『ブレトンウッズの戦い』( ベン・ステイル、訳、小坂 恵里、 2014)
70~80 年周期で 同じようなことが 形を変えて起こると言われています。
74年前、1944年、日本は戦争の最中でしたが、 アメリカを先導とした各国によって通貨についての協議が行われていました。
草案はその10年前です。
( 1933年にはヒトラーがドイツ首相に就任します。1934年にはフランス、オーストリアなどで、 大規模な 反ファシズムのデモ が行われます。)
現在、アメリカ一国の通貨が世界の基軸通貨であることによる不具合が大きくなっています。これは、当時から論じられていたことです。その修正が迫られています。
〈以下一部抜粋・要約〉
都会から離れたニューハンプシャー州の 避暑地ブレトンウッズには 1944年7月 、20世紀2度目の世界対戦の最中 、44カ国の代表が集結し、 いまだかつてない試みに挑戦しようとしていた 。
新たな国際機関によって 管理される新たなグローバルな通貨制度の設計である。
1934年、ホワイトは、 アメリカの 「通貨並びに銀行業務に関する法令や 制度を研究し …… ルーズベルト政権の 長期的な立方計画を作る」 作業を補佐するためにワシントン で仕事を始めた。
金本位制の下では 為替レートが固定されるので、 国際収支は 国内の物価の下落によって調整されなければならない 。
しかしケインズと同じくホワイトは、別の選択肢が必要だという結論に達した。
「 国にとって国内の物価水準の変更は、 為替レートを頻繁に変更するよりも はるかに大きな痛手となる 。
それには明らかな証拠がある」と記している 。
アメリカは 執拗なデフレに悩まされた 1929年から 1933年にかけて時期と似たような立場に自らを陥れようとしているのだった。
そこでホワイトは アメリカの貨幣制度のルールを書き換えようと考えた 。
それは連邦準備制度に金本位制の下で与えられた裁量を超えた権限を与え、
この新しい制度が国際社会で定着するよう各国の協力を求めるというものである。
しかしこは極めて困難な作業だ。
というのも、 金本位制は実際に誰かの手で「創造された」わけではない 。
何世記にもおよぶ試行錯誤の末、 19世紀初めにイギリスで誕生したものである。
その後かなり時間が経過して、 域内貿易や 国際貿易の発展に 役立つ制度であることが確認されてはじめて、 他の国々の政府もようやく採用しはじめたのだった。
しかし1934年、 世界は不況の泥沼にはまっていた。
アメリカの国内総生産は、 1930年の時点から28%も低下していた。
貿易は29%も落ち込んだ。 失業率は22%に達していた 。
アメリカの景気を回復させるためには貿易の拡大が欠かせず 、それには通貨の国際的安定に役立つ新しいモデルが必要だとホワイトは論じた。
私(チキハ)感想です。
本当に世界は実験場なんですね。
何かを決定しても必ず不具合が生じる。そしてそれを 修正していく 、その繰り返しなんですね。
そしてそれをたくましくやり続けていきます。新陳代謝をしながら。
政治や経済その他の天才たちや、その役割を担った人たちが、 ゴリゴリと前へ進めていきます。
確かに完璧な 人間も、計画や 答えなども ないのでしょうけども、 70~80年前よりも 今の方がいい。
新たな修正を迫られていますが、 私たちはその後、高度成長をとげたわけですから肝を据えていきたいものです。
今の私に何ができるのだろうかと、 いたたまれないような気持ち を持つこともあります。
しかし、今の自分にできることは、自分の心を平和に保っておくこと、
目の前のことを 丁寧にやっていくことではないかな、と 思っています。