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貧困の経済学

『貧困の経済学』(マーティン・ラヴァリオン、2018)

<以下1部抜粋・要約>

 

第1部 貧困の思想史

 

貧民は…絵画での影のようなもの、コントラストとして存在する。

フィリップ・ハケット、1740

 

よほどの馬鹿者以外は、下層階級は貧しいままにしておかなければ勤勉にはならないとわかっている。

アーサー・ヤング、1771

 

貧困が必要だという考えから脱却することはできないのであろうか。

アルフレッド・マーシャル、1980

 

現政権は、今ここに、米国での貧困に対し全面にわたる宣戦布告を行う。私は、議会と全国民にその戦いに加わるように要請する。

ジョンソン大統領 年頭教書、1964

 

我々の夢は、貧困のない世界。

1990年からの世界銀行の標語

 

これまで、貧困について書かれたものの中には、それを解消し、根絶しようとするのではなく、その存在を正当化しようとするものがある。

貧しい人々についての偏見を書くことで、恵まれた人々の特権を擁護しようとするのである。

比喩の言い回しや根拠の怪しい固定観念が流布され、政策にも影響を及ぼした。

しかし、上の一連の引用に示されているように、過去200年の間に貧困についての主流の考えが大きく変わってきたことも印象深い。

本書第1部では、貧困についての考えの展開を跡付け、そして理解することを試みる。

ここで検討されるのは、近代以前から2次にわたる「貧困啓蒙期」を経て、貧困が公共政策により大幅に削減しうるものであり、根絶さえしうる社会悪であると見られるようになった、その推移の過程である。

貧困についての考えにおけるこの推移は、今日の先進国での重要な改革、例えば、政治面では、普通選挙、経済面では、自由市場が広まったことと同時に起こっている。

第1章では、前近代から現代にいたる展開を扱い、第2章では1950年代以降の現代に焦点を当てる。

いずれの章においても、世界における極端な貧困に対する進展の歴史過程を概観することから始める。

 

第1章 貧困のない世界という考えの起源

前近代における貧困の考え

古代

近代より前には、貧困は、法、税、公共支出のような世俗世界における問題としては、一般には考えられていなかった。

前近代の分配の正義における主要な概念は、能力主義、すなわち、功績に応じて報酬の分配を見決めることを強調した。

これは紀元前350年頃のギリシャの哲学者で科学者であるアリストテレスの著作にその起源があった。

「機会の平等」と、すべての人の権利としての「自由」という考えは、アリストテレスに知られていなかったわけではないが、従属が、奴隷という形でさえ、正当なものとして受け入れられていた「自然秩序」の利益を否定する根拠としては不十分とされた。

 

重商主義

18世紀末に先立ついくらかの期間において、経済思想を支配した学説は、国内外の貧困も、社会にとって良いものーー不幸であるかもしれないが、自国の経済にとって不可欠なものーーとみなしていた。

仮に、他の状況が等しいならば、貧困が少ない社会の方が好まれるべきであろうが、他の状況が等しいとはみなされなかった。

強力な世界で競争力のある経済を作り出すよう、労働者に働く誘因を与え、賃金を低水準に保つ上で、貧困は不可欠であるとみなされていた。

 

最も劣悪な環境のもとで、社会を幸せに、そして人々を安楽にするためには、大多数が無知であり、また貧しくなければならない。

マンデヴィル、1732

 

第一次貧困啓蒙期

18世紀末は、イギリス、西洋、北米で、工業化による経済の変容が始まった時期であった。

産業革命は、イングランドにおいて生産における巧みで収益の高い数々の技術革新を持って始まった。

イングランドで産業革命が起きたのは偶然ではなかった。

改革を促すような制度を有していたからである。

イングランドでは、君主制と国民の利益を代表する政治制度の間の権力を均衡させることにおいて、他の西欧諸国よりも進んでいた。

イングランドの特許法は18世紀末までに他国よりもよく整備された。

18世紀にはまた、製造業への様々な税が除去され、数多くの王室の独占が削減され、対等な競争の場が作り出された。

制度・政策の変化は産業革命の原因でもあり結果でもあった。

第一次貧困啓蒙期の最も重要な貢献は、貧困をなくすことに向けた公共の取り組みという考えの道徳上の根拠を確立したことにある。

その道徳上の根拠とは、勤勉に労働するが、貧しい人々に人間として敬意を払うという、支配層の1部に新しく生じた態度ーー「一体感」と呼び得るものーーから発したものであった。

 

1960年頃から、発展途上地域の新独立国、国を含め、世界中で、貧困との戦いの見通しについて、政策立案者の間で新たな楽観が抱かれるようになった。

 

貧困に関する1950年以降の彼方な論調

 

20世紀半ばに、世界での極度の貧困との戦いにおいて、重大な転機が訪れた。

極度の絶対貧困にある人口の比率が今ほど低かったことは無い。

過去100年ほどの間、極度の貧困を根絶すべきとする声が度々挙げられたが、今やその見通しが立つようになった。

このように、貧困率が減ろうとしていたのと時を同じくして、経済学や哲学での論調が変わり、貧困政策に影響を及ぼした。

 

第二次貧困啓蒙期

 

1960年頃から、発展途上地域の新独立国を含め、世界中で、貧困との戦いの見通しについて、政策立案者の間で新たな楽観が抱かれるようになった。

第一次と同様に、第二次貧困啓蒙期も、根源からの問いと不安定の時代であった。

しかし、第一次とは異なって、第二次は豊かな国々での絶対貧困率の上昇に続いた時期ではなかった。

世界中で新たに自由を求める声が上がった。

豊かな国々では社会が動揺し衝突が起こった。

貧しい国々では、政治上の独立を達成した中で、政治と経済の混乱が多く見られた。

 

貧困についての経済学の新たな論調

第一次貧困啓蒙期と同様に、新たな学問上の論調が貧困政策に影響を与えた。

1960年ー1970年代には、貧困、不平等、その他を含み、公共政策の基盤として、功利主義のパラダイムが適切かどうか、哲学と経済学において、新たな問い直しがなされた。

功利主義への批判者たちは、最貧層の厚生を損なうような政策が最富裕層に十分に大きな利益をもたらすという理由で正当化され得るか、と問うた。

近代における正義の原理の定式化において、初めて、最も貧しい人々を助けることを倫理上の優先課題とすべきである、という主張が現れようとしていた。

 

ロールズによる正義の原理

第二次貧困啓蒙期を画する哲学の著作を1つ挙げるとすれば、ハーバード大学の哲学者、ジョン・ロールズによる『正義論』をおいてはない。

この書では、現実世界での自らの立場についての「無知のベール」のもとで、労働者の間で合意される社会契約として正義の原理が提示される。

ロールズは2つの原理が現れると説く。

原理の1つは、各人は、他のすべての人も同様の権利を侵さない限り、最大限の自由を享受する同等の権利を有するべきである、というものである。

もう一つは、自由を侵害しないという条件のもとで、両当事者がその結果としてより良い状態になるという意味で、効率を高めるときにのみ、社会選択は、不平等を許容すべきである、というロールズが「格差原理」と呼ぶものである。

 

私(チキハ)の感想です。

今でも、貧困は本人の怠惰と無知のせいという考えはあると思います。

確かに、そういう人もいると思いますが、この本の中に書かれている貧困は、日本人にはあまり覚えのないものかもしれないと思いました。

生まれながらに決められた貧困は、抜け出すチャンスがありません。

貧乏人が金を持つと悪いことにしか使わない、など読むと、悪い金持ちたちは貧乏人の思考なのかと思います。

それは、高次の思想による勤労意欲を知らない、持たない、からです。

かくいう私も、知りませんでした。

人はこれから善や社会貢献などの喜びのために、勤労するようになるのかもしれない。

日本人がそうなるのは早いかもしれない、と思いました。