ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

経済民主主義は日本から

『セカンドボトム 世界大恐慌』( ラビ・バトラ、監訳 ペマ・ギャルポ+藤原直哉、2012)

<以下一部抜粋・要約>

 

「マネー」の時代が轟音を立てて終わる

 

「マネーが支配する時代」とは「富裕者」の時代そのものだ。

 私が提示する「社会循環の法則」では 「富裕者」の時代の次には「武人の時代」が巡ってくる。

 

「武人」とは軍人でもあり、 「武人の精神」を持つ 全ての人々のことでもあり、 戦う民衆でもあり得る。 

そして「武人の時代」は時を経て「知識人の時代」へとうつり、さらに時間と過程を経て再び 「富裕者の時代」へと循環する。

「富裕者の時代」の末期には、 経済・社会的格差が拡大し、政治は腐敗する。

 現代の世界の先進国の多くの国がその状態だと言っていいだろう。

 「富裕者」の支配階層は、 その腐敗から生まれる理不尽さが エスカレートすることによって、 民衆の間に に不満が高まり、最終的には 「武人 」の力によって倒されるか、 または権力から排除される。

 

輝かしい精神が築く黄金時代

 

アメリカ、そして日本がプラウトでリードする

 

以前から私は、日本からプラウト=経済民主主義が広がると予測し、著作にもそのように書いてきた。 

前述したように 、日本社会は1950年代から70年代初頭にかけて 、すでにかなりプラウトに近い社会を構成していた。

 日本においては今後その経験が活かされるだろうと考えている。

 

世界から貧困をなくすプラウト

 

プラウトは全く新しい経済社会システムである。

プラウトとは 、「プログレッシブ ・ユーティライゼーション・セオリー(Progressive Utirization Theory)」 のイニシャル「PROUT」 からきている。

そのまま日本語に翻訳すれば 「進歩的活用理論」となる。

経済・社会システムの最終的な形として、 目指されるべき新しい仕組みといっていいだろう。

その理論「3つの柱」は、以下のようなものだ。

 

  1. 世界中の資源とその活用の可能性は、人類全ての共有財産と認識する
  2. 資源を最大限に効率よく活用し、 それを合理的に分配し、本当の意味での個人と社会の進歩を目指す
  3. 諸悪の根源である富の集中を排除した 、倫理的で合理的な利益分配システムを作り上げる

 

プラウト経済政策では 、富と権力を一局に集中させず、 富の分配を公平にする。

 労働者にも 個々の生産性に見合った手厚い分配を行う 。

そして何よりも 、雇用の確保を最優先する。

 

精神を満たすプラウトのシステム

 

精神面での全面的な進歩がないと、 プラウトの達成も困難になる 。

社会が精神的に進歩することが 、プラウトの実現には欠かせない。

プラウトの考え方の中心は 、「人間の精神的・霊的側面は 唯一無限の領域と繋がる」というものだ。

 精神は、 閉鎖されることのない 開放型のあり方で 、意識の大海である宇宙と、 直結されることも可能だ。

人間の心の中の精神=霊性(スピリチュアリティ)、真理を追求するという、持って生まれた志を基礎とする 。

真実を追求する科学と矛盾するものではなく、 西洋科学と東洋的精神=霊性を統合するものと言っていいだろう。

 

前にも触れたが、 日本を訪れた時、 私は、 日本からプラウトが  拡大するというイメージを得た。

 20年以上前から数回訪れたが 、そのたびに日本の人々の精神に、 非常に確固とした精神=霊性が感じられたからだ 。

その後も、 日本がプラウトの進歩に 重要な役割を果たすことを 私は感じてきた。 

アメリカから動き出すにしても、 日本でその胎動が始まるにしても 、プラウトが素晴らしい形に生まれれば 、それは、 アメリカと日本、 同時に機能し 、連動しながら動き始めると確信している。

 

私(チキハ)の感想です。

私たちは、個性をもって 生まれてきています。

生まれながら持つそれぞれの個性を 伸びやかに元気に表現できる社会をイメージしました。

著者が感じる日本 の霊性とはどんなものでしょう。

ある老人が私に話してくれたことを思い出しました。

 

「俺は日本が一番素晴らしい国だと思うよ。 日本は まず他人を優先させる でしょう。

人の前を通る時にこうやって、前を通ります、すいません、すいませんって、あるでしょう。

水の神、山の神、全てに神様が日本にはいるでしょう。

日本は無宗教だって言う人がいるけど、俺にしてみたら一番信仰のあつい国だね。

イギリスに行って釣りをしようとするでしょう 。

そうするともうそこは誰かの土地なんだよね。日本にはそういうことないでしょう」

 

たまたま出会った老人からこの話を聞けた私はとても幸運でした。

「八百万の神」(全てに神はいる)という考えは、日本人には自然かもしれません。

公平な分配という考えも、異議なく受け入れることが出来そうです。