『ユーロ危機と超円高恐慌』( 岩田規久男、 2011)
2011年10月31日、 円は史上最高値(円高)の1ドル =75円32銭をつけました。
リーマン・ショック直前の 2008年9月12日は、 1ドル=107円16銭でした。
円高は、 日本経済に 大きなダメージを与えると 言われています。
どうしてこのような 円高になったのか。
そして、どうしたら そこから抜け出ることができるのか。
著者は日銀の政策に原因があったといいます。
日銀は、20年間デフレを放置していた。そこにリーマン・ショックが起こった。
さて、その理論が正しかったのかどうか。
2013年3月、著者が、日銀副総裁に就任しました。
そこから、為替は一気に円安となり、5月には1ドル100円台をつけました。
以下一部抜粋要約。(※ は私の説明です。)
この超円高の根源的な原因はデフレである 。したがって超円高の根源的原因を明らかにするためには まずなぜデフレになるかを明らかにしておく必要がある。
まずデフレとは何かを説明しておこう 。
デフレとは様々なモノやサービスの加重平均価格である物価が下落し続けることをいう。 したがって一部の製品の価格だけが下落することはデフレではない。
(※簡単にいうと、モノやサービスの値段が安くなること。)
それでは、なぜデフレになるのであろうか。 それは、多くの家計や企業や投資家などの経済主体がデフレを予想して、消費、住宅投資、企業投資、保有する金融資産の構成などを決定するからである。
つまり、「多くの家計や企業や 投資家がデフレを予想して行動するから、デフレになる」ということである。
多くの人が同じ事を予想して行動すると、 予想は実現するのである 。これを「自己実現型予想」という。
なぜデフレ予想が生まれるのか。
投資家は何を手がかりに、 物価動向を予想するのか
それでは日本でデフレ予想が生まれるのはなぜであろうか。
日本で言えば日銀は日銀法に書かれている目的である「物価の安定」をどのように考えて 、金融政策を運営しているのか。
日銀は目標としているインフレ率とその達成時期を明確にしているか、達成できなかったときにどのように責任を取ろうとしているのかーーーといったことが、市場のインフレ予想の形成に影響する。
(※インフレとは、簡単にいうと、モノやサービスの値段が上がること。)
実際の数値としては 、政策金利であるオーバーナイト金利( 無担保翌日物コール・レート)をいつまで、 どの水準に設定しようとしているか 、それを変更するとしたら、 どのような場合かを明確にしているか 、マネタリー・ベースを どのような基準で変化させているのかーーー といったことが重要な要因である。
(※マネタリー・ベースとは、市中に出回るお金の量のこと。その量を増やすことによってお金の価値を下げ、モノやサービスの値段を上げます。)
日銀は100年に1度と言われる リーマン・ショックが襲ったにもかかわらず、 11年2月までに 、マネタリー・ベースを最大で、 リーマン・ショック前の 08年8月よりも 15%しか増やさなかった 。
そのため 、世界で 、日本だけがデフレに陥り、 11年9月現在も、 コア・インフレ率はマイナス0.4%である。
最大でも 15%程度のマネタリーベースの増加率では、 100年に1度の危機どころか 普通の景気後退からも脱却できない。
デフレと円高を止められるのは日銀だけである
理解すべきは 、政府には「インフレ目標」を掲げて デフレと円高を止める手段はないことである 。
したがって、政府にデフレ対策や 円高対策を求めても無駄である 。
デフレと円高を共に止める手段を持っているのは 、日銀だけだからである。
なぜ、日銀しかデフレと円高を止められないのか 。
それはマネタリー・ベースを増やせるのは日銀だけだからである。
当時、私(チキハ)は、 どのようにしたら日本の経済が立ち直るのか、 全く分かりませんでした。
2013年、黒田さん(日銀総裁)が出てきて「 黒田バズーカ」(量的緩和)を景気よくをうち放ちました。
2年間で、「インフレ目標2%」、「マネタリーベース2倍」、
ピーターパンの物語を引き合いに出し、「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」など発言しました。
そして、「日銀は本気でデフレ脱却をしようとしている」
と海外の投資家などが評価しました。
それまで低空飛行を続けていた株価は大きく値上がりし、
円も一気に安くなりました。