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通貨発行のシステムが間違っている

『公共貨幣入門』(山口薫/山口陽恵、2021)

私たちが普段使っている「紙幣」は、公共貨幣ではない!

表の定義です。

「公共貨幣とは、議会や政府又は時の権威・権力者が無利子で発行する貨幣である」

私たちが使っている、硬貨と紙幣のうち、硬貨だけが、政府発行の無利子のお金なのです。

それは全体のわずか0.3%です。

<以下一部抜粋・要約>

 

はじめに貨幣の定義あり

まず本書では、お金、貨幣、マネーの3つの概念を同義語として用いる。

すなわち、お金=貨幣=マネーとし、お金とは「財・サービスの価値情報、およびその媒体の総称で、財・サービスとの交換や保証ができるもの」と一般的に定義する。

図は貨幣を表と裏の定義に分けて、日本の貨幣をそれらに挟まれたサンドイッチのようにして描いている。

表の定義は、貨幣をその発行主体から分類したもので、「公共貨幣」と「債務貨幣」からなっている。

1882年に日本銀行が設立されるまでに発行されたほぼすべての日本のお金は公共貨幣であった。

現在では、日本政府が発行する1円から500円までの6種類の硬貨のみが公共貨幣であり、2018年現在の国内のお金の総額、1425.7兆円の0.3%を占めるに過ぎない。

他方、債務貨幣とは、公共貨幣の発行主体以外の民間の組織が利付債務として発行する貨幣であり、債務貨幣の発行主体として、中央銀行や銀行がある。

日本銀行が発行する銀行券にも貨幣発行益が発生するという議論が散発しているが、定義上、日本銀行券は公共貨幣ではないので、貨幣発行益が発生しないのは明白である。

債務貨幣の発行によって発生するのは、主に利息や配当収入である。

それら債務貨幣の借り手としては企業や家計、および政府があるが、最新の研究でこれらの債務貨幣はそうした企業や家計及び政府の債務総計ともなっていることがわかった。

その債務貨幣は1420.9兆円である。

すなわち、債務貨幣とはすべて誰かの借金として利付で供給される貨幣であるという新しい知見を実証研究で得た。

貨幣の裏の定義、すなわち法的強制力の有無による見方からは、貨幣は法定通貨と広義の機能的貨幣に分けられる。

法律で定義された通貨は、通貨=政府貨幣+日本銀行券となり、通貨は法貨と同義となる。

さらに、日本銀行が民間銀行から預かっている準備預金はデジタル預金として銀行間の日々の資金決済に用いられているが、その引き出しは日本銀行券のみでなされるという意味で、準備預金は日本銀行券と同等とみなされる。

日本の法定通貨は現金と準備金とからなり、2018年現在は506.3兆円(国内のお金の総額の35.5%)である。

他方、機能的貨幣とは、今回私たちが新たに提案する貨幣の概念で、法定通貨をベースに民間銀行によって無から創造されている要求払い預金のうち、準備預金によって担保されていない部分の預金と定義している。

さらに、これに定期預金を合計した額が広義の機能的貨幣である。

2018年現在の広義の機能的貨幣は919.4兆円であり、実に国内のお金の総額の64.5%が無から創造された法定通貨の裏付けのないお金である。

これら機能的貨幣は、法定通貨に担保されていないお金という意味で、フェイクマネーや偽金とも解釈されよう。

1930年代の大恐慌の反省から「銀行改革のためのシカゴプラン」がシカゴ大学の経済学者らによって提案され、それを引き継いだアーヴィング・フィッシャーが晩年まで活動した1940年代頃までは、多くの経済学者は「マネーと信用」を厳密に区別していた。

ここで定義するマネーとは法定化通貨であり、信用とは機能的貨幣のことを指す。

機能的貨幣は、金融恐慌や不況で銀行が倒産した際に消えてなくなるお金である。

現在、日本の政府債務はバブル崩壊以来、指数的に増大してきており、名目GDP比の国債発行残高は第二次世界大戦以来の水準まで膨張している。

日本経済の約65%がこうした不安定な砂上の楼閣であるフェイクマネーによって運営されているという債務貨幣システムの実態を、私たちは常に認識している必要がある。

 

乗っ取られた公共貨幣

日本は和同開珎の708年から実に1160年間にわたって、公共貨幣のシステムのもとで経済・社会活動を維持・継続してきたのである。

しかるに1882年の日本銀行設立と紙幣整理が行われてから2021年現在に至るまでの140年間、日本の経済社会は債務貨幣システムにとって変わられた。

その結果、今や公共貨幣は吹けば飛ぶような0.3%にまで縮小してしまい、利息付きの債務貨幣が99.7%と横行している。

もちろん、この債務貨幣システムが十分に機能していれば何も問題は無い。

しかしながら、この債務貨幣システムは重大なデザイン欠陥を内包している。

その結果、私たちは明治以来、金融恐慌、不況、失業、戦争、インフレ・デフレ、所得格差等々、債務貨幣システムのデザイン欠陥に起因する多くの経済的・社会的危機に見舞われてきた。

また、最近では私たちの政府が借金地獄に陥り、破局への道を歩んでいる。

 

「公共貨幣で新国生み」への旅立ち

本書で私たちは現行の債務貨幣システムから公共貨幣システムへの移行を提案している。

なぜこの移行が必要なのか。

発行主体による表の定義によると、現行の債務貨幣システムの下では99.7%のお金は、企業・家計・政府が銀行から依頼で借金をしなければ発行されず、また不況等で借金が返済され始めると消滅する宿命にある「債務貨幣」である。

それに対して、公共貨幣システムの下では、お金は全て国会に属する公共貨幣委員会が「公共貨幣」として発行し流通に投下するので、民間部門における債権債務の発生や消滅に伴って貨幣量が増減するという金融システムの不安定性がなくなる。

次に、法的強制力による裏の定義によると、債務貨幣システムの下では64.5%のお金が法貨ではなく、銀行が貸出によって無から創造した預金であり、銀行が倒産すれば消滅してしまう運命にある機能的貨幣である。

それに対して、公共貨幣システムの下ではお金は全て法定貨幣となり、したがって、すべての預金は常に法的に担保されている。

 

本書の構成

「公共貨幣」がなぜ今、万人のテーマとならなければならないのだろうか。

本項で見たように、現在、私たちは債務貨幣システムという乗っ取られた制度のもとで生活しており、この債務貨幣がなければ経済社会活動が停滞し、命をつないでいくこともできなくなる。

しかるに、私たちが命を託しているこの債務が重大な欠陥デザインを負ったシステムなのである。

1929年の世界大恐慌は世界経済を未曾有の混乱に陥れ、大量失業を発生させ、貧富の格差をもたらした。

こうした大恐慌を二度と起こさないようにと、当時を代表する2名の経済学者が大恐慌からの救済策を1935年にそれぞれ提案した。

ケインズの『一般理論』とフィッシャーの『100%マネー』である。

ケインズの一般理論はその後マクロ経済学や財政・金融政策論として発展してきたが、最近の量的緩和政策を含むアベノミクスの失敗や政府債務のさらなる累積により、その理論的欠陥が白日のもとにさらされた。

他方、フィッシャーの100%マネーは経済学におけるタブーとして国際金融資本によって徹底的に経済学の教科書や講義、政策議論の場から抹殺されてきた。

2008年のリーマンショックに直面した筆者は、この偉大な先人の経済理論をなんとか統合して、次なる経済恐慌を回避できないかと悪戦苦闘してきた。

そして「会計システムダイナミクス」という新しい分析手法を用いて両者の提案を統合することに成功した。

 

私(チキハ)の感想です。

私たちが普段使っている硬貨(コイン)は、政府が発行しているお金です。

日本銀行券(お札)は、日本銀行が発行しているお金です。

その中でも、法的強制力で言えば(裏の定義)、硬貨と日本銀行券、日本銀行が保有する準備預金(デジタル預金)に担保された預金だけが、法定通貨(つうか)であると書かれています。

定期預金は含まれていません。

こわいですね。

ちなみにマドモアゼル・愛さんは、感じるところがあって財布にある小銭を壺に入れていて、結構貯まるものです、と笑っていました。

もしかすると、日本銀行の存在が、改めて見直されるときが来るのかもしれないと思いました。