『大収縮1929-1933』(ミルトン・フリードマン+アンナ・シュウォーツ 訳久保恵美子、2009)
この本は2009年発刊ですが、20世紀に経済学者らは大きく3回捉え方を変えたとあります。
ケインズ、マネタリスト、新ケインズです。
「マネタリストとケインズの論争において、マネタリズムの主張の核心は、変わっていない。
貨幣は重要であり、インフレは金融政策で統制可能である。
これらの主張は、今日の経済専門家は受け入れている」と書かれています。
今回は少し長文です。
<以下一部抜粋・要約>
新たな諸言
フリードマンの世界観において、貨幣と金融政策は、自由とほぼ肩を並べるほど重要なものである。
1963年の米国金融史初版本の300ページにおける重要な一説で、彼は次のように明言している。
連邦準備制度が金融破綻を防げなかったのは、金融政策が無力だった結果ではなく、金融当局による特定の施策や、それより影響力は小さかったものの、一部の金融制度の存在が導き出した結果なのだ。
大収縮はむしろ、貨幣の力の重要さを裏付ける、悲劇的な証拠である。
彼はインフレーションに関連する貨幣の問題について、「インフレーションはいつでもどこでも、貨幣的な現象である」という、普及の名言を残している。
この単純な概念に基づいて、フリードマンは際立って正確な予測をいくつか立てることができた。
1968年に、大恐慌再来の見通しに関する見解を求められると、彼はおおよそ次のように答えた。
景気が収縮するたびに、政治家は紙幣を過剰に発行するなど、経済を「過剰に刺激」している。
その結果としてインフレは急速に悪化し、物価の最高点も最低点も、その前の水準を上回るようになるだろう。
株式市場の大暴落ーー1929年10月
最初に注目される時期は、強気だった株式市場が大暴落を起こした、1929年10月である。
株式市場の大暴落には、経済活動を大きく収縮させた、根本的な力の表れとしての面も確かにあった。
しかし、いっぽうで、この大暴落が景気収縮の深刻化を促した面もあったはずである。
第一の銀行危機の勃発ーー1930年10月
1930年10月に、この景気収縮の金融面での特質が劇的に変化した。
これは、支払い停止にいたった銀行の預金量が異例に増大していたことに表れている。
銀行破綻の影響で、要求払預金や定期預金を現金化する動きが広まった。
それよりはるかに規模は小さかったものの、要求払預金や定期預金を郵便貯金に預け替える動きも見られた。
1920年代の銀行破綻で最も大きな影響を受けた農業部門を皮切りに、預金者間に恐怖心が伝染していった。
1930年11月には256の銀行が破綻した。
最も劇的だったのは、2億ドル以上の預金を抱える合衆国銀行が12月11日に倒産したことだった。
合衆国銀行の破綻は、銀行危機のクライマックスではなく、一連の流動性危機の第1段階に過ぎなくなってしまった。
この流動性危機は、以後の景気収縮を特徴づけるものになり、1933年3月の銀行の一斉休業まで収束を見なかった。
銀行危機の影響は、利子率の動きにはっきりと表れている。
第一の銀行危機が起きる前月の1930年9月まで、金利は長期・短期ともに下落傾向にあり、格付けBaaの社債の利回りも同様だった。
第一の銀行危機が発生すると同時に、格付けの低い社債と政府債との利率差が広がり始めた。
社債の利回りは急上昇し、政府債の利回りは下落し続けたのである。
この理由は明らかだ。
銀行などの主体は、流動性を追求する過程で、低格付け社債をまず手放そうとした。
まさにこの流動性の追求によって、二次的な準備としての政府債の魅力が、従来に増して高まったのである。
したがって、格付けの低い債券は利回りが上昇し(すなわち価格は下落した)、政府債の利回りは下落した。
債券価格の低下は銀行査定で評価される余剰資金の減少につながり、これがその後の銀行破綻の一因になった。
第一の銀行危機は、1931年に入って債券市場の状況が急速に改善すると収束したが、第二の危機は同市場の再びの悪化とともに始まった。
第二の銀行危機の勃発ーー1931年3月
支払い停止銀行の預金量は3月から増大し始め、6月にはかなりの高額に達した。
3月以降、大衆は銀行預金の現金化を再開し、4月からは銀行が換金可能な資産を現金化して、準備を増強するようになった。
これは、市中の通貨需要と、銀行自らの流動性向上志向に対応するためだった。
1931年5月には、オーストリア最大の個人銀行だったクレジット・アンシュタルトが倒産し、その影響はヨーロッパ各地に及んだ。
続いて同年7月には、ドイツを始めとする各国で銀行が休業し、ドイツでは英国の短期資金が凍結された。
第ニの銀行危機は、最初の銀行危機よりもはるかに深刻な影響をマネーストックに及ぼした。
銀行危機が利子率に及ぼした影響をはっきり示しているのは、低格付社債の利回りが再び、しかもはるかに急激に上昇したことである。
英国の金本位制離脱ーー1931年9月
米国外での危機のピークは9月に訪れた。
この日、フランスやオランダの行動によって正貨流出に拍車がかかった英国は、金本位制から離脱した。
国内では、預金者が当然ながら銀行の安全性を懸念し、現金の引き出しを続けた。
また、米国外の人々は金本位制の維持に不安をおぼえ、米国から金を引き出し続けた。
公開市場での大規模な買いオペレーションの開始ーー1932年4月
1932年4月、連邦議会からの強い圧力を受けて連邦準備制度は公開市場での大規模な買いオペレーションに乗り出し、8月上旬までに証券保有高を約10億ドル増大させざるをえなかった。
銀行恐慌の発生ーー1933年
現実には、この経済の回復は一時的なものに過ぎず、その後再び事態は悪化してしまった。
このときも、景気後退の顕著な特徴は銀行危機だった。
預金・現金比率は下落し、マネーストックは増大傾向が止まり、33年1月以降は激減した。
州単位での銀行休日が広まり、通貨需要を押し上げた。
過去の恐慌時と同様に、通貨の代替手段が導入されたことで、著者らのデータにおけるマネーストックの減少はある程度相殺された。
過去に預金の現金化が制限された時と同様に、銀行貨幣の代替手段が不可欠になり、国内の両替に混乱が生じた。
この銀行危機では、1つの銀行破綻の連鎖が次の連鎖を呼び、銀行制度は異常なほど脆弱な状況に陥った。
連邦準備制度自体も、この全般的なパニックの雰囲気を構成した1要素であり、一旦始まったパニックは自己増殖の道をたどった。
全米経済研究所理事の所見
私は、価値こそが長期的な決定要因であり、価格と価値のズレは、短期的で自動修正されるものだと教わった。
しかし、私は1929〜33年の時期に、恐怖心に煽られて増強する下降スパイラルの力を学び、また1962年春の信認危機や株価暴落の時期には、その再現を経験した。
J・Mパーカーが、1936年に米国中西部で開かれた銀行家会議で配布した資料には、1929〜33年の時期の心理に関する、非統計的見解が示されている。
その1部を次に引用する。
ある人々の集団が同時に同じことを考えているときは、世界で最もコントロールの難しい、感情的な動因が常に生じている。
同じことを考えている人が多いほど、動因としての非合理的で感情的な集団心理に翻弄される可能性が高まり、場合によっては経済に深刻な影響が及ぶこともある。
直近の好況の後半に、あちこちで投機熱が高まったことを考えれば、全世界の人々はもちろん米国民も、非合理的・感情的で強欲な集団心理に、いかに完全に感化されてしまうかがわかるだろう。
一旦株価暴落が始まると、強欲さは非合理的・感情的・普遍的な恐怖心に変化した。
米国のどの都市でも、この株価暴落の初期に株式市場で大打撃を受けたり、すでに全財産を失ったりした実業家が、引き続き相場を連日注視して事態の推移を見守っていたが、株価は落ち込む一方だった。
彼らが、株価の下落を目の当たりにしたことで形成された、背景的な感情に影響されて日々の意思決定を下していたことに、疑いの余地はあるだろうか。
私(チキハ)の感想です。
2008年のリーマンショック以降、各国は金融緩和をして経済を支えていました。
国債を発行して、市中にお金を行き渡らせ経済を刺激するという方法がとられました。
それは、お金の価値を下げ物価上昇をまねきます。
米国ではインフレが進んで2022年ようやく金利を上げるつまり金融縮小に舵を切るといわれています。
フリードマンの指摘は、「政府は景気が縮小するたびに紙幣を過剰に発行し経済を刺激している。
その結果、前の水準を超えるインフレと落ち込みを経験する」というものです。
(日本はおそらくそうはならないと聞きます。円は高くなるからです。
信用のない国は通貨が安くなり危険です。)
株価最高値(1月5日ダウ)のアメリカは大丈夫でしょうか。
大収縮が起こった1929年と違うところがあります。
当時通貨は金を裏付けにしていました。
そして為替は固定されていました。
現在の政府や中央銀行には過去の教訓があります。
そう考えると、大恐慌にまでは至らないのではないかと思いました。
しかし株式の暴落が起これば、低格付け社債が売られ、銀行経営が厳しくなり、それが連鎖するという事態は、十分にあり得ることだと思います。
それは国境を超えます。
そして事態を収束させるには、金融政策が適切である必要があります。
しかしそれは流動的な状況の中で非常に困難な決定であると書かれています。
極端に思えることをいう人もいます。
銀行の国有化です。
リーマンショックで傷ついた銀行はまだ立ち直っていない、というのがその理由です。
日本人の私たちにできることはなんでしょうか。
銀行の支払い停止や、倒産などが起こる可能性を一応考えておいてもいいと思いました。
当時は、物々交換や地域通貨のようなものが、代替手段として使われたと書かれています。
両替が大変です。
当時の日本はどうだったのか詳しくは分かりませんが、物々交換は戦後の人は経験しています。
もしそのようなことが起これば、電子マネーなどにも影響は起こるでしょう。
いろいろな代替手段をすでに準備している人たちもいるのではないかと思いました(私は詳しく知りません)。
そして、ここに書かれているように、恐ろしいのは人間の集団的な感情です。
世界が混乱し、マスコミが不安をかき立てても、影響の少ない(日本円の信用)私たちです。
もし、そのような事態になってもパニックしないでおくことは日本にとっても世界にとっても大事なことだと思いました。
「マネーストック」とは何ですか。
マネーストックとは、「金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量」のことです。 具体的には、一般法人、個人、地方公共団体などの通貨保有主体(金融機関・中央政府を除いた経済主体)が保有する通貨(現金通貨や預金通貨など)の残高を集計しています。(日銀)