『超訳「国富論」』(大村大次郎、2018)
<以下1部抜粋・要約>
はじめに
「神の見えざる手」は誤解されている
国富論は、1776年にイギリスのグラスゴー大学の教授であったアダム・スミスが書いたもので、経済学の起源ともされている名著です。
国富論といえば、「神の見えざる手」という有名な文言があります。
「個人個人が自分の利益を追求することによって、神の見えざる手に導かれるかのように、社会全体の利益にもなっている」と記されているのです。
そして、この「神の見えざる手」という言葉だけを切り取って、「国富論は、経済の自由放任主義を説いたものだ」「全て市場に任せておけば、社会のためになる」といった具合に解釈されていることが多いようです。
昨今の強欲資本主義の信奉者たちも、アダム・スミスの「神の見えざる手」という言葉をよく引用しています。
しかし、それは国富論を大きく誤解した結果といえます。
アダム・スミスが「個人の利益追求が大事である」と述べたことには、様々な側面があります。
たとえば、その中から1つを取り上げれば「人権問題」があります。
国富論が書かれた当時は、まだ個人の自由や人権が、はっきり確立されていたわけではなく、国が個人の事業の邪魔をしたり、特定の商人に独占権益を与えたりするようなことが多々ありました。
フランス革命も起きていない時代であり、ヨーロッパ諸国の多くはまだ「王政」でした。
民主主義がスタンダードではなかったのです。
だから、アダム・スミスは、経済を発展させるためには、個人の自由や人権の保障が非常に大事であるという意味で、「個人の利益追求は社会のためになる」と述べたのです。
「国富論」が生まれた背景
国富論が発刊された1776年当時、イギリスは産業革命の時代を迎えようとしていました。
当時のイギリスは、産業革命だけでなく、世界に先駆けて、税金の決め方を議会に委ねたり、国の資金調達の方法として、国債を発行したりするなど、財政金融についても最先端をいっていました。
イギリスが、最もダイナミックに経済、産業を変革していた時期だったのです。
そして、世界でも大きな変革が起きようとしていました。
国富論発刊からわずか十数年後に、フランス革命が起き、ヨーロッパ中にその衝撃が広がりました。
また、アメリカ大陸に目を移せば、イギリスの北アメリカ植民地が、本国イギリスに対して独立戦争を挑んでいました。
この戦争が始まったのは1775年のことですので、国富論はその真っ只中、いわば時代の大変革期に発刊されたのです。
この本が伝えたい「たった一つのこと」
国富論は1つの原理原則で全編が貫かれているわけではない、とご紹介しましたが、実は1つだけ全編に共通している原理原則があります。
それは、「国民全体が豊かにならなければ、国は豊かにならない」という原理原則です。
このことについては、理論というより「最低限の常識」「当たり前の前提条件」として、国富論では扱われています。
そして、国富論全体が「国民全体を豊かにするにはどうすればいいか」という趣旨で書かれているのです。
私利私欲や市場原理が大事だと述べているのも、この最終目的を果たすための便法の1つとして提示しているに過ぎないのです。
私(チキハ)の感想です。
経済学の祖アダム・スミスの言葉は都合のいいように歪曲されて使われた、ということです。
私も、原文を読んでませんので何とも言えない立場なんですが。
著者の言うには、大前提は「国民全体が豊かになる、労働者の賃金を上げる、最も貧しい人の生活を保護する」ということです。
そこには共感や憐憫の情が、安定した社会をつくるための大事なスキーム(枠組み、案)という考えがあります。
ここ数十年で日本の経済は新自由主義の元に随分と改革がなされています。
その結果は、格差の拡大や、低成長などと言われています。
この本の中で「独占こそが悪である」という章あります。
独占は物の価格を不自由に操作する。
23年9月の記事にこのようなものがあります。
米当局、Amazonを提訴 ネット通販で独禁法違反の疑い - 日本経済新聞
岸田政権の増税は、サラリーマンや高齢者、非課税世帯や奨学金まで想定しているようです。
その記事に、高額所得者に対する意見は見られません。
以下のような記事がありました。23年10月5日
100円減税するから1000円増税するというのは、減税ではなく、増税である。
12月に1兆円大増税隠して”11月に解散総選挙”の姑息…鬼の岸田政権”ウソ減税”に国民は怒っている(みんかぶマガジン) - Yahoo!ニュース
増税についてはこちらがわかりやすいです。
23年7月の記事です。