば各国通貨建て資産のポートフォリオ見合いに作り出された新たな暗号通貨に、国際的な金融危機や流動性危機において最も流動性の高い「理想の通貨」として活躍の場を与えてみてはどうだろうか。

そんな暗号通貨こそ、ハイエクと並んで、もう1人の偉大な経済学者、ケインズの考案した「理想の国際決済通貨」、バンコールを実現することになるのではないであろうか。

 

私(チキハ)の感想です。

ハイエクは、政府が権力を持って貨幣をコントロールすることが悪いと言っているわけですね。

民間の銀行に競争させればいいという考えです。

私たちの知らないところで、権力者が、民間の事業者にも影響力を及ぼしていることを、私は最近学んでいます。

各国の中央銀行や金融当局が協力して作るバンコールも、その裏にいると思われる権力者や、当人の欲望からは逃れられないのではないでしょうか、政治家ほどではないにしても。

藤原直哉さんの講演でも言っていましたが、悪に対抗するために、私たちは鎧を着けなければならなかった。

法律も経済も確かにそのためです。

善人ばかりなら、余計なエネルギーを浪費せずに過ごせるのに。

ということは、権力者が悪いのではなくて、悪人が悪いということですね。

私たちの社会は、その争いに苦労しているわけだ。

ハイエクの理論も、善人によるよい競争が基盤ならうまくいきそうなんですが。